量子の胎動〜探偵・地井玲香の推理

カイ艦長

量子の胎動

第1章 発端

第1話 発端(A1パート)発見現場

 千代田区にある警視庁本部庁舎の程近く、高層マンションの一室へつちおか警部とともにれいが派遣された。


「被害者の部屋はここメゾンド東京の二〇〇四号室です」


 玲香は記憶力に優れ、警察手帳も訴訟で必要になる最低限の重要証言以外は書き込んでいない。被害者の部屋も当然のように記憶していた。


「二十階か」

「そうです。十二階までは商業フロアですが十三階から上は居住スペースになっています。エレベーターで参りますか」

 そう言いながら玲香はエレベーターホールで上りボタンを押した。


 土岡とし警部は壮年のベテラン刑事であり、課員の皆に慕われている。

「そうだな。ちなみにここはガイシャのいる二十階へ行くのにエレベーター以外の手段はあるのか」


 このビルの一室にある幼稚園の防犯訓練で来たことのある玲香は即答する。

「階段が東西にひとつずつあります。一階にあるエレベーターは中央の四基だけですが、直通で居住スペースに止まるのはこの一基だけです。あとは十二階から入れる居住スペースのゲートを通って各階に止まれるエレベータが二基備えつけられています。東西の階段にもどのエレベーターにも監視カメラと防犯カメラが取り付けてあり、地下の制御室でモニターされています」

「ということは、現場を調べ終わったら、不審者を割り出すのに地下へ行く必要があるわけだな」

「そうなりますね。ですので階段を上り下りして手がかりを見つける必要もないということになりますが」


 土岡警部は頷いた。

「わかった。それじゃあお前は俺とエレベーターで二十階まで行くぞ」


 するとチンという音とともに居住スペースへ向かう一基の扉が開いた。

 土岡警部が乗った後に玲香もかごに入った。素早く二十階のボタンを押し、次いでドアを閉めるボタンにタッチした。

 そのまま扉が閉まろうかとしたところで、再び扉が開いた。どうやら他にもエレベーターに乗りたい人がいたようだ。

 二十代後半と思しき女性が慌てて乗り込んでくる。


「すみません。えっと二十階のボタンは。あれ、押されていますね」

 女性のことが気になった玲香は用件を聞き出そうと探りを入れた。

「二十階でなにかあるんですか。私たちは友人に会いに来たのですが」

 急いで来たのだろう。女性は息を弾ませていた。大きく深呼吸して落ち着けている。

「それが、よくわからなくて。警察の方からここに来るよう言われて来たんです」


「警察が、ですか。よろしければ理由を教えていただけますか」

 女性がじろりと舐めるように玲香と土岡警部を観察している。

「私がお付き合いしている男性が遺体で発見されたので、身元確認がしたいから来てください、としか」

 ということは、この女性は関係者か。


 黒のタイトスーツの内ポケットから警察手帳を取り出すと女性に開いて見せた。

「私たちも警察です。詳しいお話は現場に着いてからでよろしいですか」

「おふたりとも警察の方だったのですね。でもれいが死んだなんて本当でしょうか」


「私たちもここに到着したばかりです。一緒に現場を確認していただけますか」

 玲香は女性を興奮させないよう、ゆっくりと丁寧に切り出した。

「わかりました。お願いします」


 女性の返答とともにチンと鳴って扉が開いた。

 まず女性を外に出し、土岡警部に続いて玲香はかごを降りた。女性が廊下を歩いていくのに玲香と土岡警部は付いていく。


「失礼ですが、あなたがここへ来たのは今日が初めてですか」

「いえ、以前一度だけ部屋にあがったことがあります」

「では、あとで指紋や髪の毛などの提出をお願いしても受けていただけますか」

 玲香の言葉に女性は息を呑んだ。

「もしかして、私が疑われているんですか」


 顔の筋肉を緩めてゆったりとした笑みを浮かべて見せた。

「いえ、あなたが犯人ではない証拠を見つけるためにです。現場で指紋が見つかったり毛髪が見つかったりしたときに、被害者の礼次さんのものなのか、あなたのものなのか、それ以外の誰かのものなのかを区別するのに利用するだけです」

 土岡警部が言葉を継いだ。

「ちなみに、あなたのお名前をお教え願えますか。私は警視庁の土岡、こちらは地井です」


「あ、申し遅れました。私はふたゆうづきと申します。礼次さんとお付き合いさせていただいておりました」

「失礼ですが二木さん、おふたりは付き合い始めてどのくらい経ちますか」

「だいたい十年になります」

「ちなみに被害者がここへ引っ越してから何年になるかわかりますか」

「これもだいたいですが、一年ほどのはずです」


 一年間で一度しかここに来たことがない。にわかには信じられないが、男女の付き合いはそれぞれだ。毎日顔を合わせないと落ち着かない男女もいれば、何年も別居していても心がつながっている男女もいる。


 二木に続いて進んでいくと、彼女は突然立ち止まった。

 廊下には警察が使う黄色と黒の規制線が張られていた。こちらを見つけた制服警官が駆け寄ってくる。

「土岡警部、お待ちしておりました」

「ご苦労さん、こちらはガイシャの恋人、二木夕月さんだ」

「さっそくですが、現場をご覧になりますか」

 制服警官は警部に尋ねる。

「ああ、すぐに確認しよう。二木さん、刺激が強いとは思いますが、お立ち会い願えますか」


 その言葉に二木はためらいを覚えたようだ。

「安心してください。顔を見て気分が悪くなったらすぐ部屋を出てかまいませんので」

 玲香は穏やかな表情を浮かべて二木の緊張をほぐそうとした。


 いたずらに不安を煽るつもりはないが、あらかじめ覚悟を持ってもらわなければ取り乱されるのがオチだ。それでは冷静な供述を得るのが難しくなる。

「わかりました。それでは死んでいる人が礼次かわかればいいわけですね」

「そうなりますな。では私に続いてお入りください」


 土岡警部は規制線を守る制服警官にあいさつをして規制線をかき分けてもらって部屋へと入っていく。その後を二木が続き、玲香は殿しんがりを務めた。


 床には男性がうつ伏せで倒れていた。成人男性としては小柄なほうだとは思うが、それでも百六十センチはあるだろうか。

 だが、自室で内鍵までかけていたのに紺色のスーツを着ている。仕事から帰ってきて早々に心臓麻痺や脳溢血でも起こしたのだろうか。それにしてはカーペットにわずかだが血溜まりがある。刺し傷か切り傷があるのだろうか。


 土岡警部と玲香が両手を合わせて黙祷すると、二木も釣られて同じ動作をする。

「では、二木さん。確認していただけますか」

 玲香はなるべく温和な声色で問いかけた。

 その言葉に勇気づけられたのか、二木は倒れている男性の顔に近寄っていく。

 動きが一瞬止まって顔を背け、両膝を床についた。


「礼次に間違いありません。でもなんでこんなところで亡くなったのでしょうか」


 警部が先に到着していた刑事に尋ねた。玲香は被害者の状況をつぶさに観察する。

 遺体はサバイバルナイフのような大型の刃物を手にしている。

 礼次の腹には刺し傷があり、その血がカーペットに流れたのだろうか。


「現場の状況と遺体の様子から自殺と他殺の両方が考えられます。ただ、遺体の発見された経緯が不可思議なので、第一発見者に待機してもらっております。事情聴取なさいますか」

 その言葉に興味を抱いた玲香が問いかける。

「ちなみにどう不可思議だったのでしょうか」





(第1章A2パートへ続きます)

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2024年11月30日 19:00
2024年12月1日 19:00
2024年12月2日 19:00

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