第5話 シサム(和人)の地

 年が明けて春になった。

オキクルミの居るコタンでは松前家との交易の為、渡嶋に行く準備が始まった。

 交易使として酋長の一人であるムカル(斧)が行くことになった。

その随員の一人としてオキクルミが選ばれ、ラヨチの息子のカイと四人の若者が随行することになった。

 交易品は熊やキツネ、カワウソなどの毛皮に鮭や昆布と言った海産物を積み込んだのである。

 オキクルミが選ばれた理由はムカルに就く戦士であるとともに、シサムということもあって選ばれたのであった。



 航海の無事を祈る儀式の後、宴席を抜け出したオキクルミはラヨチと会った。

単なる丸木舟と違って部族にとっては大型の舟と言って良かったが、外海に出ての航海となると危険を伴なった。

 ラヨチは心配でならなかった。

若い愛人が交易の為とは言え、シサムの土地に赴くこと自体危険に思えたのであるが、息子のカイまで一緒だというので気が気ではなかったのだ。

 ラヨチは人目に触れぬようにランコの木の陰から交易船を見送った。

息子が随行して居るのだから隠れるように見送る必要はないのだが、思いは息子のカイ以上に愛しいオキクルミに注がれていたようだ。 そんな思いを知るものは居ないと思いきや、横合いから見ている者がもう一人居たのだ。

同じように見送りに来ていたアベナンカである。

若いメノコは矢張りオキクルミを慕っていたのだ。

 二人はそれぞれの思いを抱きながらコタン脇の小さな川を下って行く三十尺余りのイタオマチプ(縫合船)を見送っていた。

その姿が樹林の陰に隠れると、二人は初めて居合わせたことを知ったように挨拶を交わしたのである。

「カイは頼もしくなったわね、おばさん」

「無事に帰って呉れることを祈ってたのよ」

 二人は差し障りのない言葉を交わしたというより、少々噛み合わない会話であった。

儀礼的な挨拶を終えると二人は各々のチセに戻った。

 一方交易船はポロプーレペツ(豊似川)を下って行った。

凡そ二里半程で海に出ると、海岸線に沿って進む。

軈て岸が突き出た所に沿って廻り、シュムクルの領域内でこの日は野宿し、翌日早朝から漕ぎ出してクネヌイ、ネタナイ(恵山)と海岸線に沿って進み、漸く和地に到着した。

 この間船内でコマイ(小さな音がする魚)等乾物を食べて済ました。


 港には大型の和船が可なりの数停泊していた。その間を縫うようにして艀に向かうと、そこには小舟や繋がれているアイヌの丸木舟(チプ)も数隻みられた。

「凄い、ここがマツマエか!」

 カイらメナシクルの者にとっては、初めて見る途轍もなく賑やかで大きなコタンであった。

だが酋長のムカル(斧)は以前にも来ていたし、オキクルミも初めてには違いなかったが

、何処かで見たことのある景色のように思えて驚きはしなかった。



 ムカルは嘗て訪れたことのある館に向かった。

松前の城下では決してアイヌは珍しくは無かったが、到着したばかりの一団に一風変わった風体の男が混じっていることで通り過ぎるまで視線を注ぐのであった。

 一風変わって居るとはオキクルミのことであった。

酋長のムカルを除けば皆若く、殆どの者に顎髭は無かったのだが、そのことよりオキクルミの風体に注目したようだった。

 オキクルミはアットゥシに裁着袴たっつけばかまを穿いて腰に日本刀を二本差していたのである。

アットゥシの袖口からはテクンぺがのぞいていた。

和人のようだがアイヌにも見えた。

 もう少しで館に着くと言う所で、役人らしい男に呼び止められた。

「お前ちょっと来い」

 呼ばれたのはオキクルミであった。

オキクルミが集団から抜けると、襷掛たすけがけの役人数人に取り囲まれた。

「何か?」

 ムカルが役人の頭らしき男に片言の和語で訊くと、

「この男を預かる。お主らは行け」

 カイがその男に突っかかりそうになったが、ムカルは押し止めた。

ムカルは一先ず取引所に向かうことにした。

 オキクルミは館近くの建物に連行された。

 刀は取り上げられて後ろ手に縛られていた。

「名は何という」

「オキクルミだ」

 不思議なことに和語が聞き取れたのである。

「お前はアイヌか」

「そうではないがメナシクルに居る」

「ではアイヌではないか」

「アイヌではない」

「では何だ」

 役人は呆れ顔で問い質す。

「分からないのだ」

 一同は嘲笑して見ている。

「お前は言葉も達者で和人のようにも見えるが、その袴はどうした?何処で盗んだ」

「これは拙者のだ」

 オキクルミは本来の言葉を取り戻したように流暢に告げた。

「こいつ~我らを愚弄する気か」

 と頭は刀の柄に手をかけたその時、

「待たれい」

 横合いから止める者が居た。

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