第2話 異世界の朝 ―Awakening―
目が覚めた時、最初に違和感を覚えたのは自分の手だった。
「えっ...」
シワもなく、シミもない若々しい手のひら。鏡を探して慌てて動こうとした瞬間、体の軽さに二度目の衝撃が走る。
(これが16歳の体...?)
「ふふ、その身体は気に入ってもらえたかしら」
「!」
突然、心の中に響く声。間違いなくノクトゥルナだ。
「ノクトゥルナ様...!」
「慌てることはないわ。まずは落ち着いて」
その声に従って深呼吸する。次第に周囲が見えてきた。見慣れない木造の部屋。窓から差し込む朝日。
「服装は、この世界の一般的なものに整えておいたわ。荷物の中には、当面の生活に必要な金貨も入れてあるから」
ベッドの傍らに置かれた革の鞄を確認する。確かに金貨が入っている。他にも着替えや、日用品らしきものが詰められていた。
「えっと、異世界にでの言葉に苦労しそうですが..読み書きの能力は?」
「ええ、基本的な言語能力は付与しておいたわ。あとは...」
一瞬の間。
「病から身を守る加護と、怪我の治癒を促進する加護。...今の私に与えられるのは、それくらいなの」
ノクトゥルナの声に、申し訳なさが滲む。
「ごめんなさい。もっと力があれば、もっと恩寵を与えられたのに...」
「いえ、十分です!」
慌てて否定する。
「むしろ、こんなにも配慮していただいて...」
「でも、この交信も...」
再び短い沈黙。
「信仰が弱まっている今の私では、一ヶ月に一度くらいしか叶わないわ」
その言葉に、突然の寂しさが胸を突く。
「そんな...もうお会いできないんですか?」
「ええ、しばらくは...」
声が揺れる。まるで、リズムが劇場版で見せた表情のように。
「でも、私を信仰する者たちが増えれば...私の力も、少しずつ戻っていく。そうすれば、もっと頻繁に交信することも、場合によっては顕現することだって...」
「わかりました」
迷いなく答える。
「必ず、たくさんの信者を集めます。そして、またノクトゥルナ様にお会いできる日まで...」
「ユウト...」
「はい」
「焦らないで。まずは、この世界に慣れることから始めて」
優しい声が、心に染みる。
「私の加護は常にあなたと共に。だから...」
「はい。ノクトゥルナ様」
声が次第に遠くなっていく。最後の交信の機会を惜しむように。
「また...会えますよね?」
「ええ、必ず。その時まで...」
声は消えた。部屋に朝日だけが差し込む。
16歳の体。異世界の服。そして、控えめな加護。
今の自分にできることから、一歩ずつ。
「よし」
立ち上がる。窓の外では、見知らぬ異世界の街が、俺の第一歩を待っていた。
かつて、アニメのリズムがそうだったように。
最初は小さな一歩から、全てが始まるのだ。
路地裏から一歩、メインストリートに踏み出した瞬間、思わず息を呑む。
(うおお...本物の異世界だ...!)
アニメやゲームで見慣れているはずの光景なのに、実際に目にすると全然違う。その圧倒的な現実感に、しばし立ち尽くしてしまう。
「おーい、通るぞー!」
荷車を引く獣人の男の声で我に返る。急いで道を開ける。毛並みの良い獣耳がピクピクと動くのを間近で見て、思わずドキドキした。
(てか、みんな普通に武装してんじゃん...)
大剣を背負った戦士、杖を持った魔法使い、弓を携えたエルフ...日本なら即逮捕モノの武装で、みんな普通に歩いている。
「あ、これってもしかして」
目の前を通り過ぎる二メートル級の竜人が、背中に担いでいた斧がやけに気になった。
(あのサイズ、普通に建築用とかじゃない?戦闘用じゃなくて...)
そう考えると、武装して歩いてる連中の中にも、狩人や木こりみたいな職人も混ざってるんだろう。
(へぇ...)
黒髪の人族、金髪のエルフ、がっしりしたドワーフ、小柄なホビット。その合間を縫うように、獣人や竜人が行き交う。
「ファンタジー種族コンプリート!」
思わず声に出てしまい、周囲の視線が気になって小声で付け加える。
「...したと思う」
市場からは活気のある声が聞こえ、通りには露店が並ぶ。肉を焼く香ばしい匂い、見たことのない果物、きらびやかな装飾品。
(うわ、これ全部何か知りたい...!)
異世界。オタクの血が騒ぐ。でも、そんな時。
「おい、そこの若造!」
ゴツい男性の声に振り返ると、大剣を担いだ冒険者らしき男が露店の肉を指差していた。
「道の真ん中で突っ立ってんじゃねえ。買うなら買う、じゃなきゃ横にどけ」
「す、すみません!」
慌てて道を開ける。男は鼻を鳴らして通り過ぎていった。
(やべ...見た目16歳の餓鬼なのを忘れてた)
35年分の精神年齢が、この体に詰まってることを思い出す。バカみたいに街の様子に見とれてたら、周りから見たら完全な田舎者だ。
「...落ち着こう」
深呼吸をして、もう一度周囲を見渡す。
武器を持った冒険者たち。露店の商人。行き交う様々な種族。
全てが新鮮で、全てが興味深い。でも、今はまず──
「やっぱり異世界ファンタジーの基本は、冒険者ギルドだよね!」
人混みの中を歩きながら、なんとなくアニメの知識を思い出していく。
(まずは受付で登録して、初心者講習を受けて...)
大きな建物が見えてきた。板に描かれた剣と盾の紋章。間違いなく冒険者ギルド本部だ。
「よーし、頑張るぞ!」
意気込んで扉を開けると...
「うわ」
想像以上の喧噪。
酒を煽る声、取引の声、喧嘩の声。アニメみたいな落ち着いた雰囲気なんて微塵もない。
(まあ...そうだよな。命懸けの仕事する連中の集まりだし)
受付らしき場所に向かう。若い女性がカウンター越しに応対している。
「あの、冒険者登録したいんですが」
「はい。登録料は銅貨3枚です」
「え、そ、それだけ...?」
戸惑う俺に、受付嬢は慣れた様子で続ける。
「他に何か?」
「その...初心者講習とか...」
「はぁ?」
受付嬢が面倒くさそうな顔をする。
「命懸けの仕事なんだから、自分の身は自分で守れって話でしょ。講習なんてあるわけないじゃない」
「そ、そうですよね...すみません」
(まずい...アニメの知識が裏目に出た)
さっさと銀貨を支払い、身分証代わりの銅プレートを受け取る。
「今の君には、街の雑務くらいしか依頼は出せないわ。掲示板の一番下を見てね」
言われた通り掲示板を見る。
「雑草取り...荷物運び...ゴミ収集...」
(うわ、完全に雑用係じゃん)
がっかりしながら掲示板を見ていると、横から声が飛んでくる。
「おい、餓鬼。食堂の手伝い、やってみないか?」
振り向くと、エプロン姿の中年女性が立っていた。
「ギルドの食堂よ。昼時は人手が足りなくてね。皿洗いと配膳くらいなら、すぐにでも覚えられるでしょ」
「あ、はい!お願いします!」
思わず飛びついて返事をする。
(これは...!)
食堂なら情報収集には最高の場所だ。冒険者たちの会話も聞けるし、この世界のことも学べる。
「時給は銅貨5枚。まずは今日の昼時だけ来てみな。様子見て、それから話を進めましょ」
「ありがとうございます!」
中年女性――マリアさんと名乗った――は、厨房への入り口を指さした。
「じゃあ、二時間後に来なさい。その服装でいいわ」
俺は深々と頭を下げた。
(よっしゃ!)
情報収集の場所も見つかったし、収入の当てもできた。
...と、そこまで考えて気づく。
(そういえば...料理の基本も知らないんじゃ...)
コンビニバイトの経験しかない俺に、果たして食堂の仕事が務まるのか。
不安と期待が入り混じる中、厨房からは既に賑やかな声が聞こえていた。
「おや、意外と器用じゃない」
マリアの声に、手元の包丁が一瞬止まる。
「え?」
「その野菜の切り方。無駄な動きがないわ」
気づけば、目の前には均一な大きさに切られた野菜が並んでいた。
(あれ...?)
確かに包丁を握るのは人生初めて。でも、手の動きは不思議なほど自然だった。
「フィギュアのフィギュモクレイの切り分けとかと、同じ感覚...?」
「ん?何か言った?」
「あ、いえ」
思わず呟いた言葉を慌てて濁す。でも、確かにそうだ。
パーツの切り出し、微細な加工、接着...。
プラモデルや同人誌製作で培った手先の器用さが、まるで違う形で活きている。
「ほら、次はこの魚の内臓を取って」
「はい!」
目の前に置かれた魚を見て、一瞬たじろぐ。
でも──
(これも、プラモのカスタム時の解体と同じ...!)
メス使いのような繊細さで、魚を捌いていく。
「...本当に料理初めてなの?」
不思議そうな顔で覗き込んでくるマリア。太陽に焼けた健康的な肌が、厨房の明かりに照らされて輝いている。
「はい。でも、細かい工作なら...」
「工作?」
「ああ、いえ...」
また言いかけて止める。異世界にフィギュアやプラモの説明なんてできるわけない。
「まあ、いいわ。腕があるのは確かね」
マリアは満足げに頷く。
「包丁さばきもいいし、皿洗いも丁寧。これなら、明日からでも雇えそうだわ」
「ほんとですか!?」
思わず声が弾む。
「ええ。昼時の給仕と、夕方からの仕込み。それと...」
マリアはニヤリと笑う。
「暇な時に、私から料理を教わりな。その器用さなら、すぐに覚えられるはずよ」
「ありがとうございます!」
深々と頭を下げる。
(よし、これで情報収集の拠点はできた!)
歓喜に沸く心の中で、ふと気づく。
マリアの左腕に、龍が這うような形の火傷痕。
彼女の過去を物語るような傷跡に、思わず目が留まった。
「あ...」
気づかれたことに気づいたマリアは、さらりと言う。
「昔の傷よ。誰にだって過去はあるでしょ?」
そう言って、また包丁を握る。
「さあ、次は玉ねぎを刻むわよ。涙に負けずに頑張りなさい」
「は、はい!」
(なんだろう...)
この人には、どこか惹きつけられる。
その理由は、まだ分からない。
でも今は、目の前の玉ねぎと向き合おう。
フィギュアやプラモで培った技術が、思わぬ形で活きる。
異世界での第一歩は、意外な才能の発見から始まった。
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