第2話 『また明日』
「……」
「……」
軽快なBGMが心地いいはずの店内。だけど、俺と渋谷さんの間には沈黙が流れていた。
それはもう、俺たちに挟まれたコーヒーが可哀想に感じるほどに。
「え、えーっと……渋谷さんもアニメとか好きなんすね……あはは」
無理やり捻り出した言葉は、我ながら窒息とよく似ていると思った。
すると、先ほどから視線をやや斜め右へ向けたままの渋谷さんが、ピクリと肩を動かして、こちらに目を向ける。
「……まぁ、そこそこね」
そう言って白いカップを口に運んだ彼女。
カップとは反対側の、袖から半分ほど見えている手は、握り拳のまま。
ちなみに、渋谷さんと出会ってから約20分、目立った会話は未だこれだけだった。
……。
いやいや……なんだこれ、いくら何でも苦行すぎるだろ。
つーか、この人って、彼氏持ちなんじゃないのか?
てか、何だ『このたん』って。もっとマシなやつなかったのかよ……。
とまぁ、正直さっきからいろんな思考が止まらないが、ずっとこのままというわけにもいかないだろう。
仮にここで色々と質問をしたとしても、この人が今まともに答えてくれるとは思えないし。
なら……。
「えーっと、ずっと座ってるのもあれですし、ちょっと散歩しませんか?」
すると、渋谷さんはこくんと頷いて、黒のウエストバッグを肩にかける。
普段のスレンダーなスーツ姿とは真反対の、ダボダボなグレーのパーカーの背中に、俺は小さくため息を吐くのだった。
……ごめん仲街。お前にいい土産話持って帰れそうにないわ。
よく知らんビルの屋上や、駅周りの広告の可愛らしいキャラクターがサンタコスチュームに着替え始まる11月。
人で溢れかえる秋葉原の夜の風は、ちょっとだけ冷たい。
カフェに長居したせいか、自動ドアから吹き込んできた風に、思わず「さむっ」
とズボンのポケットに手を入れる。
すると、
「ん……」
そんな華奢な声を漏らした渋谷さんは、俺の隣で小さく首を窄めた。
え、何それかわいい。
なんて一瞬頭に浮かんだが、昨日の冷たい眼差しを思い出して、足を進める。
「えっと、渋谷さんは何のマンガが好きなんですか? なんか、アプリのタグのところには『恋愛マンガ』って書いてありましたけど」
すると、彼女は目を逸らして、言いにくそうにボソリと言う。
「……ドメカノとか、クズの本懐とか」
一方、彼女から発せられたワードに俺はゴフッと咳き込む。
え、待って。意外すぎるんだが。
「マジっすか? 俺も好きですけど、あれ結構ドロドロしてません?」
「……だから、あんまり言いたくない」
そう、口早に言った渋谷さんは、半テンポ早く足を進める。
いつも通りクールな横顔は、どこか恥ずかしそうに俺から顔を背けていた。
それからと言うもの、UDX下のイルミネーションを無口で通り抜けて、ぐるっと末広町の方を回りながら、ジャンク通りに入る。
新しくできたカードショップのお店や、逆に昔からある中古のパソコンショップを通り過ぎながら、俺たちはケバブ屋さんで足を止めた。
「ヘイ! アニキ! アネキ! 大盛り無料! サービス!」
「ほんと、いつ見ても陽気なニキすっね……渋谷さんはケバブ好きですか?」
「……うん」
「なら、ひとつ買っていきましょう。いつも何食べてます?」
「……チキンのソースは6番」
「へー、渋谷さん意外と辛党なんっすね、了解です。ちょっと待っててください」
そう言って俺は列に並ぶ。
数分後、両手にケバブを持った俺は、渋谷さんの元へ戻ると、右手の方を手渡した。
「チキンの6番すね、どうぞ」
「……ありがと。お金返すね」
「いいっすよ、こんぐらい」
「そう……でも……ううん、いただきます」
そう言って渋谷さんは、小さな口を使って、大きなケバブに齧り付く。
自販機に照らされた横顔が綺麗だなって思った反面、どこかつまらなそうな表情に、思わず鼻から長めの息を吐いた。
冷めないうちにと、俺もケバブに齧り付いた瞬間。
「へいアニキ! チキンの6番と、1番プリーズ!」
「オウ! シホネキ! 今日も特盛サービス!」
「「いえ〜い!」」
そんな楽しげな会話が聞こえてきて、そちらに目を向ける。
つい先ほどまで俺がいた場所には、ガタイのいい男性と、長い金髪のギャルっぽい女性が立っていた。
「詩帆さん、毎週毎週ケバブ食べてたら、本当に太っちゃうよ?」
「今日はいいんです〜。だって、イベントでめっっちゃ歩き回ったから!」
実質0キロカロリ〜♪ とルンルンなギャルの手元には、確かにイラストの描かれた紙袋がブラブラと揺れていた。
そんな2人のやりとりを見ているうちに、隣から紙を丸める音が聞こえてきて、俺も一生懸命ケバブを齧る。
てか、この人食うの早いな。
なんて思う刹那、あの2人が楽しそうに見えて、羨ましかった。
ケバブを完食し終えた俺たちは、神田明神へと向かった。
神田明神は一年中ライトアップがされている上に、スカイツリーが見えるちょっとした夜景スポットとしても有名だったりする。
それに何よりも、イラストが手書きされた『痛絵馬』はいつ見ても、興味が失せない。
でも……。
「えーっと、この後どこか行きたい所とかあります?」
「……今のところは大丈夫かな」
「そ……そうですか……」
時刻は20時過ぎ。
オレンジ色のライトに照らされた、渋谷さんの横顔はやっぱりつまらなそうで。
だからこそ、俺の内心の方にも、少しずつ負の感情が蓄積されていった。
確かに、マッチングアプリで待ち合わせした女性が職場の先輩っていうのは、非常にやりにくい。きっと渋谷さんの方も一緒だろう。
でも、だからと言って、今日1日の渋谷さんの態度は正直気持ちのいいものではない。
少しでも盛り上げようと話しかけても、冷たく返されて、ずっとつまらなそうな表情をされて。
でも、だからだろう。
「……すみません渋谷さん」
神田明神横の石段。数段先に降りた彼女の背中に俺は口を開いた。
「……どうしたの?」
渋谷さんが振り返る。特に起伏のない表情で。
「……今日はもう解散にしましょう。きっとお互いそれがいいです」
……。
「……そっか」
渋谷さんはそれだけを言って、くるりと振り返る。
コツコツと、スニーカーの踵の音だけが響いた石段。
刹那。
「ごめんね……また明日」
そんな声が聞こえた気がして、俺は視線を逸らすのだった。
「……」
つい先ほど渋谷さんと別れたばかりの俺は、シャッターが降り始めたアキバを何となく散策している。
……というのは半分建前で、なんか、まだ家に帰りたくなかった。
きっと今日出会う女性が渋谷さんじゃなければ、こんな気持ちにならずには済んだのだろう。
……なんて言い訳も、責任をなすりつけてるみたいで正直好きじゃなかった。
はぁ、とため息を吐いて空を見上げる。
曇って何も見えない夜空。刹那、ポツリと雨粒が瞼に落ちてきた。
雨なんて予報はなかったはずなのに……そんなことを考えているうちに、どんどん雨足が強くなってきて。
逃げるようにして転がり込んだのは、とあるゲームセンターだった。
1階は全てクレーンゲームのエリアらしく、可愛らしいぬいぐるみがいくつも、こちらを見つめていた。
どうやら2階の方もクレーンゲームコーナーらしく、俺はエスカレーターに乗って上へ行く。
すると、2階にはアニメやブイチューバーなんかのフィギュアが多く設置されており、何人かが熱心に100円を注ぎ込んでいた。
新卒の頃は、結構クレーンゲームハマってたな〜。
なんて思い出にふけながら、景品を見ていく。
そして、一番奥に位置するレーンに差し掛かった瞬間だった。
「……え?」
思わず素っ頓狂な声が出て、すぐに身を引っ込める。
だって、すぐそこに見覚えのある服装と、綺麗な横顔をした人物がクレーンを操作していたから。
いやいや……、解散したのって、もう30分前だよな。
流石に渋谷さんじゃないだろう。
そう思いながら覗き込んでみると。
——ボスっ……ゴロンゴロン……ざんね〜んっ! また挑戦してねっ!
「……難しいなぁ」
なんて、盛大にぬいぐるみを転がしている渋谷さんだった。
そして彼女はまた100円玉をクレーンゲームに突っ込むも……。
——ボスっ……ゴロンゴロン……ざんね〜んっ! また挑戦してねっ!
「……でもなんか分かってきたかも、もう一回」
——ボスっ……ゴロンゴロン……ざんね〜んっ! また挑戦してねっ!
「……センスはあるはずだから……もう一回」
——ボスっ……ゴロンゴロン……ざんね〜んっ! また挑戦してねっ!
「……私、クレーンゲーム上手いかも」
いやどこがだよ。
思わずそんな風にツッコミかけて、ため息を吐く。
どこにその、センスとやらを感じたのかインタビューしたいところだが、何よりも、あの人もクレーンゲームとかやるんだなって、意外だと思った。
ほら、氷姫ってあだ名が付くぐらい冷淡で、仕事は全て効率重視なのに、こんな非効率的なものにお金突っ込んでるから。
だけど。
「あ……お金なくなっちゃった」
視界の先の渋谷さんが小銭を取り出そうとしたところ、そう呟いた。
まぁきっと彼女のことだから、今使えるお金がなくなっただけであって、通帳にはたんまりと入っているのだろう。
もうそろそろ下手なプレイも見飽きたし、俺も帰ろう。
なんて踵を返そうとした時、ふと他のクレーンゲームのディスプレイに反射した、彼女の表情が目に入って、思わず足を止めた。
だって、さっきのデートの時とは全然違う、本当に悲しそうな表情をしていたから。
はぁ、と息を吐いて俺は足を進める。
ほんと、俺って何なんだろうな。
……。
「……それ、まともに持ったら絶対取れないですよ」
そう言って、俺は彼女の横から100円玉を入れる。
すると渋谷さんは短く息を吸って、「え、宮部くん? なんで……」と、初めて彼女が動揺している声を聞いた。
「雨宿り先が偶然ここだっただけです。ほら、こうやって、3本爪の時は、あえて掴まずに引きずるんですよ」
「……うん」
「そうすると、取り出し口に近づくじゃないですか」
「うん……確かに」
「で、次の一手はこうです」
そうして俺は、取り出し口の壁にあえて一本だけ爪を引っ掛ける形にして、残りの2本でぬいぐるみを掴む。
すると、持ち上がってきたぬいぐるみが、体の半分ほど取り出し口のところから出ている状態になった。
ちなみにここまでまだ200円だ。
「え、すごい」
「でしょ? それじゃ渋谷さん。最後は俺の言う通りに動かしてみてくださいね」
そう言って100円玉を入れると、渋谷さんが心配そうな表情でこちらを見つめる。
「でもこれ、ここまで宮部くんが運んだんでしょ? これで取れちゃったらなんか悪いかなって」
「いや別に俺はいいですよ。そもそもこれが何のキャラかも知らないですし。それに……」
「それに?」
「渋谷さんが、本気で欲しそうな顔してたんで、つい横から手が出ちゃいました。なので、最後は渋谷さんが落としてください」
そう言ってはにかんで見せると、彼女は一瞬目を大きくして、鼻をすんと鳴らす。
「そっか。ありがと」
そう言って、唇の端っこを少しだけ持ち上げた顔もまた、初めて見る渋谷さんの表情だった。
俺の指示通りアームを動かした結果、ぬいぐるみは見事に取り出し口へと転がってきた。
ゆっくりとしゃがんで、可愛らしいぬいぐるみを見つめる渋谷さん。
「よかったっすね、取れて」
すると少し間を置いた後。
「うん。ほんとにありがと。宮部くん」
そう言って、ダボダボのパーカーの袖でぬいぐるみを抱きしめた渋谷さん。
その嬉しそうに微笑んだ表情に、渋谷さんもこんな顔するんだって、
思わずどきりとして視線を逸らしてしまう俺だった。
「ね、渋谷さん。そのぬいぐるみ流石に袋か何かに入れません?」
雨が止んで、秋葉原駅の改札前に到着した俺は、渋谷さんにそう口を開いた。
すると彼女はきょとんとした顔で俺に言う。
「なんで? 抱っこしてると暖かいのに」
「いや抱っこって……いやそうじゃなくて、さっきからなんか見られてるんですよ」
と、そう俺が言っても、「別に私は気にしないけど」と何も分かってなさそうに言う彼女に、俺はため息を吐く。
もう、この人には何を言ってもダメだ。
「はいはい。じゃあ、気をつけて帰ってくださいね」
それじゃ。そう彼女に手のひらを見せ踵を返す。
するとその瞬間。
「宮部くん。今日はその……ごめんなさい」
そんな彼女の声に俺は足を止めて振り返る。
「いや、別に気にしてないですよ」
「ううん。私、絶対に感じ悪かった。だから、今度そのお詫びするから」
「いや、そんなこと……」
「それと私は……すごく楽しかったから」
渋谷さんのそんな一言に、俺は「え?」と。思わず声を漏らす。
だけど彼女はもう一度その言葉を言うつもりはないらしく。
「だから、また明日。宮部くんも気をつけてね」
バイバイ。そう小さく付け加えて、改札を潜ったグレーのパーカー。
俺も何か言葉を返そうとして。
でも。
「……はは、何だそれ」
あえて言葉は返さず、踵を返す。
今日はちょっとだけ気分が良かったから。
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