第4話 種は異なれど男と女
息子のカイはユク(エゾ鹿)猟に出掛けている為戻らないと言うので、ラヨチと重なったのである。
二人にとってはこれが初めてのオチューであった。
ラヨチがオキクルミの《チ》を見てもどうってことなかったのは、亡き夫や息子の手前自制心が働いて居たのだろう。
だが今夜は息子も不在であったので、これまでのモヤモヤした心の疼きの解消と自制の
今までは単に話をしていたに過ぎなかったので囁かれた噂話は単に憶測に過ぎなかったようだ。
オキクルミはシサムという人種であっても、男と女として、世話を続けるうちに自然情に絆されたようだ。
オキクルミもラヨチには全てを曝け出しているので、ラヨチのことも少しは知りたいと思うようになっていたので、二人にとってはいい機会となった。
二人は夜を徹して
オキクルミは薄っすらと空が白み始める頃自分のチセに戻った。
如何やら誰にも見咎められることもなく帰れたようだ。
ところがである。
部屋の奥の茣蓙の上に、刺繍を施して丸めてある衣類が二つ置いてあったのだ。
解いて拡げて見ると、片一方は脚絆のようであった。
誰が置いて行ったものか分からなかったのでラヨチが洗い物を持って来た時にそれを見せると、
「これはテクンぺにホシと言って、狩猟や農耕の時などに手足を保護する為に身に着けるもので、そこに施された刺繍は魔除けとして好意を抱く者への心からの贈り物なんだけれど…」
「誰が?」
オキクルミには思い当たらないらしいが、
ラヨチには見当ついた。
「鈍い人だね。最初に誰と会ったの」
「アベナンカだがー」
「酋長の娘のアベナンカからの贈り物だよ」
「まさか!」
「まさかじゃないよ」
確かにここでの知り合いと言えば、ラヨチとアベナンカしか居なかった。
すっかり忘れていたのだ。
確かに初めて会った時、全く知らない言語で話しかけたのだ。
片言乍らアベナンカと話ができた。
酋長の娘ということと捕虜の身では会おうという気にはならず、毎日世話を焼いて呉れるラヨチの存在に隠れてしまったのだろう。
「ラヨチどうしたらいいか」
こうしたことに疎いオキクルミはラヨチに頼るしか術はなかった。
「この場合はオキクルミの気持ち次第で一般的な対応はと言うと、彼女の為に何か心からの贈り物を上げるんだね」
ラヨチの本心からすればそうして欲しくなかったが、酋長がシサムの青年との恋を許す訳が無いと踏んだのである。
ラヨチにしてみれば、例えオキクルミの心が自分に向いて居なくとも、繋がりを持ったばかりとは言え、離れられない存在になってしまったのは事実であった。
夫を亡くした寡婦が再婚してはならぬという定めはこのコタンには無かったのだから、況してシサム(和人)との成婚は許されるものと考えていた。
問題は第一にオキクルミの気持ちと、息子の受け止め方であった。
だがそうしたことを確かめるには未だ早いと言えた。
とは言うもののオキクルミを放したくなかった。このオッカイ(青年)を他人に盗られるくらいなら、夫の形見のマキリ(小刀)を使ってでも渡したくはなかったのである。
そんな物騒な事を考える程惚れられたなどとは微塵も感じていないオキクルミはラヨチとの関係を気楽に考えて続けていた。
戦士とは言ってもシサム(和人)や他の部族との争いが無ければ、山に入っての狩猟や丸木舟に乗って川での漁労に励んでいた。
山に入った時に一匹のイセポ(兎)を捕獲したので、これを袋に入れて持ち帰った。
この時一行の収穫はユク(エゾ鹿)一頭に、モユク(タヌキ)が三匹であった。
此れにイセポを捕獲したのである。
その持ち帰った小動物を帰りがけにアベナンカの許へ届けたのである。
「遅くなったけど、わたしがお返し出来るのはこれくらいでしかないです」
少しばかり間が開いたものの、オキクルミの誠意は通じたようだ。
生きたイセポならセタ(いぬ)のように飼うことが可能であったのだ。アベナンカは元より妹のヤチ(泥)が大喜びであった。
「戦士になれたのね良かったわ。その格好は勇ましくて素敵よ」
背中と袖口に渦巻文様の入ったチカルカルぺはカイが着ているものと同じなのでラヨチが呉れた物であることは分かったが別段何とも思わなかった。
それと共に脚絆の付いた裁着袴穿いて太刀一振りを腰に差していたのだが、刀の柄に手を添えるとアベナンカが呉れたテクンぺがモジり袖からのぞいたのである。
「ホシは袴を穿いて居ない時に臑に巻いて居るよ」
「着けて呉れたのね、良かった」
アベナンカは嬉しかった。
テクンぺとホシを持参した時、外から何度呼んでも出て来なかったので勝手に入って奥に置いて来たのだと言った。
そして誰が置いたものか分からないだろうからいつも頭に巻いている黒無地のチェバヌフを添えるつもりだったが、外に待たしていた妹のヤチ(泥)が泣きそうな声で呼んだので慌てて飛び出してしまったというのだった。
案の定オキクルミから何の応答も無かったので分からないのだろうと諦めかけた所にその姿を現して呉れたというものだった。
余程嬉しかったのだろう、アベナンカは妹の見ている前でオキクルミに口付けをしたのである。
「あっおねいちゃん凄い」
と言って持っていたイセポ(兎)に真似るように口付けたのである。
それを見たアベナンカとオキクルミは思わず爆笑した。
だがそれを物陰で見ていた人物は腹を立てたように、持っていた乾いたばかりのチカルカルぺをその場に投げ捨てて去った。
その音に気がついたヤチ(泥)が駆け寄って
大声で姉を呼ぶ。
「どうしたのヤチ」
ヤチが指さす方を見ると見覚えのあるアットゥシが投げ捨ててあった。
「誰かしらこんな所に…」
そう言いながら樹皮で織られたアットゥシを手に取って見ると、今横に居るオキクルミが着ているのと同じような模様がついていたのだ。
アベナンカは思わずそれらと見比べて、手にしたアットゥシを拡げて見る。
見た感じ丈が短い。
「此れは?」
アベナンカは咄嗟にそれをオキクルミに当ててみたのである。
「膝位しかないわよ」
と言いながらオキクルミの顔を見る。
「わたしのだよ。此れを穿く為長いと邪魔になるので切ってくれたんだ」
「ラヨチなのね。そうかそこまでしていたんだ」
アベナンカはオキクルミをこのコタンに連れて来た後はミチ(父親)である大酋長に収容先の檻にさえ近づかせなかったのである。
世話係は監視役のカイのハポ(母親)のラヨチにさせたのであった。
アベナンカからしたら母親位なので、ちゃんと世話してくれると安心したものだったが、投げ捨てられた物の中には手製のテパ(褌)が在った。
ラヨチはフチ(婆さん)とまではいかないにしても、寡婦であり女であった。
それがオキクルミの体に合っているものを作っているとしたら、裸にして合わせているのだろうと思うのだった。
〈嫌だぁ〉
アベナンカはあらぬ想像をしたのだ。
姉の心配を他所にヤチはイセポ(兎)に紐を付けて遊んでいた。
それから暫くはラヨチもアベナンカもオキクルミの前に姿を見せなかった。
コタンの周りの樹林の葉が色付いて落ちて行った。
その中で何となく甘い匂いを漂わせる落葉があった。
それはコタンの高台を囲む樹林に多く在ったのだ。
〈何という木なんだろうか〉
落ち葉を拾っては匂いを嗅いで燃やしたのだがその葉っぱの形が他の木の葉とは違っていたのである。
それらの木は二十尺(六メートル)程もあり、幹回りも太いものになると、五尺弱はありそうだった。
大半の木が色付いて落ちていった。
随分と冷え込んだ朝にカイがユク(エゾ鹿)の毛皮とカムイ(熊)の毛皮で作った獣皮衣を持って来たのである。
「母さんがあんたに持ってけと言うから来たんだが……。偶には話し相手になってやってよ。二人の仲がどうであろうとカイには興味もないし関係ない。この間のイオマンテで更に落ち込んでしまったんだ」
ラヨチが子供のように可愛がって育てたへペレ(子熊)のルホロが成獣となった為熊送りの儀式でその魂を天界に帰したのである。 その儀式にオキクルミは参加することは許されなかった。
だがラヨチは飼育係であったので、檻から広場まで付いて行ったのだが、いざ儀式が始まるとルホロに刺さる筈のないエペレアイ(儀礼用の矢)を射かけると、泣きながらその矢を拾い始めたのである。
ルホロは杭に繋がれていて刺さらないまでも、エペレアイは躰に当たっていたので気が立って居る為、幾ら懐いているとは言え危険であった。
若者がラヨチを宥めるようにしながらその場から連れ出すと、息子のカイに引き渡したのである。
それ以来ラヨチは気落ちして何も手付かずの状態になってしまったのだという。
そこでカイは一部の者達の間で噂となったが現在は疎遠となっているオキクルミに機会があったらチセに呼ぼうと思っていたところ、ハポのラヨチが急にカイに大事に仕舞っておいた獣皮衣を出して、オキクルミに渡すよう言ったのである。
ラヨチにすれば恐らくオキクルミに会いたいに違いなかったのだ。
「母さんはあんたのことを今でも案じているんだよ。ルホロのことで大分憔悴して居るので元気づけてやってよ」
オキクルミは狩で射止めたシュマリ(キツネ)を下げて夕方ラヨチのチセを訪ねた。
入り口で声を掛けると中から、
「入って」と稍沈んだ声が帰って来た。
見ると囲炉裏に鍋を掛けて何かを煮てるようだった。
ラヨチはフラフラと立ち上がるとよろけてオキクルミに抱き着くように倒れ込んだ。
それを下になってしっかり受け止めると、二人は長い間唇を合わせていた。
オキクルミはアットゥシを下に敷いて、ラヨチは室内着であるモウルを脱いで上から掛けた。
久しぶりのオチューであった。
ラヨチが三十半ばでオキクルミが二十半ばなので我慢していたラヨチが堰を切ってそれに応えるオキクルミのオアトゥの数が半端でなかった。
気の所為ではあるまいが、ラヨチの青白い顔が生まれ変わったように次第に赤みを帯びて良くなっていったのだ。
それはそうだろう濃厚な愛撫と十分なオアトゥで元気が出たのである。
そうした変化をカイは喜んだ。
どのようにして元気にしてくれたのかは分らなかったが、自分がどんなに励ましてもどうにもならなかったハポが見違えるように元気を取り戻したのである。
ハポは歳を取っても女であった。
恋しい年下の男と一晩一緒に居ただけで立ち直ってしまったのだから、恋と言うのか其れとも愛の力とでも言うべきものなのか…。
何れにせよそれらによって生じた行為が失いかけた気を蘇らせたのである。
こうして二人の関係は続くことになるのだが、その流れがまた変わりそうなことが起こるのである。
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