第14話

翌週の夜。

「よお、かりん。久しぶりじゃん。アタシに何も言わずにもう抜けたのかと思ったぜ?」

 目立つ赤みがかった髪色のワンレンボブ。痩せた手が何度も髪をかき上げ、その隙間から鋭い目がアタシを見た。

「まさか。そンなことしないよ。ごめん、雫さん。バイトが忙しかっただけ」

 彼女のまたがるピカピカに磨かれた黒いバイクに近づき、睨み上げてくる彼女を宥める。

「アンタが誘ったアリサは入り浸ってんだからさあ。寂しがらせないでやんなよ?」

 雫さんは首を巡らせ、別の先輩ときゃっきゃと楽しそうに話し込んでいるアリサを顎で指した。アリサはアタシと同じく制服から着替えて、この肌寒くなってきた季節に生足ミニスカートという露出の激しい格好をしている。ここへ来るようになって、あの子の服装の系統も随分変わった。

「……そうだね。それより、早く行こ。東町の奴らをぶっ飛ばすンでしょ」

 おうよ、と返事した雫さんは、その辺りに溜まっていた女子に号令を掛けた。アタシは雫さんからヘルメットを受け取って、彼女のバイクの後ろに跨る。

 不必要にけたたましいエンジン音を上げて、バイクは通りを集団で移動しはじめた。雫さんは、この辺りの不良女子をまとめるリーダーだ。暴走族、と言っていいほどのものじゃない。アタシやアリサみたいに免許も持ってないようなもっと年齢の低い子だっているし、今バイクを走らせて向かっている東町だって自転車でも行けるようなごく近い距離だ。

 二年前、アタシは母を亡くした。七歳のときに父とは離婚していて、母はアタシとお姉ちゃんをそれまで必死に働いて育ててくれていた。

 ちょうどお姉ちゃんが就職して、アタシは高校に入学するタイミングだった。今度はお姉ちゃんが母の代わりに毎日遅くまで働いて二人分の生活費とアタシの学費を稼いでくれていた。

 それなのに、アタシは母を亡くした直後で毎日家に帰っても誰もいないのが寂しくて堪らなくて。一人で夜の街を彷徨うようになった。お姉ちゃんに迷惑を掛けたくはなかったから、非行に走ろうなんて思ったこともなかった。だけど、同じように夜の街で寂しい者同士が集まっていたのが今の不良グループだった。彼女たちは遅くまでアタシと駄弁り、アタシを受け入れてくれた。他のグループに絡まれたら、優しくしてくれた仲間が傷付くのは嫌だから立ち向かって争っていたら、どうやらアタシは人より腕っ節が立つようだった。グループは近所では敵なしになり、進学校の高校ではアタシは怖がられ浮いた存在になった。

 お姉ちゃんはアタシが金髪になっても服装が派手になっても、深夜に喧嘩でぼろぼろになって帰っても何も言わなかった。「かりんは金髪が似合うね。私はそういう遊びをしそびれちゃったから、今のうちにやっときな」っていつも笑っていた。

 そして今年の春、お姉ちゃんは突然ぷつりと電源が切れたように動けなくなった。ベッドから起きられない、ご飯も食べられない、お風呂にも入れない。当然、会社にも行けなかった。

 お姉ちゃんは話したがらないけれど、どうやら新卒で二年間勤めた会社がブラック企業だったらしい。お姉ちゃんは鬱になってしまった。

 お姉ちゃんは働けない。アタシを守ってくれる人はもう誰もいない。そうなって初めて、アタシは気が付いた。アタシは馬鹿だ。お姉ちゃんにばっかり働かせて、ちょっと淋しい程度で甘えきって逃げて。今度はアタシがお姉ちゃんを守らなきゃ。

 二人分の生活費と、高校の学費を今度はアタシが稼ぐ。多少の貯金はあれど、働かなければすぐに尽きてしまう。高校生が稼げる時間、金額じゃ到底足りなかった。アタシは動けなくなったお姉ちゃんの免許証をこっそりと借りて、お姉ちゃんの経歴で履歴書を書いた。お姉ちゃんの名前である「日野あすみ」を名乗って、お酒を出す店で遅くまで働くことにした。

 だからさ、本当はこんなところで意味もなく人を殴ったりしてないで今すぐバイトに行きたいンだ。アタシもそうだったけどさ、雫さんも含めてここにいる奴ら全員甘えてンだよ。学費も、食費も、バイク代だって。誰に出してもらって今生きられてる? 自分で稼ごうと思ったら、生きるのに必死で淋しいなんて言ってられない。あれほど大事だった縄張り争いなんて、全部下らなかった。

 それを今教えてやらないアタシは、全く優しくない。だけど、きっと口で言ったって伝わらないだろう。過去のアタシが絶対聞き入れようとしなかったように。実際にそうなってみなければ分からないのだ。自分がどれほど恵まれていたかなんて。

 そういうアタシも、いい加減抜けなければ、と思いながらまだずるずると関係を続けている。「抜ける」と言ったら、きっとリンチに遭う。それが掟だから。寂しい奴らの集まり。抜け出すなんて、許されない。

 それはまだ良いとして、アタシが抜けた後のグループのことも心配だった。このグループは自慢じゃなくアタシの腕っ節を恐れられ、この辺りの番を張れている。それがいなくなったとなったら、すぐに潰されてしまうに違いなかった。きっと皆酷い目に遭わされる。今までアタシたちが相手に遭わせてきたように。

 せめてアリサだけでも一緒に抜けさせてやれたらな。戦えないもので、呑気に後方で声援を送っている彼女を見遣った。アタシに殴りかかってくる女を躱し、髪を掴んで引き摺り倒す。

 アリサは街でカツアゲされているところを助けたら、アタシに懐いてそのままグループに入り浸ってしまっただけで元は普通の女の子だ。同じ高校にいるくらいだ、不良になるような子じゃない。

 それでも高校ではアタシといるせいですっかりここ以外の居場所を無くしているし、きっとすんなり抜けさせたりはできないだろう。逆に引き止められるのが目に見えていた。

「アタシにボコられたくなきゃ、中央区には入ってくンじゃねえ! 東町に大人しくすっこンでろ!」

 最後の一人を蹴り飛ばして啖呵を切り、ため息を吐く。

「流石だね。かりんが来てくれて助かったよ」

 雫さんに肩を叩かれた。今はもう、褒められても何も嬉しくない。口元を拭ったら、手に少し血が付いた。相手に負わせた怪我に比べれば些細なものだ。どうでもいいや、と思いかけて、『駄目だよ。女の子なのに』とつい最近叱られたのを思い出す。

「……バイトに行く。送って」

 さっさとバイクの後ろに跨った。

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