第177話 激戰

◆◇◆◇◆




「互いに、礼」


 全国高等学校総合体育大会 剣道――インターハイ。


 女子 決勝。


 アリスと、みずきの視線が絡んだ。

 ――白線で四角形に囲まれたその場は、いっそ聖域にも見える空間だった。何人たりとも冒せざる様な。

 その場所を観客の誰もが、固唾をのんで見守っていた。


 審判の声がかかる―――。


「はじめ!!」


「ヤアアアアアアアア!!」

「タアアアアアアアア!!」


 ―――二羽の猛禽、再び相打つ。


 観客がざわ付きはじめる。


「決勝二人共、神奈川だよ。どうしちまったんだよ、今年の神奈川は」

「しかも両方、無名校とか・・・」

「でも立花 みずきは全中の優勝者だし、八街 アリスも全中ベスト8だし」

「選手の方は無名ではないのか。だけどじゃあ、八街が分が悪いか?」

「いや八街は、あの白泉に勝っちまったんだぜ。立花は白泉に1回も勝ってないし」

「そうかじゃあ、八街の方が有利か?」


 そんな言葉が囁かれる中。

 アリスは一瞬、たじろぎそうになる。


(――今までのみずきは―――本気じゃなかった)


 八街 アリスは目の前に現れた巨大な壁に、戦慄した。


 アリスは、みずきの隙を見る・・・・だが今のみずきに隙なんて、何処にもない――微塵もない。


(どこに打ち込んでも、返り討ちにされる!)


 試合を終えて、面を取った白泉もみずきの変容に震えていた。


「超えられたでござる・・・今のみずきには拙者では、敵わないでござる・・・・一体なぜこれほどの――そうか―――!」


 中学時代、白泉にあって、みずきに無かったもの。

 それは、命を掛けた闘争の中に身を置くという行為。


「初めたのでござるか、フェイテルリンクを」


 白泉は、3年と半年前からフェイテルリンクにいた。

 命を掛けた実戦の中で、あらゆる感覚が研ぎ澄まされていた。

 だから中学生のみずきは、白泉に勝てなかった。

 しかし――みずきが実戦に身をおいた、今。


「――拙者は、もう・・・二度とみずきに勝てぬかもしれぬ」


 アリスが息を呑む。普段のみずきからは感じられない圧力。

 同時に、静かな湖面のような雰囲気。


 アリスには頂上が見えないほどの泰山と同時に、無限に広がる湖面が幻視されていた。


「こないの?」


 みずきの静かな言葉。

 そこにはかつてのような、諦めは無い。

 ただの挑発。本当に仲のいい友人に対する戯れのような軽口。


「面白いこと言ってくれますね」


 アリスが息を整える。

 恐れるな、恐れて相手を見失うな。


「もちろん行きますよ。だって、それがわたしの剣道ですから!」

「じゃあおいで! 貴女のことごとく全てを、打ち破ってあげる!!」

「せいぜい舐めないで――くださいね!?」


 アリスが送り足で踏み込む。


 みずきの姿が消える。


 稽古では、辛うじて見えていたみずきの姿が――今、完全に消えた。


 今までの練習では見えていた――なのに、もう全く視えない!


 アリスは鋭く察知する。来る――本気のみずきだ!!


「入れ、ゾーン!!」


 対してアリスも、みずきに動きを乱されないように、自らのペースに入るためにゾーンに入る。


「スウの真似で良いの?? ――貴女じゃなくていいの??」

「スウさんが、本当のわたしを開放する方法を教えてくれたんです!!」

「なるほど、ゾーンや明鏡止水で自分になる訳か。なら自分を使いこなす所をみせてよ!!」


 打ち合わされる竹刀。

 根本を合わせて、鍔迫り合い。


「ぐ―――」


 アリスが全力でみずきを押すが、ビクともしない。


「ふふっ、どうしたの? アリス」

「動かない――!?」

「当たり前だよ。いつまでも、わたしを単純な力で押せると思った?」

「みずき、貴女―――こんなの隠してたんですか!!」

「確かにわたしは今まで、貴女の学校に何度も出稽古をしていた。――だけど、手の内を全て晒すわけ無いじゃない、よもやインターハイで〝最後にぶつかる相手〟に!」


 みずきがアリスを押し返す――アリスに襲いかかる、反発力。

 みずきは地面の反発を、限界まで逃さず太刀に乗せてアリスに襲いかかる。

 ――〝地球の重み〟がアリスの太刀に伝わった。

 みずきが、さらに踏み込む。

 地面が襲ってきたような重みに――地震のような圧力に、アリスがたたらを踏む。


「アリス、わたしにはもう力押しは通用しないよ。対して貴女はどう? わたしの見えない動きを克服できた?」

「そうですね。確かに、さっきのみずきの動きは、わたしには見えなかった」

「なら、わたしのほうが一枚上手ってことになるね」

「でも――」


 みずきが異変に気づく。


(え―――)


「面ェェェェェェン!!」


 みずきの面に、アリスの竹刀が衝突する。

 だが――審判の旗が〝下げて〟振られる。

 十分な威力がない、一本ではないという印だ。


 しかし、みずきは驚愕を覚えていた。


(なに――。何をされた、今!!)


 まるで、かつてアリスがみずきに抱いた様な感想を胸にしていた。

 アリスの姿が一瞬消えたと、みずきには感じられたのだ。

 アリスが悔しそうに顔をしかめた。


「一本にはなりませんでしたけど、どうですか。わたしも自分なりに考えて、見えない動きを体得させてもらいましたよ」

「わたしを真似たの?」

「いいえ、自分で考えました」

「自分で考えて、至った?」

「そうと言えば、そうです」


 みずきが笑う――「この人は、やっぱりすごい」と。


タネは?」

「教えると思いますか?」

「だよね――でも、立花流と同じ理合は感じた」


 だからみずきには分かった、アリスのしたことが。

 恐らくアリスがしたことは――謂わば〝よそ見〟。

 ただし、本当によそ見をするのではない。

 人間には眼の前で突然よそ見をされると、一緒に同じ方向を見てしまう習性がある。

 アリスはこれを利用した筈だ。

 けれど視線を完全にみずきから離したわけじゃない。みずきから目を離したりすれば、みずきの思うツボだ、目を離して許される相手ではない。

 だとすれば、アリスがしたのは「視線を合わせたまま、相手の後ろを見る」だ。

 ほんの僅かな視線誘導。その一瞬、刹那の一瞬、相手の意識が途切れた瞬間を狙って、素早く上段を叩き込んだのだ。

 みずきも、これをする。

 いや、もっと高度に洗練された方法で行う。例えば突然相手の背後になにか危険があると言う思念を送ったり。

 相手の目を見ていたのを突然――相手の背後、千里の彼方を見るようにしたり。


 これは、みずきの姿が消える術理のほんの一部だ。


 みずきの姿が消えるのは、他にも様々な要素の総合。


 だからアリスがやったことは浅いし、荒が有る。


 でもみずきは、驚嘆せずにはおれなかった。

 この発想に至ったことが凄い。

 みずきでは、立花家の理合いがなかったら一生思いつかなかっただろう。

 アリスは単独で、その理合いに気づいた。

 みずきが胸に畏敬の念を抱きながら、だからこそ不敵に笑う。


「じゃあ、さらなる技を出させてもらう」

「えっ、まだ上があるんですか!?」

「そう、わたしはこんなもんじゃないよ」


 アリスは焦る――さっきのが、みずきの本気だと思っていた。

 さきほどのみずきですら、恐ろしい技を繰り出し続けてきた白泉よりも恐ろしい雰囲気があった。

 それをまだ上回るとみずきが宣言した。彼女は今まで、戯れに嘘を吐くことはあっても、大事なことで嘘を吐いたことがない――特に、剣においては。だから彼女は本当にまだ強くなるのだ。


 ―――アリスの視界で、みずきの様子が変わる。


 みずきの姿が、強くなり、弱くなり――いいや強弱じゃない。

 消えて、現れを繰り返し続ける。


(――こ、これは、白泉さんがやってきた技。なら太刀を見失うな!)


 しかし、白泉は首を振った。


(ちがう八街どの、それは拙者もできぬ技!)


 アリスが見よう見ようとしていると、アリスの斜め前、みずきの居ない筈の場所から竹刀が伸びてきた。


「え――」

「胴ォォォォォォ!!」


 爆発したような音がして、体育館に反響した。


「い、一本!!」


 アリスが瞳を揺らす。


「――う、うそ――今の――残像を残して、何もない場所から攻撃してきた!?」


 存在の強弱でリズムを見せ、相手が必死で感じ取ろう、対策しようとすると。

 そもそも、全く別方向から攻撃を仕掛ける。

 相手に〝やってはいけない対策〟を強いる剣。

 極限にまで危険な技の対策に焦っていると、それがそもそも囮という残酷な剣。


「そう。秘剣、残影剣。わたしも出来るようになったのは、最近だけどね」

「あ、あは・・・あはは・・・あはははは」


 もうアリスは笑うしか無かった。

 「ニンジャか、この人は!」と。

 だが、アリスにとって試合は不味い流れだ。

 みずきに一本先取された。

 このまま、もう一本を取られたら、終わりだ。

 アリスはここから、二連取しないといけない。

 この滅茶苦茶な相手に対して。




 アリスにみずきの姿が残像に視えた頃――涼姫には、みずきの姿がアリスの正面から斜め前に移動する姿が見えていた。

 だけど彼女の目にも、


「ぶ、分身の術?」


 みずきの技は、意図とは違うものの効力があった。


 涼姫の隣に座る紳士が、少し呆れながらも、驚嘆の声を漏らす。


「すごいな。アリスの前に立つ剣士は、立花さんと言ったかな?」


 驚嘆しながら首を振った紳士の様子には、どこかアリスを思わせる温かさがあった。

 

 涼姫はいつも頼っているアリスに似た紳士に、思わず尋ねる。


「アリス、大丈夫でしょうか・・・・? いや、私にはみずきも大事で・・・・どっちを応援したら・・・!」


 紳士は微笑むだけだった。

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