第176話 準決勝終了

 言われたアリスは、避けたものの。この僅かな攻防で何分も全力疾走をした時の様に心臓が早く打っているのを感じた。

 突然眼の前に現れた、おばけを見たような心境である。


「な、何者なんですか貴女!!」

「何者? ――そうは言われても、ただの高校2年生の女子でござるが・・・」


 絶対に違う! ただの女子高生なんかじゃない。

 絶対に、立花流の関係者だ。

 アリスは叫びたい衝動に駆られたが、試合中にそんな事はできない。


「――まあ、見えているなら、それはそれでこうするまで」


 白泉の左右の太刀の先が、ゆっくりと揺れ始めた。


「な――に・・・?」


 かすかに、踊るようにリズムを刻む太刀。


 ターン ターン ターン


「なにをするつもりなんですか・・・・」


 アリスは、白泉の奇妙な太刀の動きに困惑する。


 ターン ターン ターン


 繰り返されるリズム。


「一体なにを」


 タ


 突如、踏み込み。


「小手ェ!」


 アリスが反応する暇もなく、アリスの右手首に白泉の太刀が叩き込まれていた。


「一本!」


 白泉、一本先取。




 立花 みずきは親友が一本取られたことで、歯噛みをした。


「不味い・・・・崩し――それも〝拍子を崩してくる〟相手への対応を、アリスは知らない」


 人間は一定のリズムを刻まれると、そのリズムに慣れてしまう。

 慣れたリズムを突然崩壊させて攻撃されると、人間は対応できないものだ。


「アリス、相手のリズムに呑まれちゃ駄目」


 鈴咲 涼姫が額の前で手を組んだ。


「負けないで、勝って。神様、アリスを勝たせて下さい」


 会場にはみずきと涼姫以外に、アリスを見つめ「勝って欲しい」と願う視線がもう一つあった。

 視線の主は、金髪の紳士だった――彼は静かにアリスの戦う姿を見つめていた。




 白泉 結菜を視るアリスの目の前が、暗くなる。


「一本取られた?! ――ここからあの相手に2連取? どうやって―――!」


 アリスは、以前みずきに感じた途方もない壁を、この白泉 結菜という少女に感じた。 


「いや――ちがう!!」


 アリスの心は、以前ならここで折れ掛けていただろう――だが、今のアリスは以前とは違う、こんな事では挫けない。

 もう相手の幻影に迷わない。

 眼の前の人だって、ただの女の子だ。


(なんなら、スウさんの方がもっとヤバイ! ――あの人に比べたら、ずっとマシだ!!)


 心で叫んで、眼の前の女の子に向き直る。


「ほう、拙者を恐れぬでござるか。大した胆力でござる。よほどの修羅場をくぐったか――或いは、拙者のような化け物に日常的に接しているか―――どちらにせよ」


 ターン ターン ターン


(太刀をまさかあんな使い方をしてくるとは思わなかった。しかし、あの太刀が拍子を刻むなら見ないようにすれば良い)


 アリスは、とにかく相手の二本の太刀を意識しないようにした。

 しかし、


「なにこれ・・・っ」


 無理なのだ、どうしても太刀の動きが意識に潜り込んでくるのだ。


「無駄でござるよ。見えないようにする技術があるなら――当然裏返して、見せる技術もあるのでござる。そして我が流派の技が見えれば見えるほど、裏返された見せる技術からは逃れられない。そして――」


 ターン ターン ター


 白泉が、とびきり反応し辛いタイミングで踏み込んでくる。

 正気の沙汰ではないような、化け物的な速度で加速された、白泉の体。


「――拙者を超える化け物など、おらぬでござるよ!!」


 片手で振るわれているとは思えないほどの鋭い長竹刀の動き。モーションキャンセルでもしているかのように、竹刀の重さを感じさせない振り。

 アリスには、どうすれば片手でこんな〝起こりが見えないほど素早い面〟が放てるのか想像もつかない。

 しかしとにかくアリスは、理解できる範囲で考えを修正した。

 白泉の片手上段を、〝普通の片手上段などと思ってはいけない〟。

 あれは両手の上段と遜色ない――どころか、一般人の両手の上段より疾い。


「突きぃ!!」


 白泉の竹刀が、アリスの喉元に伸びてくる。これで決まりそうな一撃。

 ――だが、一つだけアリスの脳裏に対策方法が浮かんだ。


「入れ、ゾーン」


 アリスの瞳から光が失われ、さざ波を起こしていた心が静まり、まるで水鏡のようになる。

 すると白泉の小太刀が生み出すリズムによって、鎖のように縛られていたアリスの心が液体のようになり、鎖をすり抜け開放された。


 心を自由にしたアリスが自分を取り戻して、体でも自由な動きができるようになる。

 そうしてアリスは、白泉の長太刀を〝躱せた〟。


 アリスは、他人の感情が読めるほどのギフトにより、ずっと近くで見てきた〝彼女〟を真似たのだ。


 アリスだって、立花との戦いで明鏡止水を経験している。

 その後も何度か、明鏡止水を経験済みだ。


 彼女にとってこれが明鏡止水なのか、ゾーンなのかは分からない。

 ただ、大好きな人に習った。――真似たのではなく、習った。


「む!?」


 アリスの動きをみた白泉が唸る。


 二人の試合を見ていた立花 みずきの口を衝いて出る言葉。

 アリスの動きはまるで――


「スウ?」


 アリスの動きがまるで、スウが弾幕を寸前で躱すときのような動きに見えたからだ。

 アリスが、静かに宣言する。


「白泉さん――貴女は間違ってます。居ますよ、貴女より恐ろしい化け物は、すぐそこに―――」


 白泉の伸び切った腕、躱されないと思ったのか全力の突き。


「小手ェ!!」


 アリスが、白泉の腕を両断するかのようにまっすぐ竹刀を振り下ろした。


―――ッ」

「一本!」


 白泉が余りの鈍痛に小手を抑えて、蹲りかける。


 みずきが顔を歪める。アリスの小手は、ものすごく痛いのだ――アリスの膂力であれだけ強く打たれたなら、自分なら泣く。


 しかし白泉は脂汗を吹きながらも、アリスを見上げて笑った。


「アリスどの、やりますな・・・拙者の拍子の崩しに惑わされないとは」


 白泉は、今の攻防で認めた。アリスという存在を。

 今年のインターハイで、いいや去年のインターハイも含め――白泉から一本を取れた者は、この人物ただ一人。

 八街 アリス。


(強い、この八街という選手は強い)


 白泉はみずきとの決勝まで、全力を出すに足る相手にはぶつからないと思っていた。だが突然の邂逅に、打ち震えるのだった。


 両者、白線に下がり再び竹刀を構える。


 そして両者、気炎を放つ。


「ヤアアアアアア!!」

「セイヤアアアアアア!!」


 アリスが闘志に火をつける。


(勝つ、勝つ、勝つ!! みずきと約束した、涼姫が見てる!!)


 白泉だって負けていられない。


(勝つ! さくらどのと約束した、さくらどのが見ている!!)


 両者、胸に抱いた思いを気迫にのせて咆吼として放つ。


「ヤァァァアアア!!」

「セイヤァァァアアア!!」


「アリスどの! では、これには対応できますかなッ!?」


 白泉の存在感が、強くなり、弱くなり、強くなり、弱くなる。

 見えると、見えない、を繰り返してリズムを繰り返し始めたのだ。


「なに・・・これ・・・」


 アリスが、困惑を口にした。

 立花 みずきが、白泉が出した技に顔を歪める。


「結菜――剣道の試合でそれを使うなんて、やりすぎだろう。それは秘密にしないといけない、秘技だ」


 こんな事をされれば、アリスは余計相手を見ようとしてしまう。

 見えない状態のほうが問題だと思うからだ。

 すると、相手に注意しすぎて太刀に注意がいかなくなる。

 特に見たくないと思っているリズムを刻む太刀には、注意が向かない。


 アリスは気づかなかった。自分が相手の太刀を全く見ていないことに。

 白泉が踏み込む。


(来た! ――)


 アリスはここでやっと焦る。


(――え、太刀は何処!!)


 気づいたときには、もう遅い。

 しかし、アリスが咄嗟に自分を取り戻す。


(駄目だ、相手のペースに呑まれるな!! 八街 アリス、お前は先々の先を取って――相手に自分を叩きつけて制する剣士だろう!!)


 自分のペースを、押し付けろ!!


 アリスが太刀を振り下ろす。

 もう相手の太刀がどこに有るかなんて、関係ない。

 ただ、パワーに任せて――全てを叩き潰すような勢いで。


 アリスの動きを、白泉は完璧に捉えていた。

 ただ予想外だったのは、相手のパワーだった。


 アリスの太刀を小太刀で受けた白泉の脳裏に、焦りが浮かぶ。


(重・・・い)


 小太刀では受けきれない、膂力りょりょく

 小太刀の救援に、長太刀を合わせてすら、抑えきれない。


 アリスが――相手の太刀の手応えに、太刀が存在する場所を知り反応する。


(あった、白泉さんの太刀!!)


 白泉は、大小を十字にしアリスの力を必死で抑え込もうとしている。

 だがアリスが放った突き飛ばしで、白泉の十字が崩れる。

 アリスの力を、不安定な二つの太刀では受けきれない。


「この―――っなんて力技をするのでござるか――!! ならば――秘剣―――」


 アリスは〝それ〟を見たことがあった。

 白泉は、アリスが〝この技を見たことが有る〟事を知らなかった。

 白泉が見せた秘剣の動き、それは。


(二刀流による、燕返し!!)


 リッカがフェイテルリンクのPvPの大会、決勝で見せた技だった。

 本来、初見ならば防げない。

 不意をつく4連続攻撃――初見殺し。

 だがアリスは初見ではない。瞬時に思考する。


(これは剣道だ、小太刀で一本を取るには重い条件がある。その条件は長い方の太刀で相手の太刀を完全に支配しないと駄目、さらに突進するような威力が必要。――相手は私のパワーに押され、引き気味だ。なら相手の小太刀での一本は、あり得ない。だから、小太刀は私の太刀を押さえに来る!)

 

 「小太刀に何もさせるな」主将の声が、頭の中で響いた。


 アリスは無理やり踏み込んで、自分の胴を相手の小太刀にあてる、勢いなどつけさせない。

 そうして小太刀から自分の太刀を離すように、上段の構えに移行。

 これでは白泉は、アリスの太刀を追いかけられない。


(小太刀の二連撃など、させない)


 小太刀が完全に封殺されて、白泉が焦りを憶えた。

 それでも白泉は、長太刀を振り下ろす。

 白泉から繰り出された、見事としか言いようのない鋭い面。

 だが、見事すぎる、綺麗すぎる。

 よく見える――見えすぎるほど見える。

 リズムも完璧すぎる。


 これをアリスが、スウのように躱し打点をずらす。

 白泉が驚愕する。


「なっ――躱した!? おのれ・・・ちょこまかと・・・・――だが」


 白泉の放つ本命――拍子をずらし、さらに消えるような動きで放たれた最後の一撃。

 見えやすい攻撃を餌として使い、見えない攻撃を潜ませ刈り取る秘剣――〝継ぐ木〟。


 しかしアリスは、白泉が取れる行動が少ないから見抜いていた。

 剣道なら、白泉が取れる攻撃は二択。

 下がりながらの引き胴。突進しながらの突き。――このどちらか。

 白泉の姿勢は下がっている。

 ここからじゃ白泉が、スウの操る戦闘機のように、まるで慣性を無視した動きでもしない限り突きはない。

 アリスの太刀が、手首で回転。

 白泉が口を開く。


「胴――」


 白泉には――人間の身体では、バーサスフレームの動きは――スウの真似事はできなかった。


「そんな及び腰の胴じゃ――」


 アリスは、読んでいた白泉の竹刀の動きを、自らの竹刀が弾く。


「――わたしには勝てません!!」


 アリスは、白泉の太刀を弾いた勢いで――太刀を、自分の身に纏うようにしながら旋回させる。

 上から振り下ろす。


「面ェェェエエエン!!」


 体育館に響き渡る、炸裂音。

 アリスの剛腕が繰り出した一撃が、白泉の面に真っ直ぐ叩き込まれた。

 面を突き抜けてくる衝撃を受けた白泉が、愕然とした。


「い、今の拙者の一撃が――読まれたでござるか・・・?」


 白泉の瞳が、驚愕に見開かれ、その腕から小太刀がこぼれ落ちた。


「一本―――それまで!!」


 アリスが、勝ち抜けた。


 涼姫の身体に、鳥肌が立つ。

 彼女は今の試合を一瞬たりとも見逃さなかった。

 そして身を震わせ感動した。

 真っ先に猛然と拍手をする。

 これを皮切りに、一気に拍手に包まれる体育館。


「すごい、すごいすごいすごい! ――こんな戦い、見たこと無い!!」


 観客も、驚愕を隠せなかった。「全国4連覇のあの白泉に勝った、とんでもないヤツが現れた!」と、「しかもそれが、大人気モデルの一式 アリスかもしれない」と。


 立花 みずきも嬉しそうに笑う。


「来たねアリス! ――とうとう、わたし達の舞台に上がって来た。この夏が始まる前は、私に10回に3回しか勝てなかったけど――今なら10回に4回は勝てるんじゃない?」


 みずきのオッズの見立ては6:4。


 立花みずきは、相手を過小評価しない、過大評価もしない。

 自分を贔屓もしない。

 正確に判断する。

 そのうえで6:4。

 ほとんど互角に近い。


「本当に楽しい試合、できそうじゃん」


 アリスの強さを見て、みずきは何か自分の中から今までにない熱が湧いてくるのを感じていた。


 拍手をしていた涼姫が、ふと観客席を見回した。涼姫は今日、何度も何度もこうしてある人物をさがしていた――そして、やっと見つけた。


「やっぱり来てたんですね」




◆◇◆◇◆




 いよいよ始まるアリスとみずきの激突前、一人の少女が、金髪の紳士の側へ歩み寄っていた。彼女は尋ねる。


「もしかしてエリオット・テイラーさんですか?」


 尋ねられた杖をついて座っていた紳士は、少女を見上げた。


 カーリーヘアの若干、怯えた様子の少女だった。

 

 紳士は掛けていたサングラスを外して、頷く。


 顔に浮かべた年輪が、歳を彩っていた。


「いかにも、私はエリオット・テイラーだが。どうしてそれを?」


 少女はつっかえながらも、理由を話す。


「――き、きっと来ている筈だと思いました。そしたら会場に外国人さんが一人しかいない上に、ご年配の方なので・・・間違いないと」

「アリスは気づいていない様子だけれど――君は気づいた、と。なるほど―――そうか、君はあの配信の・・・アリスの友達か」

「はい。鈴咲 涼姫と申します――スウと言った方がいいですか?」

「アリスの学友として、鈴咲さんと呼ばせてもらいたい」

「はい――」


 ここで涼姫は言葉を切って、しばらく間をおいてから続ける。


「――それからもう一つ。私の母方の性は、市原と申します。祖父の名は市原 海」


 それまで物静かだった紳士の瞳が、急に瞠目した。


 驚きの表情を震わせている。


「カイ!? カイ・イチハラだって!? ――」


 そうして涼姫に誰かの面影を見て目を伏せ、手にした杖に体を預けうなだれた。


「――君は・・・・そうか。なんという運命だ」


 紳士は僅かな時間、何かを考えていた。しかし彼は、すぐに涼姫を立たせたままだったことに気づく。


「――失礼。お嬢さん、立ったままもなんだ――私の隣で良ければ、座っては?」


 すると、涼姫が顔を引きつらせた。


 実をいうと涼姫は、初対面の男性――それも外国の人ではるかな年上に、すでに対人力の限界突破をしていた。

 だがそれでも、涼姫は『話をしないといけないのだ』と意を決して座る。


 若干広めのパーソナルスペースを発揮しながら。

 だがエリオットはその事を気にしたりはしなかった。


 涼姫は、大きく深呼吸して動悸を抑え、とつとつと語り始める。


「私たちは今、夏休みなんです。なので私は先日、祖父の故郷に行ってみました。――行ってみたといっても、2時間位で行ける距離で、そこまで遠くないのですが・・・・。――そこで聴いてきました、祖父がなぜ急にイギリスを去ったのかを・・・・祖父がなぜ貴方との約束を破ったのかを」


 涼姫は、本当は〖サイコメトリー〗でこれらの情報を見つけてきたのだが、それは秘密にしておいた。


「そうか。カイは、なぜ?」

「・・・・ごめんなさい。それはまだ言えません。――アリスは貴方に認めてもらうために、努力してきたんです。だから貴方とアリスの問題は、アリスが解決すべきなんです。私が解決してはいけないんです――今日のアリスを観て下さい」


 すると紳士は、どこか悲しそうな、困ったような、けれど優しく穏やかな顔になって笑顔をくしゃくしゃにした。


「・・・・安心したまえ、私はその為にここまで来たのだから」


 この言葉に、涼姫は慌てて紳士を観た。


「・・・あっ――。で、ですよねー!?」


 紳士は「ふふっ」と笑う。


「あわてんぼうのお嬢さん」


 言って紳士はどこか遠くを観た。


「君は残酷だ――」


 言われて涼姫は、紳士の横顔を観る。

 その視線は、まるで遠い日の誰かの背中を観ているようだった。


「――君が一言語れば、この私の胸のわだかまりは溶けて消えるのだろう?」


 涼姫は少し戸惑いながらも、頷いた。


「はい、私は残酷です」


 遠くを見ていた紳士が、悲しそうに微笑む。


「本当に、君達は残酷だよ」


 やがて紳士は、遠い日を観ていた視線を〝今〟に戻す。そうして穏やかにアリスの後ろ姿を見つめるのだった。

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