第150話 憧憬
◆◇Sight:八街 アリス◇◆
夢を見ました。
日本にやって来て間も無い頃の記憶です。
「やーいキンパツ。不良だー!」
「ガイジンだー!」
わたしの見た目は、日本では大変珍しいらしく、近所の男の子に指をさされたりしていました。
まだ幼い頃です。
よくある話です。
わたしは、今でこそ「大事なお義母さんを、おじいちゃんに認めさせたい」なんて言っていますが、日本に来たばかりの頃は新しいお母さんへの接し方が分からず、家に居づらくて。
その日も近くの公園で、ブランコに揺られていました。
するとその日は、調子に乗った男の子が、わたしの頭に墨汁を垂らしたんです。
男の子達は「これでキンパツってイジメられないぞ!」「俺ら、ヤッサシー!」と大笑い。
これには、流石のわたしも大泣きしてしまいました。
「お姉ちゃんが、お父さんに頼んでくれて、買って貰えた服が・・・!」
大事な大事な白いワンピースが、墨汁の液で汚れてしまいました。
これ以上ワンピースを汚さないために、わたしはブランコを降りて急いでワンピースを脱ぎました。
でも長い髪のせいで、脱ぐ時にワンピースは真っ黒になってしまいました。
男の子達が騒ぎ出しました。
「こいつ外で服脱いだぞ、フリョウで、ヘンタイだー!」
「ヘンタイだー!」
わたしはもう、男の子達の声なんかどうでもよく、黒い染みだらけになったワンピースを見て泣くことしかできなくて、公園の地面に崩れ落ちてしまいました。
(きっとこれは罰だ、あの優しいお母さんと上手く馴染めないわたしへの罰だ。わたしは、どうして今日も公園に来てしまったんだろう。わたしは、どうしてお母さんに悲しい顔をさせてしまうのだろう)
後悔と自責の念で動けず、ただただ涙を流していると、何かが優しく肩に掛けられました。
見れば、春物の薄手のピンクの上着でした。
「だ、大丈夫?」
声に振り向くと、カーリーヘアをポニーテイルにした女の子。
何か、ひどく怯えた感じの女の子でした。
「うわっ、天パだ!」
「すずさ菌だ!」
どうやらカーリーヘアの女の子が、わたしに上着を掛けてくれたようでした。
「あ、駄目・・・・上着、汚れちゃう」
わたしが女の子の服を心配して返そうとすると、彼女は私の手を押さえ、目をつむって首を振ります。
「大丈夫。――あなたのそのワンピース、大事なものなんでしょ?」
「え・・・っ。う、うん・・・・お姉ちゃんが・・・お父さんに頼んくれて買ってもらえた服」
言った瞬間でした、カーリーヘアの女の子の目が変わりました。
それまで怯えたような瞳だったのが、急に目から炎が吹き出したかのようでした。
彼女は男の子たちに向かって、口から炎を吐くかのように怒鳴ります。
「―――お前ら!!」
先程までの怯えた様子からは考えられない、女の子の大声。
「
カーリーヘアの女の子の大喝に、男の子二人が怯えます。
「――お、怒った?」
「あの、鈴咲が怒った!?」
すずさき? 彼女の名前?
すずさきちゃんはブランコに走ったかと思うと、男の子たちから遠い方のブランコを振り子のようにして男の子たちに投げました。
「うわ、あぶねぇ」
「コイツなにして!」
さらに男の子たちが逃げようとすると、男の子たちに近い方のブランコに走って飛び乗り、1漕ぎで宙高く上がりました――そして、そのままブランコを飛び降りて――、
「え、危―――!!」
――放物線を描きながら、男の子の頭に足を落としました。
男の子が、物凄い勢いで後ろに吹き飛びました。
すずさきちゃんも着地に失敗して地面を転げます。
すずさきちゃんは一応手加減をしたようです。あのまま、カカトを落とせる姿勢だったのが足で押す感じにしたのだから。
尻餅をついた男の子が、泣き出します。
「いてぇ、いてぇよぉぉぉ!! わぁぁぁん」
「な、ななな、すずさ菌お前なにすんだよ!!」
す、すごいあんなに細い体なのに、手加減しても男の子たち二人をやり込めてしまった。
「お、お前こんな事して・・・お前のオヤに言うぞ!」
無事な方の男の子が怒声を挙げますが、すずさきちゃんのさらなる怒声。
「言えよ! こっちは今から、お前らの親に言いに行く。――そしてきちんとクリーニング代を出させる!!」
一人の男の子は わんわん 泣いていますが片方の男の子の顔色が悪くなります。
「えっ・・・やめ」
すずさきちゃんは知ったことかという風に私を振り返り、わたしに優しく微笑みます。
「クリーニング屋さんなら、きっと墨汁も落とせると思うよ」
そんな言葉に、わたしは安堵しました。
その後、すずさきちゃんは有言実行。
相手の親に小学生とは思えないほど的確な説明で状況を話して、きっちりクリーニング代を手に入れました。
さらにわたしの髪を洗うために、お風呂も服も貸してくれました。
すずさきちゃんは、お母さんに「暴力は駄目」と怒られていましたが、わたしが「お、怒らないであげてください!」というと、すずさきちゃんのお母さんは太陽のように笑いました。
そうして、しょんぼりするすずさきちゃんの頭を撫でて、「でも、ま。―――偉かったぞ!」と、褒めていました。
わたしがお風呂を借りていると、外からすずさきちゃんのお母さんの優しい声がします。
「涼姫の服だけどいい?」
すずひ・・・それがあの子の名前。
そして表札には鈴咲ってあったし。
鈴咲 すずひちゃん。
わたしは彼女の名前を知って、絶対に忘れないと誓いました。
その後お風呂を出て、さっぱりしたわたしを見て、すずひちゃんが呟きました――
「綺麗な髪・・・・光の束みたい」
「綺麗な髪」なんて言われたのは初めてで、しかも「光の束」とまで言われて、わたしは照れて真っ赤になってしまいました。
さらにその後、クリーニング屋さんに行きました。
すずひちゃんは怒りが収まらない様子で、わたしに言います。
「アイツ等も馬鹿だよね。容姿でイジメられる子ってさ、だいたい美人の素質あるんだよ。大人があの子美人になるって言う子はさ、大体容姿をとやかく言われてる。――君なんて、その最たる例じゃん。アイツ等、絶対後で後悔するよ。未来で言ってやってね『わたし美人になったでしょ。よくもイジメてくれたね、アンタなんて大嫌い。後悔しても遅いから!』って!」
わたしは未来を想像して、ちょっと笑いました。
そして、数年後――、
あの時すずひちゃんが、わたしの容姿を褒めてくれたから、わたしはモデルになろうと思えたんです。
でもあの時思ったんですよね。容姿でイジメられてるって、すずひちゃんも当てはまるんじゃ?
「天パ」とか言われてたし。
あの時、わたしは「すずひちゃんも・・・可愛くなるよ」と言おうとしましたが、すずひちゃんを好きっていってるみたいで、恥ずかしくて。
言葉は、ついぞわたしの口からは出てきませんでした。
その日は「さよなら」して。その夜、わたしは「日本で初めて友達が出来た! これから沢山すずひちゃんと遊べる!」なんて思っていたのですが・・・・。
その後、すずひちゃんが公園に来ることは一度もありませんでした。
彼女は、親戚に引き取られたそうです。
わたしは淋しくて淋しくて、思わず涙を流してしまいました。あの頃は弱虫だったんですね。
「・・・・すずひちゃんに、かわいいって言いたかったな」
わたしはそんな後悔の念に囚われました。
けれど、彼女は爽波高校の入学式の新入生代表として、わたしの眼の前に再び現れるのです。
『新入生代表――鈴咲 涼姫』
(すずひちゃん・・・・!)
すずひちゃんの澄んだ、よく通る――まさに鈴が咲くようなソプラノが体育館に響きます。
『この春の善き日に――』
この再会は運命だと思えました。
すずひちゃんと、また会えた!
しかもすずひちゃん、入るだけでも難しい爽波高校の首席なんて、凄い!
入学式の後、わたしは壇上を上がるカッコイイすずひちゃんを何度も思い出し、感動に打ち震えました。
その後も、いつかすずひちゃんに話しかけようと、ずっと遠くから見ていたのです。
これじゃまるで、すずひちゃんを遠くから見てるキモイ女子ですね。
すずひちゃんの下の名前の漢字を知った時は、若干狂喜乱舞でしたよ。
「涼姫、涼姫!! ――涼しい姫、なんて素敵な名前!!」
いや、もう正しく、涼姫ちゃんを遠くから見てるキモイ女子ですね。
学校中の――先生すら、涼姫ちゃんの名前を間違ったりしていましたが・・・・わたしだけは絶対に涼姫ちゃんの名前は間違わないと、心に誓っていました。
そうしてあの日、自転車が壊れてわたしはモノレールに乗ります。
湘南モノレールが、あれほど恐ろしい場所だとは知らずに。
わたしが青ざめながら震えていると、視界で誰かがわたしの傍に立ちました。
見上げると、心配そうにわたしを観ていたのは、カーリーヘアの女の子。
(涼姫ちゃん!?)
わたしは思わず、すがるように彼女の服の裾を握っていました。
涼姫ちゃんはいつだって、わたしのピンチに現れる。
だけど涼姫ちゃんは、わたしの事をすっかり忘れていて。
だから、小さな頃の事は今はまだヒミツです。
でも再会した涼姫ちゃんは、昔のトラウマのせいか自分の容姿に自信がなさそうでした。
ならばわたしは、言うんです。
わたしが容姿に自信を持てるよう、涼姫ちゃんがそうしてくれたみたいに。
言い続けるんです。「かわいいね」って。
◆◇◆◇◆
「『知らない天井』というヤツですね」
わたし、八街 アリスが目覚めると、つなぎ目一つない天井。
〝そして天井自体が光る〟という光源が見えました。
明らかに、銀河連合の病室です。
「とりあえず、あの世という訳ではなさそうです」
「アリス!!」
すぐさまわたしに抱きついてくる、女の子が一人。
泣き崩れた顔が見えました、配信前にわたしがしてあげたお化粧がドロドロじゃないですか。
ちゃんとしていれば、涼姫ちゃんは可愛いんだから。
「涼姫ちゃ・・・・涼姫」
わたしが言い間違えそうになっているのにも気づかず、涼姫はわたしに抱きついて泣いています。
見回せば、みずきを始め、クレイジーギークスのメンバーにウェンターさん、アン姉さんにペンタポットちゃんなどわたしの知り合いの星の騎士団の人たち。
若干、病室の人口密度が高いです。
「アリス、アリスよかったよぉ!! アリスぅ・・・・」
姉が、先に涼姫にわたしに抱きつかれて、手をわたしの方に伸ばしたり引っ込めたり挙動不審な動きをしています。
わたしは姉に困った笑いを返して、涼姫に尋ねます。
「わたしは生きてますから、涼姫が助けてくれたんでしょう?」
涼姫が首を振ります。
「わ、私の力じゃ、アリスを持ち上げられなくて、命理ちゃんが」
「なるほど・・・・。あ、それにわたし、お腹を大怪我していたはずなんですが――銀河連合が?」
涼姫が、また首を振ります。
「危険な状態だったから、急いで〖再生〗で。――それに、銀河連合のデータベースっていうのが破壊されてて、アリスの肉体を再生できなかったらしくて。・・・・間に合ってよかった」
「そ、それは・・・・ありがとうございました。かなり危ない所だったんですね」
お腹の傷とか、死んじゃうような話ですし。
やっぱり涼姫は、何時だってわたしのピンチを救ってくれるんですね。
でも、本当に生きてて良かったです――だって、また言えるんですもん。
「涼姫、」
「な、なに?」
「かわいい!」
「わ、私、お化粧も化け物みたいになってるし、鼻水もでてるのに! ・・・・だから女の言うかわいいは信用できないんだよぉ!」
「あはは、涼姫は本当にかわいいですって」
「嘘つけ! 誰にでも〝かわいい〟って言うんでしょ、この女たらし!」
「涼姫にだけですよ。わたしが、こんなにかわいいって言うのは」
「嘘つけーーー! 顔洗って、お化粧落としてくるー!」
涼姫は頬を染めて叫び、病室を出て行きました。
わたしはちょっと苦笑いになります。
(涼姫・・・・いつか気づいて下さいね、自分の持つ・・・とびきりの素敵さに)
「――あっと、そうだ。早く視聴者さんにも無事を伝えるために、配信をしないと。皆さん心配してるでしょうし」
涼姫の背中を見送ったわたしは、視聴者さんに無事を伝える配信を始めました。
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