第2話 転生先は推し乙女ゲームの世界
「S01番、大丈夫か」
身体を乱暴に揺すられ、目を覚ました。頭の奥がズキズキして、キーンと耳が鳴る。指一本動かすことさえ億劫なくらい疲れ切っていた。ひと眠りしたいくらいのダルさ。寝たら死んじゃうのかな。でももう、抗えない。目を閉じようとすると、またも身体を揺すられた。救急隊員の方、なかなか手荒だ。辺りが暗いせいで、私を岩か何かと間違えているんじゃないの? そう疑いたくなるレベルだった。
「おい、S01番。聞こえているのか」
相変わらず私の身体を揺すりながら、男は誰かに声をかけている。S01? 最近の医療現場はスタッフをそう呼ぶんだね。個人情報保護のためかな? そんなことを考えながら、自然とおりてくる瞼を受け入れる。寝かせて。寝てる間に身体治して。
「S01番、S01番!」
ぴしゃっと顔に冷たいものをかけられた。水だ。ここまでくると流石にやりすぎ。こういうときってどうするべき? 録音? 動画撮影? もう遅い? 頭が混乱して、訳も分からず立ち上がった。
「あ、おい! 急に動くんじゃない」
グイッと腕を引っ張られ、その勢いで尻もちをつく。
「ったく、どうしたんだよ。頭打っておかしくなったか?」
徐々にクリアになっていく脳内で、けたたましく警鐘が鳴り響く。ここはどこ? 私は誰? 記憶喪失ものでよく聞いたセリフが、私の口からこぼれ出た。近くにいた男が深いため息をつく。今すぐ吸ってそれ、吐きたいの私だから! 不安がぐんぐん大きくなって、今に私の身体から飛び出してきそうだった。落ち着こうと思えば思うほど、心臓はバクバク暴れ出す。待って、ちょっと整理しよう。私はフツーの会社員で、あの夜に限っては世界で一番幸福な会社員だった。『Sweet Happy Destiny』の2が出るって発表があって。嬉し泣いて、それで……。そうだ、階段から足を、
「灯りつけろ」
パッと目の前が明るくなった。何度か瞬きを繰り返してやっと、光に慣れる。とはいえ、慣れたのは光にだけであって。置かれた異常な状況にはまだ理解が追いつかない。目の前には1人の男性。黒髪短髪、黒装束。キリッと涼しげな目元。つんと尖った口。不機嫌そうに見えるのは気のせいじゃないだろう。腕を組んで、落ち着きなく人差し指をトントン動かしている。私の上司、山本課長を思い出す。あの人も怒っているとき、トントンやるんだよね。あれだけはイヤだったなあ。思わず苦笑すると、ギロリと睨まれた。すみません。気を取り直して、向こうが黙っている間に周囲を観察する。何もないだだっ広い部屋だ。目の前にいる男性の他に、2人。同じような黒装束に身を包んだ人がいる。目深にかぶったフードのせいで顔は見えない。
「S01番、目は覚めたか?」
視線が自分に戻ってきたのを確認してから、男性は口を開いた。明らかに私に向けて言葉を発している。ということは、私がS01番? 誰かと勘違いされているみたいだ。身分を証明するもの、真っ先に浮かんだのは社員証だった。確かポケットの中に入れたハズ。それを出そうと、腰元に手を当てる。……ない。社員証どころかポケットがない。そのとき初めて、自分の格好を見た。白のブラウスにお気に入りの花柄スカート……じゃない。黒装束だ。前にいるボスらしき男性と、お仲間の2人と同じ。
「まだ混乱しているようだな。相当打ちどころが悪かったんだろう」
1人納得したようにうなずくと、男性はくるりと踵を返した。向けられた背に、見覚えのある紋章。ドクンと大きく心臓が跳ねた。あれはだって、そんなまさか。
「推しの、」
『Sweet Happy Destiny』に登場する悪役令嬢、レゾイア様の紋章。間違いない。何度もトレースして、描けるまで練習した夜を思い出す。つまりここは、『Sweet Happy Destiny』の世界? にわかに信じがたい話だけど、それ以外に考えられない。『転生したら推し乙女ゲームの世界でした。~推し悪役令嬢の親衛隊として、幸せに暮らします~』的な……。
「何をボーッとしてるんだ。医務室へ行くぞ」
「え、あ、はい!」
「……やっぱり重症だな」
重症? とにかくついて行こう。後ろの2人に道を譲ろうとすると、その内の1人に背中を押された。私が先頭じゃないとダメらしい。転生先は推し乙女ゲームの世界、それは分かった。だけど、自分の立ち位置が分からない。親衛隊のモブ1とか?
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