約束の絵本
異端者
『約束の絵本』本文
「将来……私の絵本に、絵を描いてほしいの」
それが、僕が幼い頃に彼女と交わした約束だった。
彼女は小さい頃から引っ込み思案で、教室の隅で本ばかり読んでいた。
僕は自分の席で絵ばかりを描いていた。
そんなある日、彼女は僕の絵をのぞき込んで言った。
「私の絵本に、絵を描いてくれない?」
「絵本?」
「うん、そう! 私、絵本作家になりたいの!」
彼女は堂々とそう言った。
そして「笑わないの?」とも尋ねた。
「笑わないよ。なりたいんだったら、なれば良いと思う」
彼女はそれを聞くと、笑顔で
他の生徒に話しても、そんなに上手くなれるはずがない――そんな「現実的な」意見ばかりだったそうだ。
僕は彼女の書いた物語を見せてもらった。僕自身に文才は無かったが、彼女には才能があるように感じた。
それから、いろんな話をした。どんな本にするか、何ページぐらいで、どんな子ども向けにするかとか――それは楽しかった。
しかし、小学校高学年になると、少し距離を置くようになった。
嫌っていた訳ではない。なんとなく、気恥ずかしいというか、話しかけ辛かったのだ。
それでも、僕は彼女が好きだった。好きなことに対して、目を輝かせて話す彼女は魅力的だと思った。
中学生の途中、彼女の家は父親の仕事の都合で遠方に引っ越すこととなった。
これを機会に、彼女とは少しずつ疎遠になっていった。
最初の頃は、手紙や電話でのやり取りがあったが、それも気が付くとなくなっていた。
それでも、僕は絵を描き続けた。絵を描くのは好きだった。それに、いつになるかは分からないが、彼女との約束を果たしたいという思いがあった。
中学、高校と美術部に進み、大学は美大に進もうかと思っていると両親からストップがかかった。
両親は美大になんか行っても意味がないと、僕に「現実的な」方向に考え直すように言った。もし行くというのなら、一切の援助はしない――そう言われた。
結果、僕はあっけなく折れた。行きたくもない大学に進学し、学びたくもない知識を学んだ。絵を描くことに意義を見出せなくなって、描くのをやめた。
そして、「現実的な」企業に就職をした。
仕事は正直、全く面白くなかった。興味も関心もないことを機械的に淡々とこなしていく。それはまるで自身が機械になったようにさえ思えた。
そんな時、彼女の母親から連絡が入った。
駆けつけた病院では、彼女は集中治療室に入っていた。もう随分前から、難病を発症していたのだとその時になって知らされた。
念入りに消毒を行った後、病室に入ると彼女が視線を向けてきた。
――約束を守れなくて、ごめんなさい。
その視線だけで、彼女がそう言っているのが分かった。
違う。守れなかったのは僕の方だ。描こうと思えば描けたのに、僕は絵の道を捨てた。
だが、僕はそれを伝えられなかった。伝えられないまま、彼女は死んだ。
「本当は、形見として手元に置いておきたかったけど、あの子がそうしてほしいって――」
彼女の母親は、A4サイズの封筒を手渡した。中を確認すると、彼女の書いた物語の原稿だった。
僕が諦めた後も、彼女は病室でずっと書き続けていたのだ。それなのに、僕は――
そう思うと、自然に涙がこぼれた。
「大切に……します」
そう言うのが、精一杯だった。
今、僕はリハビリと称して、絵の練習を繰り返している。
仕事の後だから、そんなに時間は取れないが以前の感覚が少しずつ戻ってきていると感じる。
それと同時に、出版をしてくれそうな会社を探している。
持ち込んで無理なら自費出版でも良いから、彼女と僕の絵本を出すのだ。最初で最後の合作を。
今のところ、いつになるかは分からないけど。
もう遅いかもしれないけど、彼女との約束を果たそう。
それが僕の、彼女との唯一にして無二の絆なのだから。
約束の絵本 異端者 @itansya
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