1 赤毛の大男

 今を去ること二十九年前、王都から続く街道を、一人の赤毛の男が馬を引いて歩いていた。


 統一戦争が終わって徴集ちょうしゅうされていた兵隊たちは、恩賞と共にそれぞれの故郷へ向かって帰って行く。街道の端々にはまだ戦争の傷跡が色濃く残っていた。

 怪我をし、手や足を失った者、人知れず川のほとりで亡くなった者、焼かれた家々。踏み荒らされて何も収穫できない農地や、壊された城壁などが放置されている。

 そんな町や村に、少しずつ兵士だった男たちが帰って行く。


 背の高い赤毛の大男、ウルツ・ピアースは平民ながら戦争での功績こうせきを讃えられ、褒賞ほうしょうとして軍馬を下賜かしされた。あまりに立派な馬だったので乗るのももったいなく、多くない荷物を載せて、こうして手綱を引いている。


 地方の領主の農地で小作人として働いていた彼が、その立派な体躯たいくに目をとめた領主に、自家の私兵として仕えることを約束され、兵士の訓練を受けた。

 その後始まった統一戦争に領主が徴集されたことをきっかけに、ウルツも一緒に戦争に行くこととなった。

 ウルツは大きなからだを活かし勇敢に戦い、たくさんの敵を倒し、味方の騎士を救ったことから、この褒賞を得た。


(みんな、どうしているだろう? 父と母は元気だろうか? お館様の奥方様や、お坊ちゃん、お嬢様方は……)


 ウルツは知っていた。今回の戦いで領主様は命を落とされた。……と言うことは、だれか親戚筋の別の方が領主様に成り代わられるかもしれない。そうしたら、自分や雇われている他の者も、すげ替えられる可能性がある。

 その時はどうしようか……などと考えながら、馬に水を呑ませるために川のほとりに降りて行く。

 水を呑ませると、木の下に馬をつないで草を食べさせがてら一休ひとやすみしていた。


 日差しの暖かさにウトウトしていると、近くで叫び声がした。

 女の声のようだ。

 ウルツは起き上がると、声のした方に近づいて行った。すると先ほど馬に水を呑ませた川の中で、転倒している町着姿の女が目に入った。

 それほど流れのない小さな小川なのだが、足が石の間にはまってしまったのであろう、動けぬままずぶ濡れになっている。


「大丈夫ですか? 今お助けします!」

 ウルツはそう言うと、ザブリと川の中に入り、女をかかえて助け出した。


 川から上がって、低い草の上にその女を下ろす。

「あ…ありがとうございます」


 マロンブラウンの膝丈のスカートに同色のベストとジャケットを着た、身持ちの固そうな年若い女性は、寒さからか震えたままだったが、お礼の言葉を絞り出した。

 こげ茶色の髪はほとんど濡れていなかったが、背中の真ん中からスカートは、絞れるほどしっかり水が滴っている。白い頬に水色の目が不安げに揺れる。


「……ここに生えている水草が良い薬になるのです。馬にも水をあげようと降りて来たのですが、馬が蛇に驚いてしまって……」

「そうですか、蛇に噛まれなくれよかったですね」

 そう言ってウルツが笑むと、女性の緊張した顔がほんの少し緩んだ。


 本当だ、こんなところで毒のある蛇にでも噛まれたら、誰にもみつからぬまま死んでしまうかもしれない。そんなことが頭をよぎってぞっとする。


「どちらまで行かれるのですか? よかったら私の馬でお送りしましょう。あなたの馬は先に帰っているかもしれませんよ。馬は頭の良い動物ですし」

「そんな、見ず知らずの方に……」

「俺はこの先の村の者で、ウルツ・ピアースという者です」

 遠慮する言葉を制して、先に名乗った。


「ありがとうございます……私はエメリー・フェアライトと申します。父はこの先の町で医者をしております。もし、送っていただけたらお礼をお渡しできますので、お願いできますでしょうか?」


 これが後の冒険者、セレスティン・ピアースの両親の出会いだった。


 この後、ウルツは恩賞でもらい受けた立派な馬を売り、それを元手に荷馬車と馬車馬を買い、商売を始めた。戦争の余波で物資の行き届かない町へ、売り子と一緒に農作物を運んで売り、帰りの馬車には生活道具や薬、塩や砂糖などを積んで村々で売った。

 数年後、エメリーの父が医者をしている町の一角に店を構えることができ、二人はめでたく結婚する。

 二人の間にはやんちゃな長女、おとなしい長男、次女と子供が産まれ、すくすくと育ってゆく。


 やんちゃな赤い髪の長女が『冒険者になる』と言って家を出て行くのは、それからまだ先の話である。


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