2話 「脱げたヒール」
「――ん?」
彼女にしては間の抜けた声と共に、マカロンに伸ばしていた手を止める。
ルージュ・ダンデライオンは、自らの意思で止めた白い手を繁々と眺めた。
色形申し分ないほど整った綺麗な手だ。
肌荒れを知らない、きっとハンドクリームなんて不必要であろう手。
(でも、
握って、開く。
手は彼女の意のままに動き、空気の感覚を伝えていた。
しかし不思議なものだ。
ならこの身体は、一体誰のものだというのだろう?
彼女は再びケーキスタンドに目線を戻すと、今度は訝しげに周囲を見渡した。
数百人にも及ぶであろう人々が、上品なドレスやタキシードで着飾っている。
ダンスの相手を探すよう練り歩く人もいれば、目もくれず談笑する人もいる。
豪華の意味を履き違えたほどに宝石や金属で飾られた光景に、彼女は空いた口が塞がらなかった。
(ドレス・・・本物?初めて見た。いくらかかるんだろう、あれ・・・)
俗っぽい感想を抱きながらも、自身の足の違和感にも気付いた彼女。
見れば、やたら丈の長い赤のオーガンジーが足全体を覆っている。
「えっ、え・・・ど、え?」
生まれてこの方ドレスなんて滅多にお目に掛かれない人生を歩いてきたというのに、諸々すっ飛ばして着ることになるなんて夢にも思わなかった。
言語化できていない言葉が口から漏れ出すのも仕方ないだろう。
その上、微かに聞こえた声はあまりに可憐で、一瞬自身が発したものだと認識するのが遅れる。
夢にも思わなかったとは前述したが、実はこれ夢なのではと思い始めるくらいには違和感があった。
(私、さっきまでアパートの自室で・・・じゃあ、ここはどこ?)
湧き出るのは至極当然の疑問。
それもその筈、彼女の記憶は、都内のとあるアパートで途絶えているからだ。
こんなパーティー会場?には縁もゆかりも無い。
となると、やはりその疑問には“夢なのでは?“としか考えられない。
が、まあ冷静に考えればだ。
(そもそも私、死んだ筈なんだよね。)
人は、死して尚夢を見るものなのだろうか。
優美なクラシックと共に始まった社交ダンス(知識がないので断定できないが恐らくそう)を眺めながら、彼女は考える。
それとも、これは死後の世界か何か?
死後も踊らされるなんて
試しに、当初取ろうとしていたマカロンへと手を伸ばす。
味覚の確認は、夢であるか否かの判断で最も定番だからだ。
この機に食べてみようではないか。
触れば滑らかな生地、表面だけで相当上質だと分かった。
苺や金粉が惜しみなく使われていて、思わず口に入れるのを躊躇したが――
(せ、折角だし食べてもいいよね・・・?黄泉竈食ひ的なものもないだろうし・・・)
黄泉の食べ物を食べてはならないというアレを想像しつつ、この中世な雰囲気でそんなことを考えても無粋だろうと実食。
「〜〜〜〜〜〜!!」
(なにこれ、クオリティ高っ!絶対高級品でしょ・・・)
「このマカロンうま」なんてこの高貴な場で口にすることは憚られ、せいぜい小さく声を上げるに留める彼女。
ガツガツと意地汚く食べるのもなんなので、人目を盗んで更に数個口にする。
(いい苺使ってるんだろうな、どこの県のだろう。)
なんて考えつつ、
(いや、県なんて概念ないか・・・この世界。)
と、先程死んだ人間とは思えない冷静な分析をする彼女。
何故ここまで冷静沈着に事態を受け止められているのかと言えば、彼女にはこの状況に覚えがあったからだ。
無論、死んで気づいたら知らない場所に――なんて経験したことはない。
が、既視感はある。
(都合のいい夢ではない・・・。それに、この中世的な世界観に貴族らしき人々。死んで目が覚めたら周りドレスまみれで囲まれてる。
この状況は・・・まさか“アレ“では?)
安直だが、最も相応しいのは“転生“の2文字だろう。
ただの日本人が死後見知らぬ土地に、の状況で真っ先に思いつく言葉だ。
いや、大半の人間の思考回路ではそうはならないと思うが。
――彼女、つまり“ルージュ・ダンデライオン“の中身、今まさに“ルージュ・ダンデライオン“に成り変わったただの日本人は、小説家であった。
もっと言えば、しがないラノベ作家だ。
かつ、彼女が書いていたものといえば、
(代表作は、“婚約破棄されましたが、隣国の王子に何故か溺愛されることになりました。〜冷酷王子様の愛は私には重すぎます〜だ。)
真面目に文字に起こすと、なんだか気恥ずかしくなって思わず俯いてしまった。
とにかく、彼女はこの状況に覚えがあった。
なんせ、彼女は正に“死んだ一般女性が悪役令嬢に成り代わる“話を書いていたのだから。
自身の半身のように作り上げた悪役令嬢と共に、何百話もの物語を紡いできたものだ。
(要するに、なんとなく状況は理解できるってこと。)
とはいえ、事実そんな状況だったとして、いざ立たされてもどうすれば良いのか皆目見当がつかないのだが。
そんな小説を書いていたといえ、本人に成り代わり願望なんて全くないのだ。
死を受け入れた筈の彼女は、唐突に起きた都合のいい展開に虚無の表情を見せる。
(これ、どうしたらいいんだろう・・・)
クラシックは佳境を迎え、三拍子にのった靴音が会場に反響する。
花のように舞うドレスを、眩く輝く金の刺繍を、よく磨かれた革靴を魅せるように。
相変わらずそれを眺めながら呆然とする彼女。
(そもそも、これが成り代わりだったとして・・・定番は自室で目覚めるとかじゃないの?
なんでいきなりパーティー会場始まりなの。
しかも、大抵こういうのって成り代わった瞬間前世の記憶がよみがえるのが定石ってもんでしょ。
――確かに前世の記憶はあるけど、肝心の“この体本人”の記憶が
この体は一体どんな名を冠しているのか、どんな人生を歩んできたのか、どんな世界で生きてきたのか。
この体の存在がぽっかり消えたように、今の今までの記憶がない。
否、というよりも、思い出そうとするとお決まりのように激しい頭痛が脳を支配するのだ。
(でも、それも当然なのかもね・・・。少なくとも十数年以上この体は生きてきた。
それを一瞬で把握するなんて、人間の脳では許容できないでしょ。)
――この体が人間かどうかも、私にはわからないけれど。
少なからず手も足もあって、他の人間も見る限り獣人みたいな異種族はいないみたい。
クラシックはついに終焉の音を奏で、彼女の思考に静寂を告げる。
緩やかな動きで腕を組み散る様は、彼女が貴族の威厳を肌で感じるには十分だった。
意図せず拍手なんてしたくなるが、無作法な気がして控える。
(さて、私がとるべきは・・・。
記憶がないまま社交ダンスに混ざったって、エビの踊り食いみたいなの晒すことしかできないし・・・)
タスクを箇条書きするように、取るべき行動を模索する。
既に環境に順応している彼女だが、内心当惑で疑問符を浮かべていた。
しかしだからといってその疑問を解消できる行動を取れる訳でもないし――。
ただただ宙を見つめ口を小さく開く彼女。
「ダンテ。」
――凛々しくも力強い声が、彼女の鼓膜を揺らす。
人の声でごった返していた耳に、一筋伝わる声。
彼女はその声にマカロンに伸ばして手を再び止め、瞬きしてから横に目線を落とす。
意図してではない。
ただ、脳が、体が、無意識のうちに動いていた。
本能的な何かが囁く。
(これは、私の愛称だ。)
「あら、ダンスのお誘いですの?」
どうにか返答の言葉を考えていた彼女はしかし、滑るように出た言葉に目を見開く。
(また私の意思じゃない言葉。どういうこと?)
これも無意識下の行動だ。
自然と口から出た丁寧な物言いは、正に思い描く“令嬢”そのもの。
(――もしかしたら本能のうちに刻まれてるのかも。この“ダンテ”と呼ばれる令嬢の、仕草が。)
そう仮定し、力を抜いて本能のまま動いてみる。
すると体はぎこちないながらどうすべきか示すように腕を組み、片手を唇の端に添えた。
清々しいまでに婉然たる姿だ。きっと、高貴な人間のみに許された仕草なのだろう。
(これで私の顔がゴブリンみたいな感じだったらどうしよう・・・)
なんて明らかに邪推な考えを抱く反面、彼女の体は変わらず美しい身構えを維持。
「ダンテ、少しいいか。
――話がある。」
彼女に声掛けしたのは、切れ目の聡明そうな男だった。
柔らかな金髪の奥、翠眼がこちらを見据えている。
僅かに筋肉質な手から、容易に鍛錬を積んだ身体だと推測できる。
ただでさえ豪華絢爛な空間の中、男は素人目で見ても人一倍着飾っていた。
(相当地位の高い人間と見た。)
もしくは、相当自己顕示欲の高い人間。
私達はどんな間柄なのかと問いただしたかったが、それは彼の用が済んでからでいいだろう。
まじまじと男を見つめていると、無愛想にそっぽを向かれてしまった。
何となく、こちらに対する好意が薄い気がする。
着いてこい、とでも言いたげに顎を引くと、男は会場の中央へと歩いて行った。
(大人しく従った方が良さそう。)
彼女は従順に後ろを着いていくと、
「・・・
中央に導かれ、シャンデリアの下で歩を止める。
と、男の傍に1人の女が駆け寄った。
なんとも男ウケの良さそうな、身長の低い童顔の少女。
パーマがかったゆるりとした茶髪に、赤く染った頬。
健康的な色味の唇――ガラス玉のようにパッチリした目。
(婚約者とか、そういうあれかな・・・)
身に纏うドレスは、隣の男によく似た装飾のものだ。
彼からの贈呈品だろう。
案外可愛らしい方が好みなのかと、ぼんやり男の趣味を考察していると、
「皆の者、聞いてくれ!」
男が鋭く声を張上げる。
途端、あれほど個性を主張していた面々が、斉しく口を閉ざす。
そして、何かを期待するような眼差しで彼女たちを見た。
自然と彼女たちの周りにいた人々は捌け、離島の如く取り残された彼女は唖然と先を待つばかり。
(いや待って、これ・・・まさか、この展開って)
「――私の目の前にいる女は、
(――そうなの?)
男は腹の底から、悠然とそう主張した。
しかし彼女からしてみれば、身に覚えのない罪に問われようがなんだろうが記憶のない体では真偽の判断のしようがない。
且つ大罪などという抽象的な単語をとられては、一体なんの罪を犯したのかも判断できまい。
だが、彼女にはわかる。
罪状は知れずとも、先の展開が。
「彼女なら、やると思ってたわ。」
観衆には、その罪がなんなのか理解出来ているらしい。
そんな言葉で始まった喧騒が耳に入り込み、炸裂する。
(これ、婚約破棄パターンでは?)
――そして、プロローグに至る。
婚約破棄。
交際中、結婚の約束をしていたというのに、一方的に切られるアレだ。
といえどそれは一般的な場合で、貴族同士なんてなれば規模感が段違いなわけで。
この宣言には、権力と名誉を揺るがすだけの力がある。
とにかくこの体が“ルージュ・ダンデライオン“の名を冠し、どうにも婚約破棄される悪役令嬢のポジションなのは分かった。
(婚約破棄って悪役令嬢ものの定番だから、私自身特に驚きは無いけど。いや、成り代わり自体は別として、予想は出来てた)
――んだけど。
彼女の意思に反し、腹の底は激情で煮えくり返っていた。
秘めたる彼女の“ルージュ・ダンデライオン“の部分、この体に染み付いた部分が、このまま黙ってられるかと吠えているのだ。
どうしようもなく苛立って、居ても立っても居られない。
体の制御が効かないロボットとはこんな気持ちなのかも。
「婚約破棄!?どういうこと、それに誰ですのその女・・・!!
説明しなさいギルさ――いいえ、このクソ豚貴族!」
高飛車な声を荒げ、上品さを欠いた素振りで喚く彼女。
(ちょ、言い過ぎ言い過ぎ!)
自身の意図が介入していないとはいえ目に余る言動に、大人しく本能のままいた彼女はストップを掛ける。
ひとまず深呼吸を挟み、
「・・・はぁ。」
震えたつ拳を押さえつけ、自制を体に躾けようと努める。
この状況――元小説家から言わせてみれば、あくまでこちらは悪くないスタンスでいくべきだった。
あまり強い言葉を使えば、余計責め立てられるのは目に見えている。
大概こういうのは、あちらに非があるのだから。
(なんて考えても、元の“ルージュ・ダンデライオン“が意固地すぎて勝手に口が動く・・・。。)
この体は、気に入らないことに条件反射で突っかかる癖があるらしい。
なんとも難儀なことだ。こうも我儘だと、こちらが悪い可能性もあながち否定できなくなる。
「な、それは侮辱にあたるぞ、好色女ッ・・!
ああメル、可哀想に・・・こんな奴に蔑まれていたのだな・・・。」
――私は先刻、この男を“聡明そう“と評したが、前言撤回させてほしい。
“豚“という貶しに律儀に反応し、耳を赤くする男。
この世界の人間、全員煽り耐性に著しくデバフを食らってるのかな。
癇癖の強い彼女と男。両者は睨み合う。
周りもそれを見て手を叩くばかりで、完全にエンターテイメントと化している中、
「ちょおと、ダメですよ!ギル様。それじゃやってることがルージュ様とおんなじですっ!」
間延びした声が男を咎める。
擦り寄ったのは、メルと呼ばれた女だった。
(男はギルで、女はメル。
なんか・・・ゲームの双子ボスでいそうな感じ。)
などと彼女は心の中で茶化すが、“ルージュ・ダンデライオン“はそう冷静ではいられない。
カチン、と脳裏で妙な音がした気がしたと思えば、
「はァ!?何被害者ヅラしてるのよ!貴方のそういう性の悪い所が腹立たしいと言ってるでしょう!!」
舌が捩じ切れる勢いで捲し立てる“ルージュ・ダンデライオン“。
その剣幕に、メルはたじたじとしながらギルに泣きついた。
更にそれに怒りを煽られる“ルージュ・ダンデライオン“だったが、唐突に静まった周囲にふと目を向けると、
(あ〜・・・実際相手方が悪いのかこっちが悪いのかわからないけど、これじゃ完全にこっちが悪者だな・・・)
周りの軽蔑を含んだ視線に、急速に喉が渇く。
私の全てを否定するような、同じ人間として見ていないような目――。
“ルージュ・ダンデライオン“は、その視線にどうしようもなく居心地の悪さを感じているらしい。
「な、何よ・・・
上からの物言いを忘れ、歯を食いしばる“ルージュ・ダンデライオン“。
それに感化され、彼女も段々と気持ちがはやる。
(“ルージュ・ダンデライオン“の感情が痛いほど伝わってくる・・・!
ここに、いたくない!逃げ出したい!!!)
「っ・・・もういいわ、好きにしたらいいじゃない!」
気付けばそんな捨て台詞を吐き“ルージュ・ダンデライオン“と彼女は脱兎の如くその場から逃げ出していた。
初めて外と中、“ルージュ・ダンデライオン“と彼女の意見が一致した瞬間である。
「はぁっ・・・!っ、はあ、」
誰1人として彼女を追いかける者はいなかった。
既に成り下がった彼女に興味を示さなくなったのか、それとも滑稽な姿をスイーツのお供にして楽しんでいるのか。
いずれにしろ、背後で後ろ指を指され嘲笑されているような感覚に脳を乱されながら、彼女は走る。
(なんなのよ、急に婚約破棄って・・・!私が何をしたって言うの!)
“ルージュ・ダンデライオン“が内側で昂るのを代弁するように、彼女は強く思う。
理不尽を嘆くあまり、涙すら出そうになる。
ひたすらにカーペットの上をハイヒールで駆けていれば、華奢な彼女の足は呆気なく崩れた。
「いっ・・・」
床に倒れ込んだ彼女が下を向けば、捻った足が悲痛なほど赤みを帯びているのがわかる。
しかしそんな痛みすら些細なことで、今はただそんな自分が惨めに思えて仕方がなかった。
(嗚呼、周りのせせら笑う声が聞こえるわ・・・)
履いていたヒールは投げ出され、露わになった片足でなんとか立ち上がる。
もういっそともう片方のヒールも投げ捨て、若干鈍くなった足取りのまま出口であろう扉を目指して歩く。
「どうしちゃったの私、らしくないわよ――!“わよ”って何よ、私!ああもう、“ルージュ・ダンデライオン“!出てきすぎですわよ!」
一通り歩けば、会場の外らしき廊下に出た。
月上がり以外の一切を受け付けない廊下は薄暗く、会場とは打って変わり酷く人気がない。
人が居なくなって吹っ切れたのか、彼女はやけに感情的に叫んだ。
“ルージュ・ダンデライオン“と彼女の境界はいよいよ曖昧になり、彼女からは考えられないほど感情的になっている。
(嫌でもわかる、“ルージュ・ダンデライオン“の憤りが――!“ルージュ・ダンデライオン“に引っ張られて、私まで怒っちゃってる!)
気味の悪い感覚に頭痛がしながらも、おぼつかない足取りで廊下を進んでいく。
どこが終着点なのかは不明だったが、“ルージュ・ダンデライオン“の怒りは収まらない。
怒りのまま行き先も分からず大股で歩く。
(落ち着け、落ち着け私――。落ち着いて、“ルージュ・ダンデライオン“・・・)
“ルージュ・ダンデライオン“を鎮めるよう深呼吸を繰り返しながら、
(どうなってるの本当に・・・!)
彼女は改めて1人密かに現状を憂うばかりであった。
頭の片隅に、未だ燃えたぎる怒りを抱えながら。
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