第1話 プロローグⅡ
夜も深まってきたところで、アルメリアはようやく家路についた。
閑静な住宅街に佇む一際大きい木骨造の長屋。それが彼女の住処であった。
静かに鋳物門扉を開き、内側から鍵を閉める。タイル張りのアプローチを渡り、数段ある階段を登った先がようやく玄関だ。
彼女は自宅に入ると履いていたロングブーツを無造作に脱ぎ捨てた。
視線を上げると、廊下の先、一番奥の部屋から明かりが漏れていた。
夜も遅い。すぐにでも床に就こうと考えていた彼女であったが、パートナーが働いているとあってはそうもいかない。
ぎしぎしと軋む廊下を歩いて、アルメリアは開口一番憎まれ口を叩いた。
「まったく。先に寝ていろと言ったのに。勤勉なことだな、ワンコ」
そんなことを言いながらも彼女の言葉にはまるで悪意が籠もっていなかった。
当然だ。彼女は口こそ悪いが、性根が悪いわけではない。心中には感謝の気持ちこそあれ、相手を馬鹿にするような感情など一切ないのだ。
「お疲れ様、メア。疲れたでしょう、いまお茶を淹れるわね」
「いらないよ。すぐに寝る」
「あらそう。一口飲めば落ち着くのに」
無論、パートナーもそんな彼女の気持ちは理解していた。
同居人兼一般庶務担当、ライカ・スターオリオン。アルメリアからしてみれば既に見慣れてしまった容姿ではあるが、傍から見れば彼女もまた美少女という認識で間違いないだろう。
銀髪のセミロングに星を刻んだ大きなカチューシャ。円らな瞳は澄んだ青空を想わせる。
凛然とした立ち振る舞いのアルメリアとは対照的に、献身的な雰囲気を纏っているのがライカの最大の魅力であった。
「それで。何か進展は? シャノワールはちゃんと現場に向かったんだろうな」
「問題ありません。よくないわよ、仕事仲間を疑うなんて。ねぇ~、シャノン♪」
「んなぁ~♪」
黒猫のシャノワール。
先に自分の住み家に戻っていた彼はライカにされるがままに喉を鳴らした。
アルメリアはその様子を横目に見ながら、部屋の隅に置かれたアンティークコートスタンドに外套をひっかけた。
「では状況確認と行こうか。ちゃんと視てなかったら報酬は抜きだからな」
ギョッとシャノワールが顔を上げた。
最高級キャットフードがかかっているのだ、これでダメ出しをされたら夕食が抜きになる。
「疑り深いなぁ。これが証拠よ。シャノンが視た被害者はどうやら右腕がなかったようね」
ライカは自分のデスクに設置してあるPCを操作すると被害者の写真を表示した。
ショッキングな映像だがこれも彼女たちの仕事だ。弱音を吐いてはいられない。
「右腕、か」
アルメリアは考察するように、指先を顎にあてた。
「ちなみに蒼士くんが確認した被害者の遺体からは左足がなくなっていたみたい。メアの方はどうだったの」
「私が確認したのは腹の部分だ。正確には……小腸、あたりかな」
「ふ~ん。じゃあ関連性はないみたいね。今までの被害者も全員取られている箇所は違っているようだし」
「いや、そうでもないだろう」
「どうしてそんな事が言えるの?」
「取られている――採取されているというのがそもそも問題なんだ。ワンコ、人体図はあるか」
「うん。えーと、確かこのあたりに……あった」
ライカは引き出しからファイリングされている書類を抜き出すと彼女に渡した。
「いいか、これまでに犠牲になったのは合計で六人。私たちが発見したのが追加で二人だ。人間の身体は大きく分けると外側の部位と内側の臓器から成る。外側から順番に丸をつければこう。内側の臓器はこんな感じになるかな」
アルメリアは色を分けて五種と十三種に丸をした。
「ワンコ、今までの被害者からなくなっていた部位に印をつけてみろ」
「え~っと」
紙に×印をつけていくライカ。
これまでの事件をファイリングしている彼女であれば数秒とかからずに結論が出た。
「これは……」
印のされた人体図を見てライカは目を丸くした。
そう、死体から欠損していた部位は、何一つとして被ることなく綺麗にバラけていたのだ。
「気づいたか。今回の事件は、一見関連性がないように見えて実はある。何者かが意図的に引き起こしている計画殺人の可能性が高いんだ」
「一体何のために」
「それがわかったら苦労してないよ。全ての部位が奪われたら、何かが解るのかもな」
「物騒なこと言わないで。その前に犯人を捕まえないと」
「わかっている。善処はするさ、善処はな」
アルメリアは自分のデスクに座るとテレビの電源を入れる。同時に指をパチンと鳴らしてシャノワールが食す高級キャットフードマシンの電源を入れた。
シャノワールはトコトコと歩いていき、マシンの前で食事を始める。
テレビでは丁度深夜のニュース番組がやっていた。読み上げている記事の内容には覚えがある。先ほど街に置いてきた死体に関してだ。
「警察もようやくまともに動き出したみたいね」
「気がつくのが遅過ぎだがな。報道では六人だが、実際には八人だ。残りの二人が見つかるまでに一体何人死体が増えるかな」
今夜の仕事はこれで終わりだ。後は事件の内容をレポートに書いて就寝となる。
「――ん、誰かしら」
丁度彼女がPCを操作しようとしたところで、ライカの携帯電話に着信が入った。
「こんな夜更けに連絡とは。どうせまた悪い知らせなんだろうなぁ」
ライカが携帯の画面を操作する。
アルメリアの予想は見事に的中した。画面を眺めるライカの表情が一瞬にして曇った。
「残念ながらそうみたい。メア、PCを開いて。お婆様からよ。内容を確認してって」
「送ってくれ。ったく、あのインチキ占い師め。こういう時だけは仕事が早いな」
日本から遠く離れた地、イギリス。
長い歴史と伝統を持つこの地では世界有数の占星術協会や専門学校が多数存在する。
占い方法は占星術の他に手相、タロット、四柱推命などがあるが、アルメリアが言うインチキ占い師は俗に占星術のエキスパートにして大司教と呼ばれるほどの実力者だ。アルメリアとは古くからの付き合いで、切っても切れない腐れ縁の仲にある。
何故、こんな人物にアルメリアが仕事を依頼したかと問われれば答えは簡単である。
彼女たちが追っている連続怪死事件は、世間一般ではまだ認知度の低い事柄だ。表だって注目されているのは、たった今テレビが特集している皆既月食――紅い月の方である。
数ヵ月後に迫った紅い月の到来は、暦にすれば実に百五十年ぶりのことらしい。
月は古くから、人の内側に眠る魔性を呼び醒ますと言われている。アルメリアとしては、連続怪死事件よりもむしろこちらの事件の方が気がかりだった。
「……送信完了。メア、確認して」
「ハイハイ」
苛立ちを抑えて、アルメリアはPCを操作する。
モニターの画面に表示されたのは月見ノ原市に住む住民情報だった。
「どうやら要注意人物のリストアップみたいね」
「そのようだな」
どうせ大した結果ではない。要注意人物とは言っても無視して問題ない有象無象だと、この時まではアルメリアも思っていた。
「鷲宮……鷲宮、悠月だと?」
だが、ある人物の名前を見つけて、彼女は手を止めるしかなかった。
「ライカ、これはなんの冗談だ」
アルメリアの表情は曇り、剣呑な面持ちへと変わっていく。
画面に映っているのは若い男子学生だ。もちろん、彼女との面識はない。
しかし、彼女には鷲宮という姓に憶えがあったのだ。
「メア、これは冗談でもなんでもないわ。お婆様の予言は絶対よ。わかるでしょう」
ライカの言う通りである。大司教の座にまで登りつめた彼女の予言が外れることはない。
この未来は多少の誤差はあれど確実に結実する未来。つまり、回避不能の悲劇であることを指し示していた。
「あの馬鹿、何故今まで言わなかった。時間があればまだ救いはあったのに……」
「どうするの。このまま放っておいたら、いずれ彼は――」
「どうすることもできないさ。魔性を宿す者は魔性に惹かれる。これは本能だ。抗う事はできない。放っておいても、いずれ力に目醒めるだろう」
「だからって……まだ彼は学生よ。右も左もわかってない。まだ時間はあるわ。貴方が忠告をすれば、きっと!」
「無理だ」
「どうして!」
諦める素振りを見せた彼女を糾弾するように、ライカは語気を強めた。
「これはきっとアイツなりに考えた結果なんだろう。いずれ知る真実だとしても、その時期を遅らせることは出来る。叶うのであれば穏やかに過ごさせてやりたいというのは、親の気持ちとしては当然のことだ」
アルメリアは事務所の窓から蒼い月を仰ぎ見た。
「しかし、不思議なものだな、魔法使いとしては中途半端な男だと思っていたが、中々どうして人の親としては立派だったわけだ。安心しろライカ。万が一の時には私が面倒を見るよ。それまでは我々に出番はない」
「……わかった、お願いね」
コクリと頷き、それ以上ライカは何も言わなかった。
これはまだ始まってすらいない物語。魔女、アルメリア・リア・ハートをトップとする情報屋『イリーガルリサーチ』の面々がとある男に出会う前のプロローグだ。
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