第16話

昼休みのプレハブ小屋。そろそろコンクリート剥き出しの床に座るのは厳しい季節になってきた。事務所には暖房が付いたくらいだもんな。

 何か敷物や毛布を持ち込むべきか、と悩んでいるうちに毎年冬が終わる印象である。なんだかんだで若さなのか寒さに打ち勝ってしまうのだった。もうここで冬を過ごすのも今年で最後だし。

 パタパタとスリッパの音がして、アリサがやってくる。いつだって弁当のアタシが先で、購買で菓子パンを買うアリサが後。

「でねー、もうほんっと彼氏が大人でー、かっこよくってー。この前はディナーに連れて行ってもらって、それでねそれでね!」

 話し続けていたアリサが声を途切れさせ辺りを見渡す。そんなことしなくとも、こんな寒い中誰もここまで来ない。

「……キス、されちゃった!」

 きゃー!! とアリサが叫ぶ。前言撤回、それだけ叫べば誰かは見に来るかもしれない。

 しかし、アタシもその手の話に興味がない訳ではなかった。まだ未経験のことを先に経験した者がいれば、根掘り葉掘り聞きたくなるのは当然である。

「どんな感じで?」

「駅でねー、別れ際に! 別れ難いなーって思ってたら、一瞬のことだったんだけどね!」

「目、閉じてた?」

「えー? どうだったかなー! ほんと一瞬だから、自分でもどんな顔したか分かんないよー!」

 ずっと普段よりも更に高い調子で頬を染めて話すアリサを、可愛いなあと思う。元から女子力は高かったけれど、きっと少し前よりもまた可愛くなった。

 いつも一月ほどで別れてしまうけれど、今度こそ上手くいってほしい。

「相手の人、いくつなの」

「25!」

 志賀と同じ年齢か。大人、大人、とは繰り返し聞いていたけれど驚いた。

「随分歳が離れてない? 大丈夫なの」

 遊ばれてない? と言外に尋ねる。アリサは頬を膨らませた。

「大丈夫だよー! かりんってば、アタシがいつもすぐ別れるから心配してるでしょー! 今回は大丈夫なんだってば! なんて言ったって、警察官なんだよ!」

「はああ?!」

 ポリ? 現役の? それが女子高生と?

「それって、犯罪とかじゃないの」

「違うよー! 合意の上だもん! でもね、周りにはいろいろ言ってくる人もいるだろうから、って卒業するまでは秘密なの。だから、かりんにだけ話したんだからね?」

 内緒にしてくれるよね? と迫られる。

「アリサ以外に友達もいないンだし、話そうにも話す相手がいないよ」

 お箸をしまい、お弁当箱の蓋を閉じた。予鈴まであと15分ほどだ。

「それより、受験は大丈夫なの」

「え〜。そういうこと聞くぅ? 18の冬は一度きりなんだよ?」

「夏もそう言ってた」

 アリサの声のトーンが露骨に下がる。

「いくら今遊びたくとも、浪人も嫌なんじゃないの?」

 うちが進学校で試験内容が難しいとはいえ、アリサの成績は赤点も多いことを知っていた。

「んー……それがさあ。就職しちゃおっかなー、なんて」

 アリサは歯切れ悪く呟いた。

「は?」

 自分でも現実味がないと分かっているからそんな言い方をするんだろうに。一体何を言っているのか。うちから就職するなんて誰もいない。そもそも、来年度に就職するなら就職先なんてとうに決まっていなくてはいけないのではないか。よく知らないけれど。

「彼氏がさあ。永久就職? させてくれないかな、って!」

「いつもすぐ別れんのに? そういうこと言ってていい時期じゃないって分かってるでしょ。高3の11月だよ」

 あまりに夢見がちな様子に苛立って、つい思ったことを言ってしまった。でも、アリサは気分を害した様子はなかった。

「流石の私だって、すぐに結婚とまでは思ってないよ。ただね、今、たまに彼氏のお仕事のお手伝いをしてるんだけど。簡単なのに、それですっごくお金を貰えるのね。だから、しばらくそれじゃ駄目かなーって」

 だって机に向かっていられないんだもんー、と騒ぐのを尻目に、アタシはぐるぐると考えていた。

「何、警察官の簡単な手伝いって。お金貰えるって。警察官って公務員でしょ。現役高校生使って、そんなことしていいの」

 アリサを問い詰めながら、自分にも少し後ろめたいところがあるせいなのを感じていた。年齢を隠して志賀に自分を雇わせている。未成年を遅くまで働かせているとか、ラブホまでの尾行に付き合わせたとか。何か罪に問われるのだとしたら、志賀の方になってしまうのだろう。甘えている場合じゃない、ちゃんと隠さなければと。

「あのね、警官同士が内密に情報を交換するのに協力してるんだよ。尾行してるときにね、警官同士が直接やりとりしてるのを相手に見られると怪しまれちゃうから、アタシが間に入って封筒を受け渡してるの」

「それってスマホじゃ駄目なの?」

「確かに……? なんかね、文書だけじゃないみたいだよ。証拠とかの物もあって、私は中は見ちゃいけないんだけど」

「ふーん」

 尾行。奇しくもアリサが自分と同じような仕事をしていたことに驚く。まさか犯人もデート中の人間が尾行しているだなんて思わないから、その誤魔化しにもアリサは一役買ってるとかそんなところなのだろうか。

「その人、一目見させてくれない? なんか心配。あんたって変な奴らに狙われやすいから」

「私もかりんに会ってほしい! 本当に良い人だから安心してよ!」

 あ、でも惚れちゃ駄目だからね? とアリサはご機嫌にくすくすと笑う。すぐさまスマホを操作しているところを見ると、会う段取りを付けているのだろう。

「一目見たらすぐ帰るから大丈夫だよ」

 と笑ってみせた。

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