第13話 狩りの旅路 ―Hunter's Road―

「そうだ...」


突然思い出したように、俺はマリアさんから受け取った包みに手を伸ばした。

あの時、街を出るまで開けるなと言われた小さな包み。


「ん?それは?」


アルが興味深そうに覗き込んでくる。


包みを解くと、そこには見覚えのある革袋が三つ。

そして、マリアさんの文字で書かれた短い手紙。


『旅の糧として。

全ては話せなかったけれど、あなたなら分かってくれると思います。

一つ目は、フェニックスの肉の欠片。死の危険があった時だけ。

二つ目は、グリフォンの心臓。逃げなければならない時のために。

三つ目は、ドラゴンの血液。最後の切り札として。


——生きて、必ず戻ってきてください。

マリア』


「これは...!」


「ユウト、一緒に確認させてくれないか?」


アルの声には、長年の経験が滲んでいる。


「俺も魔物の素材には多少詳しくてな。お前の鑑定能力と合わせれば、より正確に効果が分かるはずだ」


俺は頷いて、一つ目の革袋を開ける。

フェニックスの肉の欠片を取り出すと、加護による鑑定が始まる。


『不死鳥の心臓肉』

「一度だけ、死からの復活を可能にする。極めて状態が良好。他の効果として、治癒力の永続的な向上も」


「ふむ...」


アルが慎重に観察する。


「色と艶を見るに、保存状態は完璧だな。マリアという女は、相当な技術の持ち主だ」


二つ目のグリフォンの心臓。


『風翼獣の心臓』

「瞬間的な俊敏性と跳躍力の爆発的向上。短時間の飛行すら可能に」


「これは貴重だ...」


アルが目を細める。


「逃走経路の確保には、これ以上ない素材だな」


最後のドラゴンの血液。


『古代竜の純血』

「圧倒的な力の解放。ただし、使用者の体に大きな負担」


「最後の切り札というのは、伊達じゃないな」


アルが感心したように頷く。


「大切に保管しろよ。こんな上質な素材は、そうそうお目にかかれない」


「ええ」


「なあ、ユウト...」


革袋をしまおうとする俺に、アルが声をかける。

一服している巻きたばこの煙が、朝の光に透けていく。


「せっかくの上質な素材だ。食べられる状態のうちに食べちまえ。これだけの効果なら、今後の旅路でも役に立つぞ」


「...アルさんも、一緒に」


俺が革袋を差し出すと、アルは首を横に振った。


「違うさ。それはお前の分だ」


煙を吐きながら、遠くを見つめる。


「マリアって女は、お前のことを想ってそれを残した。俺の分まで見越して残したわけじゃない」


「でも...」


「それに、お前はまだ生きていかなきゃならない。俺なんかよりずっと長く」


アルの目には、どこか遠い思い出が浮かんでいるような色があった。


「マリアの気持ちを無駄にするな。お前が食え」


その言葉に、深い重みを感じる。

アルの背中には、まだ俺の知らない多くの物語が隠されているのだろう。


「...ありがとうございます、ここで食べておこう」


革袋から、三つの素材を全て取り出す。


「おい、全部食うのか?」


「ええ。死んでからじゃ、食べられませんからね」


アルの問いに、静かに答える。


「いざという時のために取っておく...それも一理あるけど」


小さな携帯用の鍋を探し出しながら続ける。


「死んでしまったら、それまでです。今、確実に力を得ておきたい」


「...そうだな」


アルも納得したように頷く。


「死人に力は要らねぇ。生きてこそ、だ」


火を起こし、マリアさんに教わった手順で調理を始める。

フェニックスの肉、グリフォンの心臓、そしてドラゴンの血液。

それぞれの素材を丁寧に刻み、水筒に残った水で煮込んでいく。


「随分と手慣れてるな」


アルのポケットから出てきたわずかな塩と、野草で代用した香辛料を加えていく。

素材それぞれの特徴を活かしながら、一つの料理へと昇華させる。


深い赤と金色が混ざり合った煮込み料理から、神秘的な香りが立ち昇る。


「どうぞ」


「いや、これは」


「これも、旅立ちの食事です。一口だけでも」


「それじゃ、一口だけ味見させてくれ」


懐かしい匂いが漂う。

マリアさんの厨房の香り。


「マリアさんは...料理には人を繋ぐ力があるって」


アルは小さく頷き、共に口にする。


あり得ないほどの美味さ。

三つの素材が織りなす深い味わいが、口の中いっぱいに広がる。

そして、体の中を力が駆け巡るのを感じる。


治癒力の永続的な向上。

瞬間的な俊敏性と跳躍力。

そして、圧倒的な力の解放。


全ての力が、完璧なバランスで溶け合っていく。


「これが...マリアさんの贈り物の味、美味い」


アルは黙って頷いている。

その目には、何か深いものが宿っていた。


「ありがとう、マリアさん」


俺は最後の一滴まで飲み干す。

もう二度と味わえないだろう料理。

でも、その力は確かに俺たちの中で生き続ける。


「行こうか」


立ち上がる体が、今までとは明らかに違う感覚に満ちている。

生き残るための力を、今、確かに手に入れた。


東の空に向かって歩き出す二人の背中に、朝日が伸びていった。

これが、マリアさんとの最後の繋がり。

その想いを力に変えて、必ず生き抜いてみせる。


*


街道から外れた獣道を行くこと二日目。

体の芯から湧き上がる痛みに、時折歯を食いしばる。

ドラゴンの血液による力の代償は、予想以上に重かった。


「大丈夫か?」


アルが心配そうに声をかける。


「ええ、なんとか」


水源を見つけては水筒を満たし、アルの助言で食べられる草を採取しながら進む。

だが、それだけでは足りない。

体の痛みを抑えるためにも、新しい魔物の肉が必要だった。


「来るぞ」


アルが低い声で警告する。

茂みの向こうで、何かが動いている。


ディアウルフの群れ。

三匹が牙を剥いて俺たちを取り囲む。


「任せてください」


メイスを構えながら、マリアさんの食材の料理で得た力を感じる。

体が、以前より遥かに軽い...のはいいが、筋肉の奥底から走る痛みが気になる。


最初の一匹が襲いかかってきた時、俺の体は既に動いていた。

グリフォンの心臓がくれた俊敏性で、簡単に回避。

振り下ろされるメイスが、獣の頭蓋を粉砕する。


「ぐっ...!」


一瞬の強い痛みが走る。

ドラゴンの血液の影響だ。


「後ろ!」


アルの声に振り返ると、二匹目が襲いかかってくる。

痛みを堪えながら、フェニックスの肉で強化された反応力と、ドラゴンの血液による怪力で、一撃の下に仕留める。


「くぅ...」


関節という関節が軋むような感覚。

でも、まだ終われない。


三匹目は逃げようとしたが、許さない。

跳躍力を活かした追撃で、背後から仕留めた。


体の痛みと引き換えに手に入れた力。

それでも、アルを守るためなら、この程度の代償は安いものだ。


「さて」


荒い息を整えながら、加護による鑑定を始める。


『ディアウルフの心臓』

「持久力と夜間視力の向上。鮮度は完璧」


『後脚の筋肉』

「瞬発力、特に跳躍能力の強化」


「調理するか」


アルが手慣れた様子で火を起こし始める。


この二日で、二人の息はすっかり合ってきていた。


「今度は俺が味付けを」


アルが懐から、どこで手に入れたのか香辛料の小袋を取り出す。


「逃亡者の必需品でな。まあ見ていろ」


その時、突然の風圧が襲い掛かる。


「伏せろ!」


アルを突き飛ばすと同時に、紫色の光弾が飛来した。


「魔法使いか!」


茂みの向こうから、角の生えた魔物が姿を現す。

バジリスクだ。

魔力を操る特殊な個体。


「チィ!」


けたたましい叫び声と共に、次々と魔法弾が放たれる。

避けきれなかった一発が、左腕を掠める。


「ぐっ!」


痛みと共に腕が痺れる。

しかし、フェニックスの肉による治癒力のおかげで、傷はみるみる塞がっていく。


「この......!」


ドラゴンの血液の力が再び疼く。

全身を貫く激痛に歯を食いしばる。

だが、今はそんなことを言っている場合じゃない。


「はあああッ!」


グリフォンの心臓の俊敏性を活かして間合いを詰め、

渾身の一撃をバジリスクの頭部に叩き込む。


「ギィッ!」


断末魔の悲鳴と共に、魔物は倒れた。


「ふう...」


「大丈夫か、ユウト!」


駆け寄ってくるアルに頷きながら、

左腕の傷を確認する。

もう跡形もない。


「これは...いい素材が手に入ったな」


バジリスクの死体を鑑定する。


『魔導バジリスクの角』

「魔力感知と魔法耐性の向上。極めて良質」


『魔導の心臓』

「魔力操作の能力を付与。状態は完璧」


「今夜の食事が増えたな」


アルが笑みを浮かべる。


「ああ」


体中を走る痛みを堪えながら、

新たな力を得るための準備を始める。

この痛みも、きっと慣れていくはず。


*


湖のほとりで野営の準備を整えながら、俺は自分の手のひらを見つめていた。

バジリスクの魔導の心臓を食べてから、体の中に新しい感覚が芽生えている。


「魔力...か」


掌を前に向けると、かすかな光の粒子が浮かび上がった。

まだ小さな、火にも及ばないような光だけど、確かにそこにある。


(リズム...テンポノワールは、こんな風に魔法を使い始めたのかな)


アニメの中で見た、あの優雅な魔法の使い手。

今の俺からは想像もできないような完璧な魔法の制御。

でも、きっと彼女も最初は、こんな風に始めたんじゃないだろうか。


「おや、粘土があるじゃないか」


アルの声に顔を上げると、湖の岸辺に良質な粘土が堆積しているのが見えた。


「おお!粘土!」


俺は粘土に駆け寄る。


「ユウト、何を作る気だ?」


黙々と粘土を集め始めた俺に、アルが興味深そうに声をかける。


「ちょっと...大切なものを」


手を動かしながら、アニメの一場面一場面を思い出していく。

漆黒のドレス。

深紅のメッシュが入った黒髪。

凛とした横顔。

そして、あの真摯な眼差し。


「へえ...」


アルは黙って見守っている。


指先が記憶を再現していく。

フィギュア製作で培った技術が、粘土の上で踊る。

次第に、リズムの姿が浮かび上がってくる。


「随分と丁寧な作りだな」


「ええ。この人は...俺の道標です」


月明かりの下、小さな偶像が完成していく。

魔法使いとしての第一歩を踏み出した今だからこそ、

彼女の背中が、より一層眩しく感じられた。


「ノクトゥルナ様...」


小さな粘土像に向かって、静かに祈りを捧げる。

掌に宿った小さな光が、優しく偶像を照らしていた。


「さて、寝るか」


アルの声に頷きながら、粘土像を大切に布で包む。

いつか、この小さな魔法の光も、

彼女のような輝きになれるだろうか。


人知れず願いを込めながら、

俺は夜の帳に目を閉じた。

夜更け、小さな粘土像が不思議な輝きを放ち始めた。


「ユウト...」


懐かしい声に、俺は目を覚ました。

月明かりの下、粘土で作ったリズムの像が、かすかな光を纏っている。


「ノクトゥルナ様!」


「ふふ、随分と可愛らしい姿を作ってくれたのね」


偶像に宿った女神の声には、少しの照れが混じっているようだった。


「申し訳ありません。アニメの...」


「いいのよ。その姿にも、私は愛着があるわ」


そう言いながら、ノクトゥルナ様の視線は眠るアルに向けられた。


「あの方は...興味深い人物ね」


「アルさんのことですか?」


「ええ。追われる身でありながら、確かな信念を持っている。そして何より...」


一瞬の間。


「あなたを本気で気にかけている。まるで、本当の親子のように」


俺は黙って頷く。

確かにアルは、この数日で俺にとってかけがえのない存在になっていた。


「私の第二の使徒として、相応しい人物だわ」


「え...」


「あの方を、私の使徒にしましょう。あなたと同じように」


粘土像が柔らかな光を放つ。


「アルフレッド・モーリス...彼の心には、私への親和性が感じられる。光耀神教会に追われ、それでも信念を曲げない魂」


「でも、アルさんは...」


「心配いらないわ。選択は彼自身に委ねるの。ただ...」


ノクトゥルナ様の声が、優しく響く。


「あなたには、理解者が必要だわ。この先の道のりを、一人で歩むには長すぎる」


粘土像の光が、徐々に弱まっていく。


「そろそろ、限界のようね。また会いましょう、私の使徒よ」


「ノクトゥルナ様!」


「心配しないで。これからは、二人の使徒が共に歩む道になるはず...」


声が消え、粘土像は元の姿に戻った。


俺はアルの寝顔を見つめる。

第二の使徒。

それは、新たな絆の始まり。


月明かりの下、粘土像が静かに佇んでいた。


*


まだ日の昇らない早朝、アルが目を覚ました。

その表情には、いつものシニカルな色が消えていた。


「ユウト...女神様にお会いした」


静かな声で、アルが切り出す。

巻きたばこも吸わない、真摯な表情。


「夢の中で、漆黒のドレスを着た美しい女神様が現れてな」


アルは東の空を見つめながら続ける。


「お前の作った、あの粘土像そっくりの方だった。俺を...使徒に選ぶと」


「アルさん...」


「最初は夢かと思ったよ。でもな」


アルが右手を広げる。

かすかな黒い光が、その掌から立ち昇った。


「これが現実だってことが、目覚めた瞬間に分かった」


「それは...」


「ああ、お前と同じ加護だ。今まで見えなかった魔物の素材の効能が、手に取るように分かる」


アルはポケットから、昨日の戦利品の一片を取り出す。


「これを見ろ。バジリスクの心臓の、この部分にはこんな効果が...」


声が途切れ、アルは苦笑する。


「まるで若返ったみたいだな。こんな風に興奮するなんて」


「ノクトゥルナ様は...」


「ああ、名前も告げられた。追われる身として、邪教の女神に仕えることの意味も」


アルの目が、強い意志の色を帯びる。


「でもな、ユウト。俺は受け入れる。お前と同じように、この女神様の教えを」


「アルさん...!」


「もう一度、人生をやり直す機会をくれたんだ。今度は...」


アルの声が、かすかに震える。


「今度は、大切な者を守り抜いてみせる」


その言葉に、深い決意が滲んでいた。


空が白み始める中、

二人の使徒は黙って朝日を見つめていた。


これは、新たな絆の誕生。

そして、本当の意味での旅の始まり──。


粘土像が、朝日に輝いていた。

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