#06《もう一つの依頼》編

#06-1 血塗れ修道女と呼ばれていた女


 パンパンパンパン、音がする。

 歌うように、踊るように。リーセ=ミリアムの立てた『手拍子』の音が、辺り一帯に響き渡る。

 

「♪ええ、Ita,構いません、bene est,構いません。bene est.貴方様がSi tibiそれで良いとconvenit,仰るのならbene est.♪」


 歌声は、遥か彼方まで届くように、高らかに。

 リーセの声はたえなるメロディとなって、『舞台』を包み、広がり、満たしていく。


 ふと。その姿に見蕩みとれていたボクの視線と、リーセの視線が真っ直ぐにぶつかりあうと。

 殆ど無意識に、ボクは息を呑んだ。

 そこに浮かんだ、情熱と冷徹、両方を併せ持ったあでやかな彼女の笑顔に、文字通り一発で囚われてしまったから。


 くす……っ。

 聞こえるはずのない微かな息遣いが聞こえて初めて、ボクの喉は呼吸を止めていた事を思い出す。

 少しばかり惚けていたボクを目覚めさせるような、あまりにも静かな爆音は、同じ『舞台』に上がっていたボクでさえ、まるで『観客席』に囚われてしまったような錯覚を呼び起こすんだ。


「♪さぁさぁ、Agite, agite,皆様お立ち会い。spectatores omnes.お代はPretium estひとつ、unum.たったのひとつ、Unus tantum,たったひとつのUnus tantum,ただひとつTantum unum.♪」


 重なり合ったボクらの視線をほどきながら、リーセは再び歌声を響かせる。


 リーセが打ち鳴らす『手拍子』は楽曲。

 リズム良く踏み鳴らされるステップはコーラス。

 彼女が歌えばそこは『舞台』。周りにいる誰もが観客に早変わり。

 リーセが笑顔を振りまけば、観客からは、わあわあと歓声が上がり。盛り上がる声援に合わせて、リーセは手を振り舞い踊る。


「♪皆様Dateお持ちのmihi quodそいつをください、habetis omnes,たったひとつのUnus tantum,ただひとつ。Tantum unum.ひとつでいいの、Unum satis est.分けてくださるPossumne habere? たったひとつのUnus tantum,ただひとつTantum unum.♪」


 敷き詰められた真っ赤な絨毯タペイトの上で。

 ステップを響かせ、飛び散る汗さえ演出に変えるリーセから、ボクは目が離せない。

 誰もが目が離せない。

 そう。

 彼女の『舞台』では、誰もが彼女のとりこにさせられるんだから。


「♪さぁさぁ、仕上げを御覧じろ。Nunc eventus inspiciamus.お代はPretium estひとつ、unum.ふたつはSatis est不要。Unum.ひとつで結構、Unum satis est,それで良し。bene est.今宵はここらでHoc est totum無事閉幕pro hac nocte.♪」


 やがて『舞台』から全ての音が消え去ると、リーセの舞いも歌声も静かに終わりを迎えて。

 動きを停めたリーセは、深深とこうべを垂れるんだ。


 ――喝采もない『観客席』に向けて。

 

 ――。

 ――――。



「……別件の『依頼』……です、か」


 早足で修道院の廊下を歩きながら、同じくその隣を歩くヒルベルタ様からかけられた言葉に、ボクが返したのはそんな二言だった。


「えぇ。カルラからの……ミレンとマリーへの依頼とは別に。もう一つの『依頼』があるの。それを貴女には受けてもらいたいのよ」

 ミレンやマリーと、仕事終わりの反省会という名の雑談時間を過ごしていたボクらの元にやってきたのは、カルラ様とヒルベルタ様。


 そしてカルラ様はミレンとマリーに話しかけ。

 ヒルベルタ様はボクに話しかけた。


「成程。……それで、ボクだけ、別行動って、ワケですか」

「えぇ。立て続けてのお仕事になって申し訳ないけれど、よろしく頼むわね」


 うながされ、ミレンやマリーと別れて部屋を出たボクに下されたのは、新たな『依頼』。

 本当、なかなか人遣いの荒い修道院長様だよね、とは思うのだけど。


「その、言い方。……もしかして、大型、案件?」

「流石アレックス、察しがいいことね」

 ヒルベルタ様の言葉には、裏側に隠されてる真意があるってことくらい、ボクには丸わかりだ。なにせもう、出会ってから何年経ったのか。お世話になった年月も、お付き合いも、随分長くなってるんだしね。


「そうよ、カルラから依頼を受けているミレンやマリーと、同程度には大型の案件ね」

「……そこと、同程度、ですか……」

 だからわかってはいたのだけれど。

 それでも思わず口をついたのは、溜息に似た苦笑だった。


 カルラ様。

 正式な御名はカルラ・ファン・ローセリア様。

 この修道院が位置するローセリアの地を治める領主様の、高齢になり表舞台に殆ど現れなくなった現当主シェリル様の、長女にして嫡女ちゃくじょであり、名代。……ううん、恐らく近々にも、代替わりするであろう、実質的なローセリアの支配者様だ。


 つまり修道院にとって、最大の顧客であり後援者たる御方な訳で。

 そこと同程度ってことは……。

「つまり、ラウレンス猊下げいか、が、来てるんです、か?」


 土地の支配者がローセリア家だとするならば。

 修道院、という組織を支配するのは、つまり教会だ。

 その意志決定を下すのは勿論、教皇きょうこう台下だいかただおひとりだけれど、直接その意志を伝えてこられることはまず無い。大抵はその補佐である枢機卿すうききょう団から、台下の代理人として枢機卿猊下が派遣されて下知げちされる。


おおむね、正解ね。けれど、来ているのは本人ではなくて、代理人よ。この意味は、わかるかしら?」

「ミレンじゃ、あるまいし、わかります、よ。代理人の、代理人、など、有り得ない。でしたっけ?」

「ふふ。よく覚えているじゃない、アレックス」


 つまりは、ラウレンス枢機卿猊下本人が来ているならば、それは『教会からの依頼』だけれど。猊下の代理人が来ているということは、これは『ラウレンス様個人の依頼』ということになる。


「少しは安心できたかしら?」

 ボクの答えがお気に召したのか。ヒルベルタ様は愉快そうに笑って問うてきたのだけど。

「……ローセリア家、が、ルクスルーブラム家、に変わったとこ、で。……大変なのは、変わらないです、よ」


 結局、大物貴族家の依頼であることには変わりは無いし。なんならラウレンス様のことだ、きっと厄介なお仕事に違いないんだから、安心なんて出来るはずが無い。


「だから言ったでしょう? 大型案件だって」

「……ヒルベルタ様、やっぱり、他を、当たって、ください。ボクは、このお仕事、受けたく、無いです」

「あら。もう先方には話通しちゃったのよ、ごめんなさいね」

「初めっから、逃げ道、無し、ですか……」


 はぁ……っ、と。今度こそ本当に溜息を吐き出したボクの向かいで、ヒルベルタ様はこれまで以上に愉快そうに、口元を抑えて頬に皺を寄せていた。

 

「……ま、そう悪い事ばかりでもないわ。今日の代理人は、貴女も知っている“お客様“ですもの」

 目的地である、修道院長室の扉を目の前にしたところで、ヒルベルタ様がぽつりとそんなことを言う。


「……ボクも、知ってる、“お客様“……?」

 ボクの見詰める視線の先で、ヒルベルタ様はふわりと、暖かな瞳を優しく震わせて。

「えぇ。……ふふ。ま、説明するよりも、本人に直接会った方が話が早いわよね――」

 

 ガチャリ、院長室の扉が開かれる。


「――お待たせ。“唯一ただひとつの歌姫“さん」


 その呼び名に。

 ボクは一瞬で意識を奪われた。


「はいっ、ありがとうございます、ヒルベルタ様♪」


 ころ、と。

 ベルが鳴るような澄んだ声に、……懐かしさに、ボクは全身をぶるっと震わせた。

 

 そこに座っていたのは、一人の女性。

 つややかな灰金色の髪アッシュブロンドも、ボクよりも随分年上なのにまるで子供のように愛らしいくりっとした瞳も。……あの時から、まるで変わっていない。


「……まさか。こんな形で、再会する、なんて……」

 ルーフス修道院に所属していた頃から変わらないその瞳が、すぅ……っと、ボクに向けられる。

「にひひっ♪ 久しぶりだねっ、アレックス♪」


 そう。

 彼女は、幼かったボクを育ててくれた元修道女であり。

 極めて例外的に、このルーフス修道院から還俗げんぞくを果たした一人――。


「――リーセ!!」


 かつて血塗れ修道女ブルーデフノンと呼ばれていた彼女、リーセは。ボクの呼び掛けに、柔らかく微笑みを返してくれたのだった。

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