第11話 交渉(B1パート)相続手続き

 葬儀はつつがなく終了し、郊外の火葬場で父の遺体がに付された。今はほの温かく感じる灰となって骨壺に収められている。

 神村かむら弁護士の部下であるわたが話を通してあったらしく、遺骨は父の親族の墓に納められることになっている。


 土岡警部は葬儀のみに参加し、その後、部下の衛藤に追わせていた不審者を検分しに向かった。

 近郊の墓地から世田谷の自宅へ戻ってくると、神村弁護士が待ち受けていた。


れい様、遺産相続の手続きをこれから申請に行きますのでお付き合い願えますか」

 神村は淡々とした口調で述べている。

「総理大臣との話し合いの結果もお知らせいたしたいので、私の車の中で話しましょう」

 黒いプリウスの後部座席に乗った玲香は、さっそく話し合いの結果を知りたがったが、神村に機先を制された。


「遺産相続ですが、通常手続きから三か月ほどで完了します。ただ今回は額が額なのでもう少しかかるでしょう。そして今から十か月以内に相続税を納めることで相続が法的に認められます。お父様の指定された売却物件と相続物件の一覧をファイルにして隣に置いてありますので、ご確認くださいませ。転居先となるビルはもちろん相続物件です」


 厚めの資料を開くと、十数件の高層ビルや不動産がリストアップされていた。確かに千代田区のあの物件は相続することになっている。

 ページをめくると株式や債権などの有価証券、現預金などの情報も整理されている。相続税が概算でいかほど、それに充てるために物件、有価証券の負担割合も示されている。主に不動産を売却して充当することになっていた。


「神村さん、不動産を売らずに有価証券や現預金で相続税を支払うことも可能なんですか」

「可能は可能ですが、現預金は必要なときに素早く支払えるため、可能なかぎり手をつけないことに取り決めてあります。有価証券も株式やFX、小切手などは比較的現金化しやすいのでこちらを少し使って、残りのすべてを不動産売却益で支払います。よろしいでしょうか」


 初めての相続なのだからよろしいもよろしくないもわからない。金銭については父のほうが詳しいだろうし、その顧問だった神村も財産に強い弁護士だろう。任せられる人に任せたほうがうまくいく、とは父の言葉だった。


「そのあたりの委細は神村さんにお任せいたします。ちなみに弁護士費用は相続の項目には入っておりませんが、まさかタダ働きなんてことはないですよね」

「ご心配なく。以前お話しましたが、お父様から成功報酬の小切手を受け取っておりますので。弁護士費用については考えなくてよろしいですよ」

「そうでしたね。それと、今回の相続が終わると仕事は満了したことになるのですよね」

「そうなりますね」


 十二桁の資産を管理する能力を考えれば、ここで手放すには惜しい人材だ。

「できましたら、その後は私の顧問弁護士になっていただけると助かるのですが」

「私のほうから有能な弁護士をご紹介することもできますが」

「わが家の資産の全体を把握していて、横領や使い込みのおそれがない弁護士を今から探すのは難しいかと。それでしたら父が信頼をおいていた神村さんにお任せしたいのですが」


 しばし沈黙が支配した。


「わかりました。それではお引き受けいたしましょう。契約書類は近日中にお持ちいたします」

「助かります」

「ですが、年齢のいった私だけでは心許ないのも確かです。私の知り合いで信用のおける弁護士をご紹介いたします。私は資産家専門の弁護士ですが、その弁護士は、おかみねといいますが刑事事件担当です。きっと玲香様のお役に立てるでしょう」

 ようやく切り出せるな。


「それで総理大臣の説得はどうなったのでしょうか。私は警察に残ったまま事業を相続できそうですか」

「それについては総理大臣と警察庁長官の話し合いになります。総理大臣の説得自体は成功したのですが、やはり実務は警察庁長官に委ねられていますから」

「それでは今回の交渉は失敗した、ということでしょうか」

 玲香は落胆を隠せなかった。


「いえ、私の前で電話していた総理大臣の話しぶりだと、警察庁長官も許可してくれる雰囲気はありました。あとは警察庁長官が警視総監と刑事部長を説き伏せてくれれば交渉成立です」

「今の警視総監は堅物ですからね。規則どおりにしか動かないかもしれません。刑事部長がどう判断されるかはわかりませんが」


 刑事課の実務は刑事部長の差配で決まる。上をいくら固めても刑事部長が首を縦に振らないとお膳立ても水の泡だ。

「喪が明けたら、橋本刑事部長に直接ねじ込みましょう」

 玲香は神村に連れられて、遺産相続の手続きのために各所をまわることになった。忌引の期間中にすべての申請が終えられればいいのだが。




 相続の手続きは滞りなく終わった。神村弁護士の処理能力の手腕を再認識する。

 この逸材は手放してはならない。おそらく父が遺した財産のうち、神村は五指に含まれるほどだろう。

 不動産、有価証券、現預金、量子コンピュータ、そして神村。人脈も交渉力も業務処理も、凡人など及びもつかないほどの能力を有している。

 警察との交渉においても、神村の力に頼ることになるだろう。玲香が口を挟むのは、かえって交渉を混乱させるだけかもしれない。




 喪が明ける前日、神村は世田谷で引っ越し荷物を整理していた玲香のもとを訪れた。

「引っ越し準備でお忙しいと存じますが、今から警視庁へまいります。総理大臣から警察庁長官を口説き落としたと連絡があったのです。折戸警視監も私の案に同意しております。警察庁長官と警視監の力を借りて、警視総監と刑事部長を攻め落としましょう」


 玲香はふとした疑問が湧いた。

「実務を仕切っているつちおか警部からも支持を取り付けないと、最後の一押しとしては弱いと思うのですが」

「確かにそうですね。玲香様が警部を落とせなかったら私に変わってください。同意させましょう」

「ということは、これから警視庁へ向かったら、まず土岡警部を落とし、警察庁長官と警視監、そして土岡警部の力を借りることになるのですね。どれほどの見返りが必要になるのでしょうか」


「なに、お金が動くことはありませんよ。そんなことをしたら買収や贈収賄になってしまいますからね。交渉の武器になるのは実績です。総理大臣を落とした三つの事件が警察庁長官にも伝わり、そこから警視監へと通達されたそうです。警察庁長官と警視総監は牽制し合っている間柄ですから、説得するのは最後にしました」


「本当にくだらないわ。どちらも警察のトップを自認していて、相手を見下しているのですから」

「まあ、どんな組織にもトップを競う役職は多いですからね。では警視庁へまいりましょうか」


「私の車で行きましょうか。守衛が認識しているのでスムーズに駐車場へ入れますが」

「そうですな。帰りも乗せていただけるのであれば」

「それはお約束いたします」

 ガレージから黒のミニを出すと、助手席に神村を乗せた。いよいよ交渉開始だ。





(第3章B2パートへ続きます)

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