番外編

番外 まるでロータスのように可憐で苛烈な

※本編の流れとは無関係の幕間です。

 ナンバリングとは違う時間軸の話なので、番外編とさせて頂きました。


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 ――闇夜の冷たい空気が、ベッドに横たわるわたしの頬をなぶり、通り過ぎていきました。


 天に向かって伸ばされたわたしの腕は、虚空を掴もうとしていて。

 何をしてるんだろう、そう考える頭の片隅で。

 さっきまで見ていた世界が色鮮やかに蘇ってはじめて。わたしは夢の世界ではなく、現実の世界に帰ってきたのだと気付くのです。


 ――ああ。


 まったく、懐かしい夢を見たものです。

 もう見ることも無くなったと思っていたのに。

 

「……はっ……」

 ため息混じりの乾いた笑いを吐き出して。その腕をおろして、自分の顔を掴むように、手のひらを押し当てます。

 ……指に触れたのは、わずかな湿り気。

 ああ、やけに頬が冷たいと思ったら。


 わたしは……、泣いていたのですね。


「ははっ……」

 もう一度。にごった泥を吐き出すようにかすかに笑って。

 ぐぅ……と、自分の顔を指だけで握りしめます。


 あれは、初めて一人でこなした仕事の記憶。

 妙に強く覚えているようで、どこかふわふわとしか覚えていない記憶。だから、……たぶん。


 むくり、ベッドから起き上がり辺りを見渡せば。すぅすぅと、暗がりからエミィの寝息が聞こえてきて。うっすらと掛けられた布が上下しているのがわかりました。


『初めての仕事のことは覚えてるものよ』


 残響のように頭の中に聞こえてきたのは、ヒルベルタ様の声。

「…………」

 一度目を、ぐぅ、と閉じて。

 枕元をまさぐり、そこに置いていたかんざしを、すっと掴むと。

(……起こしては、いけませんね)

 音を立てずに、忍ぶようにこっそりと、わたしは自室を後にしました。


 

 修道院の外の風は、室内とはまた違う冷たさを帯びていて。ひゅぅ……と冷たい風が、わたしの身体を突き刺してきます。

 思わず身をすくめた身体を、わたしは自分で抱きしめていました。


 世界はまだ、闇色のカーテンホルダインに包み込まれている時間。

 ふぅ……と息を吐き出し、抱きしめていた腕をほどくと。握っていたかんざしをかかげ、目を閉じます。

 するとまぶたの裏側に浮かんでくるのは、赤い残影。


 ――あの時はたしか、夫婦二人をこの手にかけたのでしたか。


 そう思い出せば、赤い残影は二人になりました。

「……ふッ!」

 目を開くと同時に素早く踏み込み、残影を一突きに。返す刃でもう一人の心臓ハルトにも一撃を。

 すると、ばら……っとき消えていった影を皮切りに、わたしの周囲にまたたく間に現れ始めた違う影の群れ。


 それはわたしの、いつもの訓練相手で。

 わたしの、いつまでも消えない罪の証。


 ――妻からは、夫に自由を奪われ、こき使われ性玩具のように扱われ、子供は逃げ出した、私は奴隷じゃないと嘆かれました。


 ――夫からは、妻は金遣いが荒くて遊び好き、せめて家の事をしろと言ってもきかない、奉仕するからと金をせびる、子供が逃げたのはあいつのせいなのだとののしられました。


 ――双方が相手をざまに言って、双方をおとしめていました。


 ……その犠牲になった子供たちの、じ……っと見つめる視線にも気付かずに。


 殺しても、殺しても。新しく産まれてくる影たちを。

 一人殺し、二人殺し。

 その度に増えていく影を、わたしは次々に一撃のもとに屠ってゆきます。


 ――そう。

 だからわたしは殺したのです。

 醜く言い争う、二人を共に。

 彼らの話し合いで解決出来れば、それで良かったのでしょうけれど。その影で、泣く子がいたから。当時、まだとおも数えていなかったわたしより、更に幼かった子供たちの、零した涙が、あったから。


 ひゅ……っ!

 最後の一突きを放つと、周りの残影たちはぱたりと動きを停めて。

 はぁ……っ、はぁ……っ。

 辺りには、わたしの荒くなった呼吸音だけが残っていました。

 

「――ミレン?」

「ッ?!」

 不意に聞こえた声に、思わず振り返れば。

「やだ、あたしを殺しても、報酬なんて出ないわよ」

 そこには、見慣れた同僚の姿。

「…………マリー……?」


 諸手を上げて肩をすくめた、わたしより遥かに年上の同僚の姿を認めて。かんざしを構えたまま吐き出したのは、安堵あんどの溜息。

 ふっと全身から力を抜くと、だらりとした気だるさだけが残っていました。


「落ち着いた?」

「……はい、ごめんなさい、マリー」


 向き合うと、いつものコルネット立った修道頭巾ウィンプルをおろしたマリーの姿。長い茶髪ブルネットをふわりと風にあおらせながら、にこりと聖母のような微笑みをたたえた顔があって。

「ま、練習熱心なのは良い事よ。朝課ちょうかの祈りの時間過ぎてるって事を除けばね」

 そう言って砕けたように笑うマリーの表情がはっきりと見えることに、びっくりするわけです。


「いつの間に……。こんなに明るくなってる事にも、気付いていなかったんですね、わたし……」

「そんなことだろうと思ったわ。……あんた、熱中するとすぐに周りが見えなくなるんだから」


 そう言って、ぽん、と。

 わたしの頭にはマリーの手のひら。

「なにを、焦ってるの?」


 ひゅう、と。

 訓練をして火照った体を、明け方の柔かな光と共に、冷たい風が通り過ぎてゆくのを感じながら。


「……そう言うんじゃ、無いんですけど」

 ぷい、と。

 つい、視線を外してしまいました。


「ふぅん? だったら、どうしたの? マリーさんに言ってみなさい?」

 わかっているのか、どうなのか。

 いいえ、きっとマリーは、わたしが隠し事をしていることなんてお見通しなんでしょう。

 だから、はっきりと。口から本音を吐き出したくなるのです。


 でも。

「秘密、です」

 それが出来ずに、曖昧あいまいに。

 わたしは、隠し通す言葉を返すのです。


「……頑固ねぇ、ホント」

 マリーの顔がくしゃりと歪んだのが見えて、ズキン、と胸が鳴ったのが聞こえました。

「口にしたら、叶わなくなることも、ありますからね」

 だからそうは見えないように笑ったつもりでしたが。

 わたしは今、きちんと笑えていたのでしょうか。マリーと同じ表情を浮かべていないでしょうか。

 そんな本音のせいで、わたしの顔は下を向くばかり。

 朝の明るさがこんなにも邪魔だと思ったのは、初めての事でした。


「こまっしゃくれたこと言ってんじゃないわよ」

 けれどマリーは、つん、と。わたしのおでこを突っついて、わたしの顔を持ち上げて、続けるのです。

「普通はね、叶える為に口にするの。口にする事で自分に、神様に、約束するのよ。叶える為に頑張りますってね」


 上目遣いに、じっと見れば。

「でしょ?」

 なんてにこりと莞爾つばえむ笑顔があって。

 肯定する事もねる事も出来ず、わたしはやはり曖昧に唇を動かす事しか出来ませんでした。


「……ま、それは良いのよ。あたしが来たのは、別にあんたの秘密を暴く為じゃ無いんだから」

 おでこの指をぐいと押して、一歩後ろに下がってくるりと回ると。そのピンと立てた指を自身の唇に当て、まるで内緒話をするように軽くウインク。そんな仕草に思わず見とれてしまって、はっと正気にかえったときには、最早、視線を逸らすことが出来なくなっているわけです。

 本当、こういうのが絵になる女性ですね、マリーは。


「ヒルベルタ様は、なんと……?」

 そんな気持ちにかぶりを振って、マリーの言わんとすることを汲み取り、尋ねてみますと。

「『依頼』。ひとつ無事にこなしたら、不問にするってさ」

 マリーはいつものような……けれどどこか穏やかな表情で、これに答えてくれました。


「『依頼』……ですか」

 思いがけず、口から出た声は、ぽそりとしたものでしたが。

「良いんじゃない? 気晴らし……って言っていいのかわかんないけど。頭と身体動かして、『いつも通りの事』してたら、スッキリするわよ。人間って、そういうものだもの」

 あまりにも楽しそうなマリーの顔に、わたしはすっかりと毒気を抜けさせられてしまって。


「……そうですね。そうかも知れません」

「ねっ?」

 それこそなんだかスッキリしてしまうのでした。


 ――きらり。

 中庭の葉に溜まった朝露に陽の光が反射したのが見えて、思わずぴくっとしてしまって。

 そんなわたしとマリーの視線が交差して。

 

 くすりと。

 二人で笑いあったら、そこに咲くのは笑顔の花。


「じゃあ、まずはお祈りからかしらね。――“いつも通り“に」

 決して、真っ当ではないかも知れません。

 普通では無いかもしれませんけれど。

「えぇ。“いつも通り“に」

 これが血塗れ修道女わたしたち日常いつもどおりなのですから。


 だからわたしたちは、笑い合うのです。

 まるで蓮の花ロータスのように、可憐かれん苛烈かれつな笑顔で。

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