第4話 休日の午後 ―Rest Day―
「さて、ここがあなたの部屋よ」
扉を開けると、陽の光が埃を舞い上がらせた。南向きの大きな窓からは、街並みが見渡せる。
「うわ...」
部屋の中央にはしっかりとしたベッド。
片隅には木製の机と椅子、反対側には大きな衣装箪笥。
贅沢とまではいかないが、落ち着いた雰囲気の家具が揃っている。
「家族が...使っていた部屋?」
尋ねてから後悔したが、マリアは平然と答えた。
「ええ、弟の部屋だったわ」
埃を払いながら、淡々と続ける。
「まずは窓を開けましょう。換気が先ね」
重たそうな窓枠に手をかけると、マリアが手伝ってくれた。
二人で力を合わせると、カラカラと音を立てて開く。
新鮮な空気が流れ込んでくる。
「よし、まずはベッドのシーツを全部外して」
埃まみれのシーツを剥がしていく。
何年も使われていない生地は、少し硬くなっていた。
「箪笥の中身も全部出さないと」
中からは、誰かの形見のような服が出てきた。
マリアはそれらを黙々と別の箱に詰めていく。
手伝おうとする俺を、軽く手で制した。
「これは私の仕事」
静かな声で言って、また作業に戻る。
箒で床を掃き、雑巾がけをし、家具を磨いていく。
黙々と続く作業の中で、時折マリアの溜息が聞こえる。
でも、その表情は穏やかだった。
「ほら、窓も拭かないと」
脚立に上って、背伸びしながら窓を拭く。
不器用な動きに、マリアが笑う。
「あはは、そんな無理な体勢とらなくても。ほら、こうよ」
後ろから手を添えられ、驚いて固まる。
「な、なんでそんなに固まるのよ。」
(いや、女性に触れられた事なんてないんですけど...いろいろ当たってますし)
心の中でツッコミを入れながら、言われた通りに動く。
「ふぅ...」
二時間ほどで、部屋は見違えるように綺麗になった。
新しいシーツも敷き、カーテンも付け替えた。
「これで一応、住める状態にはなったわね」
マリアが満足げに見回す。
「弟も、きっと喜んでくれると思う」
小さく呟いた言葉に、返事はできなかった。
ただ、この部屋には確かに、誰かの思い出が染みついている。
「じゃ、次は着替えを用意しましょ」
マリアは気を取り直したように、新しい話題を持ち出した。
でも、その横顔には、かすかな寂しさが残っていた。
この家には、まだ知らない記憶が眠っているのだろう。
それを知るのは、もう少し先のことになりそうだった。
「はい」
とりあえず、今は目の前の作業に集中しよう。
新しい部屋。新しい生活。
そして、少しずつ知っていく、マリアという人のこと。
窓から差し込む陽の光が、埃の舞う空気を優しく照らしていた。
家具を動かし、埃を払い、床を磨く。
窓を開けると、心地よい風が吹き込んでくる。
「ふぅ...」
「お疲れ。じゃあ、公衆浴場に行きましょ。さすがにこの汗は流したいわね」
掃除を終えたマリアは、タオルと着替えを手に取った。
「公衆浴場って...」
「ああ、初めて?まあついておいで」
*
「なるほど...これが異世界の銭湯か」
石造りの立派な建物の前で、思わず呟いてしまう。
「何かおかしいこと言った?」
「い、いえ!なんでもないです!」
入口で男女に分かれる。
受付では、がっしりとした体格のドワーフの女性が、にこやかに迎えてくれた。
「あら、マリアさん。今日は若い連れがいるの?」
「ええ、うちの食堂の新人よ」
3枚の銅貨を支払い、木製の籠を受け取る。
「じゃ、中で待ってるわ」
マリアと別れ、男湯に向かう。
「おお...」
脱衣所に入ると、様々な種族が入り混じっている。
ドワーフの筋肉質な体型、エルフの細身な体格、そして獣人の体毛...。
好奇心をそそられるが、じろじろ見るのは失礼だろう。
(つか、裸の付き合いって、種族超えて当たり前なんだな...)
急いで服を脱ぎ、籠に入れる。
浴室に入ると、そこは予想以上の光景だった。
天井が高く、大きな窓からは自然光が差し込む。
中央には大きな浴槽、壁際には洗い場が並ぶ。
魔法の力で温められているのか、湯気が心地よく立ち込めている。
「おや、新顔かい?」
洗い場で、年配のホビットが声をかけてきた。
「は、はい」
「ギルドの食堂で見かけた気がするが...マリアの店だったかな?」
「そうです。昨日から働かせていただいてます」
「ほう、あの厳しいマリアが採用したのか。期待されてるんだな」
世間話をしながら、湯船に浸かる。
温かな湯が、疲れた体を優しく包み込んでいく。
(気持ちいい...)
浴槽の向こうでは、大柄な獣人と小柄なホビットが談笑している。
エルフの老人が孫らしい子供に背中を流してもらっている。
種族の垣根を超えた、なんとも平和な光景。
「湯加減はどうだ?」
振り向くと、今度は体格のいいドワーフだ。
「人間の若い衆には熱すぎないか?」
「いえ、とても気持ちいいです」
「そうか。この湯加減、私が管理してるんでな」
誇らしげに胸を叩く。どうやら浴場の従業員らしい。
「火の魔法の制御は私たちドワーフが得意でな。温度を一定に保つのも、私の仕事よ」
異世界ならではの話に、つい聞き入ってしまう。
時間が過ぎるのを忘れるほど、心地の良い湯だった。
やがて、外の声が聞こえてくる。
「ユウト、そろそろ出るわよー」
「あ、はい!」
慌てて湯船から上がる。
体が芯まで温まっている。
脱衣所で着替えを済ませ、外に出ると、マリアが待っていた。
濡れた髪が、夕陽に輝いている。
「さっぱりしたでしょ?」
「はい。とても気持ちよかったです」
「でしょ?この街の自慢なのよ」
帰り道、マリアの横顔を見ながら考える。
異世界の銭湯。種族を超えた交流。
そして、マリアの穏やかな表情。
この何気ない日常が、なんだか愛おしく感じられた。
*
「はい、お酒」
夕食の席で、マリアがグラスを差し出してくる。
「あ、いえ、その...」
「遠慮しなくていいのよ。私なんてユウトの歳の頃は飲んだくれてたよ」
言われるがまま、口をつける。
甘くて飲みやすい。前世でもあまり飲まなかったが、これなら...。
「ふぇへへ...」
一時間後、マリアの頬が赤く染まっていた。
「ユウトぉ...いい子だよねぇ...」
「マ、マリアさん、もう飲みすぎでは...」
「だってぇ...」
グラスを傾けながら、マリアが甘えるような声を出す。
同い年...いや、前世では同級生くらいの年齢なのに、こんな姿を見せられると困る。
(そういえば...なんで独身なんだろう)
ふと疑問が浮かぶ。これだけ美人で、料理も上手で、性格も良くて...。
でも、そんなことは聞けるはずもない。
「あのぉ...」
少し間を置いて、思い切って別の質問をしてみる。
「魔物の...食用について、聞いてもいいですか?」
マリアの表情が一瞬引き締まる。
「...今でも、田舎とか、物流が届かないところではあるのかもね」
慎重に言葉を選びながら。
「でも、今はほとんどないわ。っていうか、その手の話は外ではしない方がいいわよ」
グラスを置きながら、真剣な眼差しになる。
「宗教によっては禁忌だし、場合によっては邪教徒って言われかねないから」
「そう...なんですね」
「それより」
マリアが身を乗り出してくる。
「あんた、世間の常識に疎すぎない?本当になにもの?」
「え、その...」
「深くは聞かないわ。でも」
酔いは残っているのに、目だけがしっかりとしている。
「迂闊な行動は危ないから、気をつけなさいよ」
「は、はい...」
話題を変えようと思った矢先、マリアの頭が俺の肩に凭れかかる。
「すぅ...すぅ...」
寝息を立て始めた。
(まったく...)
昨夜と同じように頭を撫でていると、マリアが寝言のように呟く。
「ごめんね...守れなくて...」
誰に向けた言葉なのか。
それを知る術はない。
ただ、この人には何か事情があるのだろう。
それは、俺にも似たようなものがあるように。
「おやすみなさい」
月が昇る頃、二人の休日は静かに幕を閉じていった。
マリアの寝顔は、どこか寂しげで、
でも安らかだった──。
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