継ぎ接ぎだらけの君に向けて

@chatnoir_0321

継ぎ接ぎだらけの君に向けて

<1>


 胸を苦しませながら、僕は過呼吸気味に上から覗く。


 色とりどりの綺麗な花々に身を囲まれながら、彼女は安らかな眠りについていた。


 黒色で厚手の服を着こんだ使用人が横からやんわりと言う。


「旦那様、そろそろ」



 体を支えられながら、彼女が残した娘の手を引き、重い足取りで一歩一歩遠ざかっていく―――最愛の人が見せてくれた最後の顔は、引き攣ったような笑顔だった。


 どうして今なのか。


 …………。

 ………。

 ……。


 重厚な蓋が二人がかりでゆっくりと閉められる様を見て、僕は何を思ったのだろうか。


 あれ程、一生涯この日の事は忘れまいと決心したはずなのに。


 今となっては掠れてしまい、もう詳しいところは思い出すことが出来ない。


 薄情でごめん、人の脳ってそこまでのものでもないんだなんて言い訳はしない。だからさ、いつかの声で、罵ってくれよ。なあ。


 求める罵りの声の代わりに、強い冷風が頬を刺す。衣を被っていないその部分だけがヒリヒリと痛む。


「はあーー」


 あれから20年がたった。


 つい先日娘が籍を入れ、アビントンという苗字へと変えた。メルシー・アビントン。


 お相手は気丈夫そうな男だった。金稼ぎもあり、性根も腐ってない。


 見ている限り二人は幸せそうで、まさに二十年前の僕達を見ている気分だったな。


 まあ、つまり、スタンリー家の人間は僕一人となったわけだ。本来なら君を入れて二人―――息子がもし一人生まれていたとしたら3人だったのかもしれないが、君は若くして亡くなってしまったからね。


 …………未だに私の事引き摺ってるの、そんな感じで天国にいる君はからかってくるかもしれないが。


 僕がどれだけ君に恋焦がれ、心をドキドキさせ、君を大切に思い、幸せにしてあげたいと願ったか。


 信じられないだろうな……まあ、そうだよな。だって


 心の底から愛した人の声は、どんなことがあろうと忘れるはずはない。

 それなのに僕は、思い出そうと思っても、それが出来ない。


 これは君が、「愛する人」から「愛した人」にいつの間にか変わってしまっていたということを示しているのか。


 時間が解決してしまったというのだろうか。それならば、残酷すぎる。


 時間は勝手に進んでいくものだ。これからも君の存在は徐々に薄れていくということになる。


 いや、勿論、僕はそれに為されるがままになっているわけではないのだということを認知してほしい。こうして過去を遡ることで、勝手に削れていくページをどうにか修復しようとする努力はしている。


 ………いや。


 歩幅ひとつ分後退し、空を見上げる。

 澄み切った空間を星々が埋め尽くしていた。



 正直なところ、このしばらくはしょう害を持つ娘に付きっきりでそれをする暇がなかったことを白状しなくてはならない。思い返し始めたのは娘がいなくなったちょうど昨日からなのだということも。


 優しい君ならば許してくれるだろうか。


 …………今僕が思い描いている君は、本当に君なのだろうか。僕の想像で形作られた君は、つまり優しくて、明るくて、可憐で、僕を見ながらよくはにかんでいた君は、本当に二十年前の君なのだろうか。


 ああ――君はどういう人なんだっけ。


 瞼を閉じ、過去を見る。

 継ぎ接ぎだらけの、過去を見る。


<2>


 最初はそう、君の方から声をかけてきたはずだ。


 日本に初めて飛行機で渡って、電車の複雑な運行に目を回していたところを助けてくれた優しい人が君だった。


 完全に理解するまでにはかなりの時間がかかったが、それでも辛抱強く教えてくれたことにはとてもインパクトを与えられた。なんでこの人はこんなにも一生懸命に教えてくれるのだろうか、そんなことを思った覚えがある。


「ありがとう」


 どうにか理解した後、覚えたての拙い日本語で、伝わるかどうか不安に思いながらも言ったそのときには、君はたしか英語でゆーあーうぇるかむ、なんて言ってた気がする。


 その時に僕は君へ淡い恋心を抱いて、それでも結局何もせずに別れた。


 連絡先くらい交換しとけばよかったと後悔しながら宿泊先のホテルでチェックインをしようとした時、その受付が君だったのは本当に運命を感じたよね。



<3>


 なにかと理由をつけて手に入れたメールアドレスを、焦りながらメモしたノートの切れ端は今も自分の部屋にある机の引き出しの中に保管してあるはずだ。


 もっとも引き出し用の鍵を紛失してしまったので、僕ではない誰かに机を処分されるまであれは永久に残り続けることとなる。


 メールアドレスを手に入れてから僕は君に、猛烈にアプローチを仕掛け続けた。


 そしてどうやって成し遂げたのかは忘れてしまったが、ついに水族館デートの約束を交わすまでに至った。


 今思うとチョイスが若いなと感じるのは僕が40を過ぎているからだろうか。当時は確か、19,いや20だったはずだ。


 よちよち歩くペンギンを食い入るように見ていた君の横顔がぼんやりと思い浮かばれる。


 そうだ、君はペンギンが好きなんだとその時言って、帰りに僕は大きいペンギンのぬいぐるみを買ってあげたんだ。君の喜びはしゃぐ様子を見て、僕は人生で最高に幸福感を覚えたんだ。


 ゆっくりとだけれど、思い出してきた。

 しかし、声がまだ思い出せない。


<4>


 三日間だけ滞在するつもりが、君がそこにいたがために一週間、二週間、一か月と伸びていった。


 しかしいつまでも日本にいるわけにはいかず、一か月とちょっとがたったとき、つまりは大学の長い夏休みの終わりが近づいたころに、僕は渋々母国に帰ることを君に伝えた。


 その頃にはもう僕たちはとても親密になっていて、優しい君は空港まで見送りに来てくれた。


「また、君に会いに戻るよ」


 そう言ってキスを……したんだったかどうだったか。いや、したのはハグだったかもしれない。


 まあそんな感じで、僕が名残惜しそうにしていると君は急に駆け出したんだ。しばらくして帰ってきたかと思ったら僕の手に黄色のチケットをねじ込んできて、とても驚いた。


 なんだなんだと思っていると、絶対これ、今年中に返しに来てね、とかそんな風に言って背中を押してきたものだから、僕は初めて日本に来た時と同じくらい目をぐるぐるさせてたんじゃあないかな。



 約束通り戻ってきた後、それが宝くじなるものであると知って。


 そしてそれが一等を当てたのだからもうびっくりするやら背筋がぞわっとするやらで頭がクレイジーになって二人して笑いあった後、真顔で顔を見合わせたのは今でもはっきりと覚えている。


 そのお金を使って大きな家を僕の故郷に建てて、使用人を複数人雇って贅沢な生活をし始めたのは僕たちが若かった証拠だ。二人で生活するんだから絶対使用人なんて雇わなくて良かったし、それが悪い結果に繋がるんだから本当に後悔してる。


 君もちゃんと反省しなさいよ、あの世で。


<5>


 そこから何年もの月日がたって訪れた、あの日のことがやはり一番脳に刻まれている。思い出したくもないが、君の声を最後に聞けるのなら傷口トラウマを抉ってでも振り返ってやる。



 天気は晴れだった。映画館の前に生えていたクリスマス仕様の三つの木が何故か印象深く覚えている。


 二人で横並びになりながら、徒歩で最寄りの映画館から家に帰宅していた。


 当時3歳の娘が記憶の中にいないのは、おそらく保育園に預けていたからだろう。なるべく同年代の子たちと遊ばせてあげたいという君の意見を尊重してそうしたんだ。


 僕がどんな服装をしていたかは覚えていないが、君は純白のワンピースを着ていたと思う。


 その日見た映画の内容を語りながら――確かハリーポッターの映画だった――そして次の週に挙げる予定の時期遅れの結婚式の話題でわくわくしながら、人混みの流れにながされて離れ離れにならないように、仲良く手を繋いで歩いていた。


 僕と君の左手の薬指にはお揃いの指輪がついていて、すれ違う調子のいい人達にからかわれる度に愛想笑いを振りまきながら、進んでいった。


 …………後悔と憎しみがぶり返してくる。どうしてもっとゆっくり帰らなかった、そうすれば鉢合わせることなんてなかったのに。どうして自分が家の扉を開けなかった、そうすれば腹を刺されるのは僕だったのに――――


 一瞬だった。


 ドアを開けた瞬間に刃物を構えた男一人と、その後ろから金庫を抱えた男一人とが急に飛び出してきて目の前で君の腹を抉る。


 そいつは呆然としていた僕もすれ違いざまに刺そうとしたが、咄嗟に体を捩って脇腹で刃を受けとめた。顔を見ると黒い覆面を被っていて、誰なのかは断定できなかった。



 気が付いた時には男二人は消えていて、目の前には君がうつぶせになって倒れていた。


 純白の服を着ていたものだから、余計に赤が目立っていて、二十年後の今でさえも、吐き気を催すほど鮮やかにフラッシュバックしてくる。


 痛みを忘れて抱きかかえた僕に、君は口を開いて何かを呟いたんだ。


 …………。


 ……………………。


 ここまでしても結局、思い出せなかったな。そんなに時間も残っていない。


 君を思い出す方法は、やっぱり、一つしかないみたいだ。


<6>


 瞼をゆっくりと開ける。今夜は雲一つなくて、月が綺麗に見えるなあ。


 マンションの下階から怒声のようなものが聞こえてくる。それにパトカーのサイレン音がウンウンと煩い。


「早まるな! それは逃げだぞ、エドウィン・スタンリー!!」


 これは危ないから屋上に置いて行こう――そう思って足元にカランと転がす。


 転がりながら月の光を鈍く反射して、包丁は赤黒く光った。


 柵からゆっくりと身を乗り出す。ああ、もうすぐ君に会える。


 キーンという音が聞こえたと思うと、周りからは何も聞こえなくなった。


 そして一歩、踏み出す。





 ―――――そうだったね、君はそんな声をしていた。

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