第3話 訪問(B1パート)模写力
玉置警視にはああ言ったが、模写を捨てるはずもなかった。
忍にとって窃盗から奪還するために描いた初めての模写である。まさに怪盗コキアの原点だ。手放すことなど考えられない。
模写をしげしげと眺めていると玄関のチャイムが鳴った。
ドアを開けると
「
「ええ、コレクションとは別に分けてあったのですぐに見つかりました。埃をかぶっていましたが」
「見せてもらっていいかな」
「かまいませんが、この模写は本物と比較したほうがよいと思いますよ。駿河、小学校に本物の所在を問い合わせて、まだ飾ってあるんだったよな」
「いや、以前のように廊下には飾っていないらしい。美術準備室に飾ってあって、美術部の児童に見せているんだそうだ。
「荒井先生か。まだ美術教師をやっているってことは、描くほうはもうあきらめたのかな」
「お前が引導を渡したようなものだろうが」
「小学六年生の絵だぞ。十年以上前の。大人があれに及ばないはずはない。きっと描かない理由があるんだろうさ」
「言われてみれば。芸術家にもいろいろな人がいるからな。捜査三課に配属されて多くの芸術家を見てきたからわかるんだけど」
「捜査三課にいると、芸術家と接点ができるのか」
「といっても、防犯教育や盗品追跡などで顔を合わせる程度だけどな。でも日本の大家や世界で名の知られている人とも会えるから、ミーハーな連中なら所属したがるかも」
「駿河はその点、美術には疎いからな。贔屓目なんてせずに作品を見られる。そういう冷静な視点が警察にも必要なんじゃないかな」
浜松刑事が頭を掻いた。
「こいつの場合は知らなすぎて困るんだがな。少しは美術品に詳しくならないと、先方に失礼があるかもしれん」
「駿河、精進しろよ」
「わかっているって。今日も画集を持ち歩いているんだから」
駿河刑事はカバンからしっかりした装丁の大型書籍を取り出した。
「へえ、日本を代表する画家の作品を集めた画集か。ちなみに母は載っているのか」
「いや、なかった。真っ先に調べたんだけど、故人は対象外みたいだな」
ということはこの画集は企業が仕事を依頼したいときに使うということになるのだろうか。
「義統の母親の作品はここにくればいくらでも見られるからな。載っていなくても問題ないだろう。そういえば、芸術家協会のトップが、怪盗コキアは義統じゃないかって言っていたな」
忍はすかさず反応した。玉置警視と同じ質問だったからだ。
「さすがにそれはないだろう。もしそうなら、母の絵の模写を持ち込まれた段階で本物の所有権を主張しているよ。それに実際怪盗コキアは本物を盗みに来る。その後の手際を見ると、怪盗コキアにとって母の絵の価値がわからないんだろうけどね」
浜松刑事が顎をひと撫でする。
「とんぶり野郎は義賊を気取っているのかもしれんな」
「義賊、ですか」
「ああ。どこかで義統コレクションの一部が強奪されたのを聞きつけて、現在の所在を明らかにしているようにも見えるな」
「そういえば、これまでの四枚のうち何枚かは僕に模写の依頼がまわってきましたけど、所有者が誰かも知れましたからね。交渉すれば買い戻せるかもしれません」
「つまり義統くんのためになる盗み方をしているんだ」
警察の見解なのか、玉置警視や浜松個人の見解なのかは定かではない。
だが、怪盗コキアの存在意義を考えると、そのくらいの深堀りはしなければならないのも確かだろう。
「もしそうなら、怪盗コキアは捕まえられないのでしょうか」
「いや、とんぶり野郎は少なくともいったん盗んでいるから窃盗なのは間違いない。だが盗んだあとに四度すべて所有者に返還していることを考えると、もしかしたら愉快犯なのかもしれんな」
「愉快犯ですか。所有者や警察がどう動くのかを見て楽しんでいるってことでしょうか」
「そう考えると、予告状を出したり厳重な警備に挑んだりする理由にもなりそうだ」
忍はあくまでも「本物が盗まれる」という状況を作ること自体を目的にしている。まさか警察に予告状を出す前、すでに本物と模写をすり替えているなど想像もしていないだろう。
「もしも、ですが。母の絵を盗むことで注目を高めて、母の絵を高値で売りつけようとする何者かの仕業かもしれませんね」
「そんな奇特な者がいるのか、義統」
「いるだろう。父のコレクションを強奪したやつらが」
そう、あの組織ならやりかねない。
「なるほど。確かに義統コレクションの一部を強奪したやつらは、せっかく奪ったものをできるだけ高値で売りさばかなければ得にならないな」
「怪盗に盗まれるほどの名画の作者として名が周知されれば、義統悦子の作品の値打ちが高まる。今、母の作品を持っている者が高値で売りさばくために怪盗コキアとして宣伝しているようにも見えますよね」
「ということは怪盗コキアは強奪犯の一味の可能性があるのか」
うまく思考をコントロールして、怪盗コキアの正体を忍から逸らせた。
「義統がコレクションを高値で売りさばきたい、ということはないんだろうな」
駿河刑事は面白いところを突いてくる。
「それなら自分の所有している絵を怪盗コキアに盗ませるのが筋だろうな。他人を巻き込む理由がない」
「義統くんの言うとおりだな。自分が所有する絵を盗ませて、取り返したものを高値で売る。普通に考えればそれが順当だ」
浜松刑事がどれだけ深く考えているのかはわからない。ただ、わずかでも忍に疑念が生じると立ちまわりがしづらくなる。
「怪盗コキアのことはいったん置いておいて。小学校へ行く面々だが、玉置警視が乗り気で、芸術家協会のツートップもぜひ見たいとのことだ。俺と駿河は義統くんと芸術家協会のふたりをつなぐ役目になるな」
「けっこうな人数だけど、小学校側は飲んだのか」
「代表電話にかけて美術教師を呼んで、本物の所在と訪問したい人物の名前を挙げたら二つ返事だったよ」
「場末とはいえ芸術家協会の上層部の名前くらいは知っているだろうからな。無下にもできないだろう」
「それで義統も一緒に来てほしいんだけど」
「急な話だな。とりあえず平日は仕事があるからな。夕方ならなんとかなるかもしれないが」
「玉置課長が先枚高校に連絡して、捜査の関係でお前の立ち会いが必要だからと明日の授業はチャラになったけどな」
「玉置さん、あいかわらずやることが大胆だな。あの人らしいけど」
「課長は抜け目がないからな。それに課長の言い分にも一理あるんだ。義統くんの昔の模写力を確認することで、とんぶり野郎対策として贋作を作らせることを芸術家協会のふたりに認めてもらいたいわけだな。贋作を取り扱うことは芸術家協会では禁忌だろう。だがとんぶり野郎を誘き寄せるためにも、例外で認めてもらえないか。
「そういうわけか。それなら明日先枚に連絡を入れて、小学校で合流しよう。芸術家協会のおふたりが満足できるレベルかどうかわからないけどな」
さすが玉置警視だ。偽物を作ること自体を芸術家協会に認めさせようというんだからな。
「ちょっと待てよ。それだと直近の贋作も見てもらったほうがよくないか。十年以上前の高校生の贋作なんて参考にもならないだろうに」
「ああ。だから小学校のあと、怪盗コキアの最初の被害者である高山西南さんのところへ行くことになっている。高山さんも贋作に救われているし、本物と贋作の二枚を持っているのは現在のところ怪盗コキアに狙われた四枚の所有者のみ。他の三名は忙しいらしくて段取りがつかなかったんだ。唯一オーケイをもらった高山さんには感謝しかないよ」
高山西南との顔合わせは危険な賭けに出るように思えた。
(第1章B2パートへ続きます)
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