第4話 『2人だけの秘密』

「……やっと来た」


 そんな小さなため息まじりの声に、俺は、「すみません、渋谷さん」と小さく頭を下げる。


 待ち合わせ場所は、会社の最寄りから、二駅離れた喫茶店だった。


 席に座っていた彼女に習って、俺も向かい側に腰をかける。


 すると先に口を開いたのは渋谷さんの方だった。


「一応、注文は済ませちゃったんだけど、宮部くんはブラックでいい?」


「え、あ、はい……って、いや、そんなわざわざ気を使わなくてもいいのに」


「ううん、呼び出したのは私だし、それにこの前のケバブのやつもあるから」


 そう彼女が言ったタイミングで、渋谷さんのスマホが鳴った。


「注文のやつできたみたい、私とってくるから待ってて」


 そう言って、席を立った渋谷さん。


 スタスタとスタイルのいい背中が遠ざかって、そして、しばらくして彼女は両手にカップを持ってやってきた。


「ありがとうございます、渋谷さん」


「うん。あ、ミルクとかも持ってこようか?」


「いえいえ、俺はブラック派なんで……で、渋谷さんのそれは?」


 俺は渋谷さんの顔から、彼女のもう片方の手に握られていたドリンクに目を向ける。


 透明なプラスチックの容器に入ったそれは、濃い茶色をした飲み物で、おそらくフラペチーノであるのだろう。


 すると渋谷さんは、「あぁ、これね」と小さく口を開く。


「エクストラコーヒーノンファットミルク、ノンホイップダークモカチップフラペチーノ」


「へー、エクストラコー……は、え、なんて?」


 意外すぎて、思わず聞き返す。


 だって、絶対に普段渋谷さんが言わなそうなワードばかりだったから。


「ん? だから、エクストラコーヒー……」


「いやええわ」


 再びあの長い呪文を繰り出そうとしていた彼女に、思わずツッコミを入れる。


 すると渋谷さんは、「……そっか」と悲しそうな表情で椅子に座った。


「いや、別にあれですよ? うざかったとかそう言うのじゃ……」


「頑張って、覚えてきたんだけどなぁ……」


 いや、努力の方向性……。


 と、心の中で小さくため息を吐いて、カップを持つ。


 しょんぼりとした渋谷さんに、「じゃあ、いただきます」と言ってから、俺はコーヒーを口に流し込んだ。


 そうして、しばらく静かな時間を過ごした後、


「それで、話って何ですか?」


 そう、俺から話を切り出した。


 すると彼女は、キョロキョロとあたりを見渡し、少し上体を前のめりにする。


「あのさ、マッチングアプリの事なんだけど……その、私の話は秘密にしてくれないかな?」


 え。と息を漏らした俺に、彼女は続ける。


「いや、名前は伏せてくれてるみたいだけど、その……自分の行動を第三者目線で語られると恥ずかしいって言うか……それに……」


「それに?」


 そう言って俺は彼女の顔を覗き込む。


 すると渋谷さんは、恥ずかしそうに頬を赤らめながら、


「……かわいいとか言われると……すごく困る」


 そう、ボソリと呟いた。

 

 そんな、まるで溶けている彼女に、俺も思わず……。

 

「……っ。……そ、そっすか……」


 顔を逸らして、後頭部を掻く。


 なんて言うか、直視できなかった。


 ドクっと跳ねた鼓動と、頬の熱に邪魔されて。


「と、とにかく!」そう、透明な容器を両手で持った渋谷さん。


「今後この事は名前を隠しても口外禁止! 2人だけの秘密だから!」

 

 そう恥ずかしそうに言い切った彼女は、俺から盛大に顔を逸らしてストローを咥える。


 その刹那、彼女の黒い髪の毛の間からのぞいた、桃のように赤くなった耳たぶに、またドキリとする俺だった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

マッチングアプリで待ち合わせをした結果、そこにいたのは『氷姫』と名高い女上司でした。 あげもち @saku24919

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画