3話 「蜜月の下、きみと」






月明かりをたどり、顔を上げる。

――異世界の月は、至って普通の、私の知る月と同じだった。

世界が変わろうと何よりも眩しく光を放ち、全てを照らし出す。

この光は地球に届いているものと同じなのだろうか、なんて考えるのは要らぬ好奇心の端くれだろう。


さて、改めて自己紹介をしよう。

私は至って普通の日本在住一般女性。ラノベ作家をしている。

そして、改めて自己紹介しよう。

私はルージュ・ダンデライオン。恐らくどこかの貴族の、恐らく令嬢。


やはり澄んだ空気が人の心を落ち着かせるのは万国共通らしく、人でごった返していた頃と比べると気持ちが随分落ち着いてきた気がする。


(いや、私は元々落ち着いてたと思うけど・・・“ルージュ・ダンデライオン“の体のほとぼりが収まりにくいな・・・)


暗がりで目が慣れてきた頃、ぼんやりと周りが見えるようになってきた。

左はガラス張り、右は重厚な扉が連なっている。

イメージする“中世の城“そのものだ。

そこを私が歩くのはどうにも分不相応な気がしてならない。


(でも、今の私は令嬢なんだった。

 なら十分絵になるかな。)


と、まともな思考ができるようになってきたことに安堵する。

“ルージュ・ダンデライオン“の体も、ひとまずクールダウンしたらしい。


(よかった、あれ以上感情任せになってたら何しでかすかわかんなかった。

 それに頭が痛くなるほど怒る機会って滅多にないから、久々にあんなに怒って疲れちゃった・・・)

 

糸が解けたように肩の力を抜き、何気なく左を向く。

ガラスの表面に浮かび上がったのは鮮やかな黄色の物体。

彼女は思わず鏡代わりになっているガラスへと手を伸ばした。

陽炎のようにゆらめくそれに近付けば、輪郭が明確になっていく。


それの正体は1人の少女だった。

この場に存在する少女は1人。ということは


「これが、ルージュわたし・・・?」


――綺麗な子。


凡庸な感想だったが、私にとってはこれ以上ない賛美の言葉だった。

細身の輪郭に、丁重に扱われたであろう陶器の肌。

本当に絵になる造形の顔は、遥か昔作られた彫刻かと疑うほど精巧だ。

何よりまず目がいくのは、挑発的に見開かれた真紅の双眸。

果実のように熟れた瞳に、危なさと苦味が宿っている。

涙袋を覆うほど長い下睫毛、目元を囲うラメがその存在感を一層強くしていた。

両の目下に惹かれた一筋の赤いラインも、月光を吸収して輝いている。

くすんだピンク色の髪で、僅かに外向きのウェーブをかいて柔らかく肩まで伸びている。

毛先は黒と赤のグラデーションで際立ち、なんとも可愛らしい。

脈打つようなルージュに、高尚な唇。

年齢は不明だが、年相応にあどけないながらも矜持と威厳を感じる顔立ちといった感じだ。

筆舌に尽くしがたい美人とは世に埋もれるほどいるが、この子は間違いなく群を抜く美貌を持っている。

値段を推し量れないほどのドレスを、我が物顔で着こなしているほどの美貌を。

“醜女“?とんでもない。あのギルとかいう男、美醜の概念が大逆転しているのではないだろうか。


と、散々褒め称えたが、これも“ルージュ・ダンデライオン“の自己愛に引っ張られているだけなのかもしれないとハッとする。

いや確かに、会場を大雑把に見渡した時もちらほらととんでもない美人はいた気がする。

ならば貴族が自身の美貌に金を費やした結果で、“ルージュ・ダンデライオン“が特別なわけではないのではと。


(ほんと調子狂うな、この子の体・・・)


自我が強すぎる、とでもいうのだろうか。

自分、及びそのスペックに絶対的な自信を持ち、順風満帆にいかないと気が狂いそうになるくらいに我儘。

傍若無人で得手勝手、梁冀跋扈を極め、横行闊歩で世界を我が物に。

その癖自分に不利があると情緒を乱し、それでも復讐心は燃え続ける。

この体が示す“ルージュ・ダンデライオン“の人物像とは、そんな言葉の羅列でできていた。


数十分体を乗っ取っただけで大袈裟なと思うやもしれないが、少なくとも私が読み取った彼女は“それ“なのだ。

要するに典型的な悪役令嬢だ。正真正銘、良くも悪くも裏表のない。


(・・・でも、ちょっと羨ましいかもな。)


これも自己愛の一種かと疑いにかかったが、どうにも違うらしい。

自分語りに過ぎなくて申し訳ないが、私は日本人の右に倣え精神を極めたような女だった。

同意と称賛で成り立つ会話を好み、特異点にならないよう並に努めて。

社会に適応する為己の個性を荒削りして、何者にもなれるように。

他人の評価次第で生きるも死ぬも決めるような人生だった。


(だから、どうしようもないくらい自分勝手に生きてるこの子が眩しい。)


例えこの子が“悪役“令嬢だったとしても。


(ま、小説家になる決断だけは人生で唯一思い切ったよな・・・)


――なんて、異世界に来たというのに前世を思い出す私の不毛さよ。

自信に満ち満ちたこの顔でそんなことを考えていると、



「月が綺麗ですね、お嬢さん?」


「・・・っ、!?わたくし?」


 

私ではない第三者の声が、闇の中で飽和した。

予想外な刺客に、冷たい鏡から弾かれたように手を退け背後に隠す。

まさか誰かが追いかけてきたのかと、思わず上擦った声が出た。

お嬢さんなんて形容されるべき人間は私しかいないというのに、なぜか疑問系で返してしまう。

というより相手から見た私は、ガラスの中の自分を熱心に見つめる自己陶酔女に映っているだろう。

――や、多分“ルージュ・ダンデライオン“はそんな自己陶酔女だろうけど。

私はその類ではないので、誤解されているならば訂正したいところだ。


「――え、ええ。綺麗ですわね、いいくらいに。」


ともかく内心の焦燥を誤魔化すように、平静を装った声で返事をする。

異世界でもその常套句は健在なのか、ただ彼が月の美しさに感銘を受けただけなのかは知るところではない。

後者の場合、私の返しはただの物騒な戯言としか受け取られない訳だが。

あくまで“ルージュ・ダンデライオン“を維持したまま、私は声の主を探る。

声の主は男だろうか。

若々しい緩い声で、敬意の籠った丁寧な声だった。

敵意らしい敵意は感じられないため、恐る恐る声のした方を向く。


「それはそれは、嬉しい返事だ。」


言葉の意図が伝わっているのか曖昧なラインでの返事。

闇に紛れて仄かに頭角を現す細身な彼の姿は、両手を上げてジェスチャーしてみせた。

姿こそ見えないが、シルエットから戯けた雰囲気が想像できる。


(だ、誰・・・?)

 

私は宇宙人にでも出会ったように、彼に、未知の生物に対して恐れを抱いた。

異世界人は宇宙人とほぼ同義のようにも思えるが、それは置いといて。

先程の事件を見て面白半分やってきたにしては、随分物腰の低い人だ。

 

「おや、そう警戒なさらないで。

僕なんて一介の下人、危害を加える気概すらありませんよ。」


「なら、まずは名乗るのが礼儀でしょう?」


遜った態度に便乗し、私は彼の解像度を上げようと質問をする。

不思議とこの口調も板についてきて、違和感も薄れてきた。

彼は心無しか口角をあげたように、


「いやいや!僕の名なんて価値のないものより、もっと価値あるものの話を致しましょうや。」


と、なぜかはぐらかすように話を逸らした。

なんだか不信感の拭えない人だ。私に敬意を示しているくせに、素直に名を教えてはくれない。

訝しげに眉を顰めた私だったが、彼は華麗にスルー。


「あー、ほら。やはり今日は月がとても綺麗だ。

 こういう月のこと、なんて言うんでしたっけ・・・“蜜月“?」


唐突に出てきたワードに、さらに眉間の皺が深まった。

蜜月――秘密ごと。又、

月という字を用いてはいるが、本来月を表す言葉としては相応しくない。

態々その単語を用いるのは――


「――馬鹿にしてるのかしら?婚約破棄されたばかりの、わたくしを。」


彼の言葉に、えもいわれぬ不快感を覚える。                                                                                                                                                              

私から見れば言葉の意味を履き違えたバカだが、“ルージュ・ダンデライオン“からするとおっちょくっているようにしか聞こえないだろう。

“ルージュ・ダンデライオン“は、彼の言葉を煽りと判断したらしい。

髪の先端を(もちろん私の意思ではなく)くるりと巻き、敵を見る目で鋭く睨む。

“ルージュ・ダンデライオン“なりの最上級の威嚇だったのだろうが、彼は斜に構えた態度を崩さず続ける。


「いや勿論、そういう意図で言ったんじゃないですよ?

 ――ところで、“蜜月“の由来って知ってます?」


今度は私が眉を顰める番だった。

しかしそれは感情に左右された物ではなく、単に記憶を呼び起こそうとした際の気難しい顔だ。


(蜜月の由来・・・?そういえば、全然知らないかも。)


場にそぐわない彼の急な質問にも、頭を捻らせバカ真面目に考えてしまう。

“ルージュ・ダンデライオン“からすれば知らないの一刀両断だろうが、私としては少々興味をそそられる。本当に少しだが。

彼は私が“知らない“素振りを見せたことを確認し、


「古代ヨーロッパの北国の人らは、結婚後30日間ハチミツ酒を飲む習慣があったらしいです。

 んで、それ由来で“蜜“月なのだとか。」


「・・・へぇ。」


彼はよく回る舌で、流暢に起源を解説してくれた。

感心はしたものの、3日後には忘れてそうなというか、役に立たなそうな情報を耳に入れた私は呆れ返る。

いや、まあ、情報としては面白いけれど。異世界で初めて得る知識がそれとは――


「――――――――――待って。?」


更に更に眉間の皺が溝を深くし、咄嗟に声を大にして聞き返してしまった。

彼の情報は確かだとして、不明点が1つ。

“ヨーロッパ“?地球上に存在する六大州の1つのことを指しているのなら・・・いや、文脈的にそうとしか考えられない。


(何故、の口からそれが?)


ここはそもそも異世界でもなんでもない、ただの地球だったの?

でも私は確かに死んだ。なら、固有名詞が全く同じ異世界でもあると?

ならば納得はいくが、それにしてもだ。

死んでいた脳みそをフル稼働し、彼の言葉の謎を理解しようと躍起になる。


だが私の思考はすべからず無意味となった。

彼の、真相を告げる一言で。




「――なぁんだ。やっぱ、アンタ転生者なんじゃん。」




一歩こちらに踏み出した彼の顔が、月光で鮮やかに照らされる。

蜜月で彩られた彼の口元は、世界で1番歪んだ弧を描いていた。

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