第3話 メナシクルの一員に
此の地に連れて来られてひと月ほど経った或る日のこと。
オキクルミは漸く熊の檻から外への出入りが許されたのである。
それはコタンの入り口近くに一棟のチセを建てるに当たって、何故かオキクルミも参加させられることになった。
此れは酋長の命令によるもので、集落の年長者が中心となって若者たちの将来の為に強制的に動員して行われたものだった。
勿論オキクルミには監視が付いていた。
コタンの近くの樹林からチセ建築の材料を集めて来た。
チセに用いる材料は柱には水楢・栗の木等を使い、柱や桁・梁・垂木等は
これらは樹林の中にあり、榛の木等は裏の川沿いに百尺(三十メートル)位のものが沢山あったので間引くように切り出して来たのである。
用材は全て皮を剥いた。
そのままだと虫に食われたり腐り易かったからである。
土に立てる柱は腐らないように表面を火で焼いた。
家屋を立てる場合、江戸では大工と言う職人が居たが、此処では集落の者が総出で手伝って建てたのである。
その建て方はコタンによって違うようで、此処では柱を立ててから屋根組をするのが普通のようだが、今回のチセは小さい為、屋根を地面の上で組み立ててから柱の上に載せたのである。
初日はその屋根造りを行った。
幾ら小規模なチセとは言え、梁や垂木を組み合わせたものである。
屈強な若者たちが担ぎ上げるように持ち上げなければ載せられなかった。
男達がそうしてる間に女たちが屋根や壁に葺く茅を編んで居た。
特に屋根に使うものは雨漏りしないように確り揃えて纏めたものだった。
結束には部位によって違うが、ハラキカ(しな縄)や葡萄蔓を使った。
屋根を茅で葺く前に、アクッポクンペ(屋根すだれ)を全体に付けて行った。
その後下から上へと茅を葺き、出来上がると若者たちが声を掛け合いながら屋根を持ち上げたのである。
東側にはプヤラシクラプ(庇)が付けてあった。
壁面に茅を施し、内側にも茅を付けるのだが初日の作業はここまでであった。
二日目、東側にロルンプヤラ(神の窓)を造り、南壁に二箇所、西寄りにポンプヤラ(小窓)をつけた。
次に梁から吊るす棚トゥナを付ける。
これは肉や魚、山菜を乾燥保存する為のものでその下には囲炉裏が掘られてあった。
そのアペオイ(炉)だが、火山灰若しくは砂を入れてイヌンペという縁を付け、砂の上に枯葉を入れてさらに砂を入れ出来上がった。
それは略中心に造られた。
内側の壁に
囲炉裏の周りには草を敷いた後、ソ(床)に草や茅を敷いて踏み固め簾を敷いたのである。 簾は窓にも付けた。
出来上がってみると、コタンの中では小さなチセと言えた。
小屋の中は半分から手前に炉を設けて、窓が横に二か所と奥に一か所の合計で三か所であるが、これは倉庫を除けば略同じ造りと言えた。
違いと言えば大きさ位であろうか…。
完成後、オキクルミは酋長よりここを住まいとするよう皆の前で申し渡された。
子のチセの建設作業が始まって間もなく、熊の世話係のラヨチが作業から戻ったオキクルミの収容されている檻にやって来ると、
「その臭い衣服を脱いでこれに着替えて」
と、彼らの衣服である樹皮で作ったチカルカルぺという単衣を置いたのである。
言われてみれば、身に着けている小袖や裁着袴は、難破して以来川で数回水洗いしただけであった。
「良いよ別に取り替えなくても」
「その臭いで病魔が寄らないから良いかも知れないけど、病魔より先に周りの者がいかれちゃうわ」
一緒に作業した者達が汗臭さに閉口したようで、監視役のラヨチの息子のカイが母親に訴えたようだった。
余程臭かったに違いない。
下帯まで剥された序に体も洗ったのである。
チカルカルぺは監視役のカイの父親が着ていた単衣だが、オキクルミと背格好が同じとみえてピッタリして着心地は良かった。
オキクルミは着物と違って裏地が無いことと、袖口は狭いが軽いので腕も振り易かった。
「ラヨチ、カイ、イヤイライケレ(有難う)」
オキクルミは世話役のラヨチと檻の外に居る監視役の息子カイに礼を言うのだった。
そのカイの父親はカイが生まれて間もない頃に起こった和人との争いで亡くなったのだと聞いた。
オキクルミと呼ばれているが自分も和人の一人で、ラヨチにすれば憎むべき和人を世話しなければならない立場にあっては複雑であったに違いない。
そして今また夫の衣類を和人に供した心の内は如何なものであったろうか……。
こうしてオキクルミはチカルカルぺを着て作業したのである。
それを少し離れた所で見ていた監視役のカイは、何故か記憶に薄い筈の父親を見ているような感覚に捉われていた。
それは母親のラヨチも同じであった。
オキクルミの世話をするようになって、況してや亭主の衣服を着て集落の者達と作業する和人にその面影を映していたのだった。
ラヨチはオキクルミの檻の中で着替えさせる時、素っ裸にして替わりの物を手渡したのだ。
その時確りとオキクルミの《チ》を見た。
顔立ちにしてもそうだが、如何やらオキクルミと亭主は何処となく雰囲気が似ているらしく、在りし日の亭主と重ね合わせて見ているようだった。
そんなことから終いにはチカルカルぺを後ろから着せてやったりして、背中にあるモレウという渦巻文様を指でなぞりながら、
「これは魔除けなの。きっとあなたを護って呉れるわよ」
と言ってラヨチは尚もオキクルミの背中に指を這わせ続けると、今度は行き成り両の手を前に回して腹の近くで広げると、その指先を下へと這わせ、若さを漲らせた《チ》をそっと握りしめたのである。
勿論近くにカイの姿はなかった。
亭主を亡くして十数年経っていたので、ラヨチはその感触を思い出してはいたが、この時は自制心が働いてそれ以上のことは無かった。
子熊の世話係のラヨチがオキクルミの世話までしていることはコタンでは酋長の命令として承知していたが、次第に必要以上に親しくなっている様が見受けられるようになったのである。
オキクルミが檻に入れられている時までは良かった。
チセが完成すると、そこがオキクルミの住居として宛がわれて完全に自由の身となったので、身の回りのことは他の独り身同様自分でしなければならなかったのだが、ラヨチが相変わらず世話係のようにして出入りしたのである。
時に息子のカイも一緒に来ることもあったが、殆どラヨチ単独で来て洗濯物を持ってチセを出入りしていたのだ。
単に洗濯物を取りに或いは置きに来たにしては滞在時間が長かったのである。
時に夕食の支度でもしているのか、煙が立ち上ることもあった。
そうしたことが周りの者達の眼には不自然に思えたに違いない。
コタンの裏には川が流れていて、そこには洗濯場が設けられていたから、独り身の者でも何時でも洗濯できたにも拘らず、オキクルミが洗い物している姿を見たことは無かったのである。
そこに余計な憶測が生まれ、あらぬ噂が立ったとしても仕方なかった。
それは酋長やアベナンカの耳にも入った。
酋長はオキクルミを呼ぶと戦士としてイリワク(兄弟)のムカル(斧)に預けた。
アベナンカのアチャポ(叔父)であった。
その時オキクルミが海岸に漂着した時に付けていた大小の刀を後で返すと言うのだった。
「オキクルミよ、お前はシサムではなくメナシクル(アイヌ)の戦士として大戦士ムカルの下で力を発揮して貰う。
武器はタム(アイヌ刀)よりか自分の物の方が良いだろう。太刀は腰に差すようなので衣服はそのチカルカルぺでも何でも良いから身に着けるが良い」
酋長はそれだけ言うと大戦士ムカルと大屋根のチセに向かって去った。
するとラヨチが走り寄って来るとコタンコロクル(村長)から預かった武器を取りに来てと言うのだ。
熊の檻の傍にあるラヨチのチセに行くのは初めてであった。
檻の前に行くとへペレ(子熊)のルホロがクゥクゥと甘える様に鼻を鳴らす。
「後で上げるから待っていな」
まるで親子であった。
オキクルミが入り口で待って居る時、熊の檻とは反対側に牛小屋があるのを見た。
中に二頭の牛が居た。
この牛の世話もどうやらラヨチがしているようだった。
「中に来て」とラヨチが呼んだので入ると、
自分のチセより大きく広かった。
「これどうかしら」
ラヨチは筒状の物入れに仕舞い込んである亡き夫の衣類を出してオキクルミの体に当ててみる。
「お古で悪いけどあなたに着て欲しいの」
ラヨチは新たに二着チカルカルぺを選んで置いた。文様は何れもモレウ(渦巻文様)で故人の好みであった。
それと着物と袴もその横に置く。
「この着物よりこの方が軽いし、然も袖口が狭く腕が振り易いので良いよ。これに帯を巻けば大小の太刀が挿しやすい」
「見せて…」
ラヨチは帯をオキクルミに手渡すと、その締め方をじっと見ていた。
「其れも取って」
オキクルミは裁着袴を穿くが、チカルカルぺが長い為股の部分がすっきりしなかった。
それを察したラヨチは、オキクルミを立たしたまま囲炉裏の炭の燃えカスを取ると、後ろに回って茣蓙に膝を付いて両手を両脇の開いてる部分から差し込んで、チカルカルぺの前と後ろの長さを手繰って印を付けた。
袴を下げて前後を見ると、丁度股の下辺りに線状に炭が付いていた。
ラヨチはその線より少し下の膝辺りの高さに折り曲げるとそれを脱がして隅にある台の上に広げて刃物で裁断したのである。
「こうすれば邪魔にならないでしょ」
〈確かに〉
下帯一枚のオキクルミは感心するように眺めて居た。
するとラヨチは、
「其れも洗うから取って」
と言うのだった。
「いま?」
「そうよ今外して」
裸体を晒すのは初めてでない筈なのに、オキクルミは渋った。
それというのも袴の中に手を入れられた際、その手が上下したことで《チ》に触れた為反応してしまったのである。
更には隅で膝丈に裁断するラヨチを真向いで見ていると、チカルカルぺが開けて、その奥にあるサマンぺを見てしまったのだ。
当然のことながらラヨチはその変化を見逃さなかった。
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