第3話

「探偵って初めて見た。もっと汚い事務所で、みすぼらしい格好してるもんかと」

「うーん、それは何の作品の影響だろう。信用商売だから、見た目を悪くして良いことなんて一つもないよ」

「ふぅん」

 彼女はくるくると手で弄んでいた名刺をスマートフォンのケースの背面に入れた。見た目で判断するのは失礼だけど、普段名刺のやりとりなんてしてなさそうだもんね。もらっても困るといったところだろうけど、流石に目の前で捨てる訳にもいかずに仕舞う場所を探してくれたんだろう。

「1時か。外を出歩けるようになったンなら、アタシ、バイトに戻るよ。店はまだやってるし、少しでも早く戻って仕事しなきゃ」

 ちょうど目にしたスマートフォンで時刻を確認して言う。

「じゃあお店まで送るよ」

「いいって。普段からキャッチやらで一人で彷徨いてるってのに」

「さっき自分でも言ってたけど、女の子なんでしょう。一人で夜道なんて駄目だよ」

「外なら襲われても撃退できるンだけどな。……勝手にすれば」

 一度脱いだコートを着直している俺を尻目に、彼女はさっさと玄関を出て行く。慌てて戸締まりをして追いかけた。コンコンコン、と小気味よくブーツが階段を鳴らす。

「きみはずっと今のお店で働いてるの?」

「いーや。入ったばっか。よくクビになンだよね」

「キャッチ、上手だったから向いてそうなのに」

「そ? アンタがよく店に来て払ってくれンならアタシもクビになんないかもだけど」

「あの事務所を見てそんな稼いでるように見える?」

 彼女は俺をちらりと見上げて、フン、と鼻で笑った。気持ちいいくらいに正直だ。

「お待ちしてま〜す♡」

 急にしなを作ったアニメの声優みたいに高い声。彼女の容姿にはむしろこっちの方が似合っているけれど。

「ああそれそれ、その声。それで客寄せしてるから、まさかきみがあんなに強くて豪胆だなんて思いもしなかった」

「仕事以外でこんな作り声やってらんない」

「そりゃそうだろうけど」

 ハスキーなヤンキー喋りの方が素なんだろう。それにしたって差が激しくて、仕事中の振り切れ方に驚く。

「あ! そうだ!」

 彼女が突然大声を出した。

「タオルと牛乳、ありがとう。助かった」

 何か忘れ物でもしたのかと思えば。律儀だな。それに、彼女は言い忘れたと思っているかもしれないがお礼ももう言われている。見た目とのギャップで、また笑いが込み上げてきてしまった。

「いやいや、こっちがお礼をする側だから当然だよ」

 彼女は声を震わせながら話す俺を不審そうに見ている。変な奴だとでも思われているんだろう。お互い様だ。

「アタシの店ここ! じゃ、覚えてたらまた来なよね。高いけど」

「サービスしてくれるんじゃないんだ」

「あんなの。入店させる口実に決まってンじゃん。入ったら高いよ」

「怖いなー」

 あっけらかんと店の裏事情を明かす彼女に笑いながら手を振る。ここまで堂々としているとむしろ気持ちいいというものだ。

「あ、店長」

 彼女が店に入ろうとすると、中から姿が見えたのか派手に着飾った女性が現れた。それなら彼女をバイト中に抜けさせてしまったのは俺の責任だし、一言謝罪と口添えをしようと足を止める。

「店長、サボってすみませんでした! 今からまた全力で仕事するしサボった分の給料は引いてもらっていいんで許してください!」

 俺が口を開く前に、彼女がはきはきと謝ってツインテールが大きく揺れて地面に着きそうなくらいに勢いよく頭を下げた。喧嘩や刑事も関わるような事件に巻き込まれたことについては何も言わないのか。ここにいる俺のせいにすることだってできるのに。

「あの……」

「ヒカリ」

 俺が口を挟もうとしたとき、店長が赤いリップの塗られた唇を動かした。

「店ん中見てごらん。誰もいないだろ。あんたがいくらやる気だったって今日はもう仕事ないよ」

「え? 何で……今からが一番忙しい時間じゃ」

「客もスタッフも帰したよ。変な輩があんたを出せって店の前でたむろしたから」

 不思議そうにきょろきょろしていた彼女が店長の言葉に動きを止め、俺は背後からでも今彼女がどんな顔をしているのか分かる気がした。会ってすぐだろうが分かる。あれだけ一本気で妙に律儀な彼女がどう考えるか。

「すみません、アタシのせいですね」

「あんた何かやばい物に関わってたの?」

 店長がフー……と煙草の煙を吐き出す。

「そういう訳じゃないです。今日たまたま喧嘩しただけで」

「どっちでもいいんだけどさ。ちょっとうちでは面倒見きれないかな」

「……そうですよね」

 彼女が『よくクビになンだよね』と笑っていたのを思い出した。俺のせいで彼女にまた仕事を失わせてしまう訳には、と焦るけれど何も妙案は浮かばない。

「あんた、美人だしいい子だからまたすぐに仕事見つかるよ。今日までの給料は振り込んでおくから。その制服も洗わなくていいから、もうロッカールームに置いておいて」

 店長の言葉も矢継ぎ早だった。それらは厄介者とは早く縁を切って、二度と顔を見せてほしくないという意味の言葉。

「……お世話になりました!」

 また深々と頭を下げた彼女が、店の中に駆けていく。

「あの!」

 店に戻ろうとする店長を呼び止めた。

「何でしょう」

「彼女を巻き込んでしまったのは俺で、彼女は何一つ悪くないんです。むしろ人を殴ってその腕っ節で俺を守ってくれたくらいで」

 店長はワインレッドに塗られたネイルで煙草を叩きながら無言で俺の言葉を聞く。

「お仕事の邪魔をしてしまい、本当に、申し訳ありませんでした。彼女は仕事熱心で更にはボディーガードだって務まるくらいですし、どうかお店に置いてあげてはもらえないでしょうか」

 がばりと頭を下げた。濡れたアスファルトに、店長のよく磨かれたパンプスだけが視界に入る。フー……と再び煙の吐かれる音が聞こえた。

「どこのどなたかは存じませんが。あの子のことだからそんなことだろうと私だって分かってますよ。ただ、他のスタッフへの建前上、店に危害を加えた子を置いておく訳にはいかない。女の子達には怖い思いをさせてしまったし、あの子のせいだってことも知れ渡ってるから次に出勤したときもあの子が肩身の狭い思いをするだけだ。うちの仕事にはボディーガードの能力なんて必要ないですしね。うちが雇い続けたってあの子にもメリットはないんですよ」

 パンプスが、踵を返して店に入っていく。カラン、とドアベルが鳴ってドアが閉まるのを、ずっと頭を下げて聞いていた。一つ長い息を吐いて、歩道の柵にもたれかかる。背後に車の走る音を聞きながら時折前を通る歩行者を眺めていたら、もう一度カラン、とドアベルが鳴って彼女が飛び出してきた。金髪を下ろして、Tシャツにジーンズというラフな姿。

「ええ?! アンタまだここにいたの?」

 驚くというより呆れたような反応をされる。ごめん、と言うよりも早く、彼女がぐいと俺に迫った。

「あのさ、アタシまたクビになっちゃった! だからさ、アンタがアタシを雇わない? 危ないときは役に立つよ!」

 美人助手になるしさ、どうよどうよ、と自分を売り込んでくる。俺のせいでクビになったことは持ち出さないで、気が向いたら雇わないかと言わんばかりに。

「言い値で雇うよ」

「マジ?! 時給一万ね!」

「はあ? 撤回するわ」

「男気ないなー」

「そっちは遠慮がないね」

「こんな美人を雇わせてあげるんだから妥当でしょ」

 どんな前向きだ。

「帰るんでしょ。家まで送るよ」

「冗談! だーから、知らない人に家なんか教えらんないんだって!」

 ここで解散! また好きなときに事務所行くわ! と彼女は軽やかに駆けていく。止める間もない。

 そんな好き放題なシフトがあるか、と内心毒づきながら、俺の口角は上がっていた。

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