第10話 獣人の国に乗り込んでみた
「この時を待ちわびた」
がんばって影転移の印を付け始め、約一年。
目標は、一年以内に辿り着くことであった。
「ついに、この時が」
俺は、ついに、獣人の国の国境まで来ていた。
かろうじて、あと一日のところで達成できた。
「この時が恋しかった」
「どうしたんですか、そんな、この時この時言って」
どうやら、しかしこの感動に水を差す無粋なやつがいるようだ。
「口を閉じろ、暗愚が」
「んっ//……ひ、ひどいですよ! 急に、そんな……っ」
遺憾ながら、モモは未だに残念なままだ。
体は年相当以上に成長してきているくせに、なぜこうも、中身が残念なのだ。無常。
そうして、俺が無常観を悟りかけていると、国境の砦と思わしき、一際大きな大樹から、矢と怒声が飛んでくる。
「立ち去れ! ここは、誇り高きヷーウルフ族の縄張りだ! 貴様らのような、軟弱な種族の来ていい居場所ではない!」
そんな野蛮な登場を魅せた男は、その蛮勇に似合うだけの格好をしていた。無理やり着たのか、向きを間違えた軽装鎧はところどころ曲がっていて、本来は背中に着けるようなマントも、ふんどしのように鎧の上から股に巻かれている。
そんな登場に、モモがキレる。
「ゼフィ様に対してなんて無礼な……っ! ゼフィ様、この国滅ぼしちゃいましょう!」
種族同士の対立があるということはないが、種族ごとに住む地域は分かれていて、それぞれ特色がある。
その中でも、隣国が獣人への差別が芯まで根付く帝国なので、その国境の辺りに住むここの獣人は、人間に対する警戒心が強い。
だから、この不敬は許容してやらねばならない。
「落ち着けモモ」
「で、ですが!」
「今日は戦いに来たのではない」
「…………はい」
モモが、興奮して瞳孔の開いた目を伏せ、しょんぼりとする。
なんだか、最近、モモの三下感が増してきた。
犬らしいと言えばそうだが……。
まことに難儀だ。
さて、まあ、テンポよく行こう。
警戒を解く。
犬は人になつきやすいし、警戒さえ解いてしまえばあとは楽勝という算段だ。それに、いざとなったら脅せばいい。ここまで辿り着いた今、難局は乗り越えたと言える。
あとは、簡単な作業になるだろう。
「聞け! 俺はデュエラシア君主国公爵家長男、ゼフィリアン・D・アクシアだ! 巫女を連れてきた!」
登場の仕方だが、本来だったら、もっと工夫するべきだろう。ゼフィリアンの名が泣いてしまう。だが、悲しいことに、それはできない。
というのも、獣人には勉学を重視する者が少なく、デュエラシアの仕組みを理解する能力がないのだ。『力こそ至高』という考え自体は、デュエラシアも同じだが、獣人の国には、『知恵は軟弱』という風習がある。頭を使いたがらない。わかりやすい実例を挙げると、歴史の年表のほとんどが『人間に騙された』の文で埋め尽くされている。
長々と語ったわけだが、つまり、これ以上前置きを長くすると、本題が理解できない可能性があるということだ。
「でゅえ、なんて?」「コウシャク! コウシャクっつったぞ! コウシャクってなんだ!」「しっ、うるさいぞ」「いや、巫女っつったんだ」「巫女? 巫女様が戻った?」「うおお、巫女様だ!」
魔法で聴覚を強化し、内容を聞く。
ほらな?
今でこそ、賢い狐やエイプなどの獣人が中心に立ち束ねているため、大国といえるほどの国に成長したが、それまでは、違法奴隷やら詐欺やら不敬罪やらで数を減らし、絶滅寸前だった。
そのくらいの、馬鹿さ加減だ。
「巫女様! どうぞお入りください!」
掌がくるくる回る。
普通だったら、信用という手首がバッキバキに壊れる動作だ。だが、俺は獣人に理解がある。
しょうがない、素直に招き入れられてやろう。
「待て! お前は、あとで族長にあってもらう! そこの檻に入っていろ!」
モモを招き入れようとしていた獣人が、俺を見て、顔を顰め、ぞんざいに、虫を払うように手をプラプラさせる。
……。
「こっちだ!」
ほかの獣人が、俺の腕をつかむ。
そして強く引っ張る。
清潔な衣服に泥がつく。
それが染みて、服の中を伝う。
…………。
…——いい度胸だッ。
「——殺す」
―――気が変わった。
ちょうど、去年はこの日は、アクシア家傘下へのお披露目だったか?
一年後の今日は、修羅場でのお披露目だ。
「なにをしている、早く来――」
「《
「――ぁえ?」
殺すよりもひどい目に合わせよう。
こいつらにとって、戦死は名誉だからな。
「俺の、俺の腕がああああっ!!」
「なにをしている!」「血だ! 攻撃したぞ!」「戦闘だ! 戦え!」「やれぇえ!」「軟弱な人間がぁ!」
四肢を捥ぎ、戦士としての死を与えてやろう。
逆に、怪我による引退は、恥辱にあたるのだ。
……ああ、そうだ、こいつらにとっては、感覚も
「目が、目があああっ!!」
「鼻か°あ°あ°あ°あ°っ!!」
「耳がああああああっ!!」
……
…………
…………………
……………………
}{
「……これは、なにごとだ?」
いかにして損害を少ないまま戦士として殺せるか、それをモモと競っていると、初老の男が現れる。
——猛獣だ。
真先に、そんな印象が付くような、犬獣人。
顔立ちは鋭く、白髪交じりの髪を荒くオールバックに搔き解かしている。
一睨みで格闘家すら震え上がらせるその眼光は、鈍い灰色の輝きを放ちながら、俺を刺す。
「お前の、仕業か」
ぽろり、と、零れ落ちるような、しかしたしかな意思を持つ言葉が、俺の鼓膜を震撼させる。
そして、叫ぶ。
「お前の、仕業かあ!」
まずい。こいつは、明らかに、まずい。
確実に、俺より■■い。
逆立ちしても、いかなる手段の全てを用いても、必然のように、俺では勝て■■。
絶対的だ。
——このままでは死ぬ。
本能が、そう大音量の警告を告げる。
そんな、確信的な直感を受けながら、上ずりそうになる声を押さえつけ、喉の奥から、必死に声を絞り出す。
「……そう、だッ」
「……そうか。……おい。構えろ」
やる気だ。
止めねば。
「話が、ある」
犬獣人が、行動を中断する。
「……話だと?」
少し話すだけで、一々凄まじい迫力だ。
下手なことをすれば殺す、というのが、ひしひしと伝わってくる。
だが、希望はある。
(言葉が、通じる!)
「ああッ。……そのために、来た」
「だったら、なぜ、こんなことをした?」
「……不敬、だったから、返り討ちにした。俺は、できることなら、戦わずに解決したい
犬獣人が考え込む。
心臓の音がうるさい。
視界が白く滲み、めまいがする。
過度の緊張によるものだろう。
犬獣人は、俺のことを、まるで、送り先を決める、地獄の閻魔のような、判決を下す、冥府のミーノースのような、裁きを与えんとする、ナーラカのヤマのような、そんな、揺るぐことのない
しばらくそうしていると、やがて、犬獣人が口を開く——
「――そうか」
……っ。
「うちのが、失礼したな」
——説得、できたのか?
気付けば握りこんでいたこぶしを開く。
背中には、冷たい変な汗が流れていた。
危ないところだった。
まさに、危機というべき状況だった。
あれほどの窮地に陥っても助かったことは、奇跡としか言いようがない。
だが、こんなことで満足してはならない。
これで目標が達成されたというわけではないのだ。むしろ、やっと、マイナスから零の地点に来たというところだ。
切り替えて、交渉の目処を――
「では、手合わせと行くか」
――は?
「ッ!」
「ほう! これを止めるか! では、これはどうだっ!」
「がはっ」
いきなり殴り掛かってくる犬獣人。
一撃目は、魔法で逸らせたが、二撃目は当たってしまった。
なんとか受け身をとる。
なんだこれ、納得したんじゃなかったのか?
とんでもないだまし討ちだ。
「なん、で……っ」
「理由を問うか!? 決まっている! 戦闘員のヷーウルフを、無傷で、しかもきれいに無力化する力! 興味深いにもほどがある! 戦わない理由を探すほうが骨だろう!」
「くっ」
野蛮族めっ。
だが、こちらの切り札を忘れてもらっては困る。
「それよりも、優先すべきことがあるっ」
「ハハッ! 優先すべきものぉ!? 聞かせて貰おうじゃないか!」
「——巫女だ」
—ぺしょ
犬獣人の動き止まる。
それにより、俺の放った
フロンティーヌでさえ『つよつよ』と評価するこれが、ぺしょ、だと?
頭に当たって、ぺしょ?
ぼこっ、ではなく、ぺしょ?
化け物だ、理不尽すぎる。
「なんだと?」
しかも、そのまま話を続けてきやがる。
「少しは周りを見ろ」
「……」
犬獣人は、案外素直に見渡し――眼球がモモを映したところで、時が止まる。
「……なんですか?」
モモが、訝しそうに言う。
だが、犬獣人には届かない。
少しして動き出した犬獣人は、何度も目をこすり、自分の目になに付いていないことを確認すると、目を見開いたまま再びこちらを向き。
「 」
なにかを伝えてくる。
が、口ばかり動くだけで、声が出ていない。
清々しいまでの動揺振りだ。
「頭は冷えたか?」
「っあ、ああ。まさか、こんなところで、再開できるなんて……」
あの口パクは、娘との再会を喜んでいる動作だったようだ。
「モモ……!」
犬獣人は、感極まってモモの方へ歩み寄る。
およそ七年ぶりの、
今、犬獣人は、さぞかし感動で満たされているのだろう。
「よく、生きていてくれた……!」
そして、モモまであと数歩の地点で――
「――誰ですか?」
——崩れ落ちた。
}{
『『申し訳ございませんでした』』
俺は今、とても混乱している。
あの犬獣人がしばらく掛けて立ち直り、無礼な蛮族どもを謎の力で治し始めたのは、多少吃驚はしたが、あまり登場シーンのない獣人なら納得だ。
俺に無礼を働いた門番どもが、俺に謝っているのもいいし、姿勢を低くしているのもいい。不敬罪とは、一般的に、かなり重い罪だ。むしろ、そうしない方がおかしい。
当然のことだ。
だが——
「おい、なんだその巫山戯た姿勢は」
「? 服従の姿勢ですが」
——逆、なのだ。
土下座をひっくり返したような、仰向けに腹を見せる姿勢。犬猫がする分にはなにも思わないが、犬とはいえ、人形の動物がこれをするのはひどく無様だ。もはや、滑稽とも思わない。
「見苦しい」
「ピクッ」
……控えめに跳ね上がるモモのことは無視だ。
「……まあいい。巫女のことで相談だ」
どうしていいかわからないので、とりあえずあの犬獣人に声を掛ける。遠回しに相談用の部屋を要求した。
「ああ」
……しかし、動き出す様子はない。
勘の悪いやつだ。
「部屋を用意しろ」
「わかった」
頭の出来は、族長だろうと関係ないようだな。
しかも、この様子だと、さっき襲ってきたのも、部下の敵討ちなどではなく、単純に強そうだったからだったのだろう。
戦闘狂め。
}{
「そういうことだ」
「ああ! アンタがいいやつで助かった! まさか、これっぽっちで娘を守ってくれるなんて!」
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親交契約書
この契約書は、ゼフィリアン・D・アクシア(以下、甲とする)と、フィルョーグゼ・ヷーヨルドグゼヴ・ウルヴジェクセフョ・パワーヴァイオレンス…略…(以下、乙とする)との間の交流の証としての契約である。
第一条
1,乙は甲に以下の条件の元、絶対服従である
㈠乙は、いかなる場合も、全力を持って従うこと
㈡乙は、甲に一切の不平不満を表さないこと(暴力、口頭含む)
2,代償に甲は乙の娘であり巫女でもあるヷーウルフ、モモ・ヷーヨルドグゼヴ・ヴルクジェクセフ・パワーバイオレンス…略…の安全をできうる限り保障すること
第二条
1,乙は、甲がなにかに困った時、全力支援すること
㈠ここで言う乙とは、ヷーウルフ族の全てを…
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:
:
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などなど。
見る人が見れば、憤慨を通り越して惘然とするような内容を可能なだけ詰め込んだ。
それで、この不当な内容を『これっぽっち』と評価し、それを作った俺を、『いいやつ』と思い込んで感動する族長。
今まで、よく社会として機能してきたな、この州。
態度だけは、いかにも貫禄のあるボス、みたいな威厳を持つから、その高低差には毎度つまずく。
改めて、獣人は、中央政府の重鎮以外は頭が弱いということを痛感した。
ああ、あと、フィルフョーグゼなんとかというのは、族長の名前だ。
長過ぎて、最後まで書ききれなかった。
これを、フィルョーグゼが完璧に覚えていたことには驚いた。
気を取り直して、魔法を行使するために、詠唱を開始する。
契約書は作ったが、俺だって、こいつらが契約書の重大さを理解するとは思っていない。口約束の方がまだ従うだろう。
では、この契約書の用途はなにかというと、それは代償を伴う取引。
つまり———
「…の名の下、代償を受け入れ、契約を遂行せよ
————《
———『悪魔の契約』だ。
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