アナザーフェイスウィザード Hallow's Nightmare
朱城有希
第1話 プロローグ
――世界は欺瞞に満ちている。
その真実に気づいた時には私はもう取り返しのつかないところまで歩みを進めていた。
人は、平和を謳いながらも争うことを止めようとしない。
人は、命を尊びながらもいとも簡単に命を奪っていく。
人は、愛の言葉を囁きながらも容易く裏切り憎悪の言葉を口にする。
この世界は歪んでいる。
真実が偽りだと教え込まれ、偽りこそが真実だと思い込まされる。
どれだけ人は哀れで愚かな生き物なのか。
自らが願ったたった一つの未来さえも簡単に現実と迎合し亡くしてしまう。
その美しい理想を穢れきった現実に浸して良しとしてしまう。
この世界が正しいからと諦めて、悲観して。
その先に一体なにがあるというのだろう。
歪みきった世界に生きて、もがいた先に、幸福はあるのだろうか。
もしも叶うなら、私は全てのモノたちに問いたい。
この世界のあるべき〝姿〟を。
この世界に生まれ堕ちた私の〝存在証明〟を。
そして、君たちが生まれた〝存在証明〟を。
――君たちは何を成す為に此処にいる?
仮に『魔法』と呼ばれる存在がこの世にあるとして。
その有り方は、現代社会ではどのような扱いを受けるだろうか。
過去にはあったとされる人知を超えた神秘、叡智の力――魔法。
その存在は現代においてはフィクションとして語り継がれ、多くの人々の心からは忘却という形で姿を消していった。
だがしかし。仮にその存在が御伽噺ではなく現実に在るモノだとしたら。
今を生きる人々はこの事実をどのように受けいれるだろうか。
便利な力として肯定するだろうか。それとも忌むべき力として否定するだろうか。
これから語るのは『魔法使い』たちの取るに足らない、所謂〝日常の物語〟だ。
都心から遥か離れた山岳地域に位置する地方新興都市、月見ノ原市。
数十年前から地方開拓に躍起になったこの街は、急速に都市開発が進んだ東側と手がつけられていない西側。俗に新都、旧都と呼ばれる二分された町並みが特徴だ。 その特徴が如実に確認できるのは夜――人々が忙しなく仕事をし終え、眠った後に現れる。
「はぁ……相変わらず寂れているな旧都の方は。少しは手を入れればいいのに。華やかさがまるでない。栄枯盛衰とはこのことだな。なぁ、ワンコ」
新都の摩天楼。頭一つ抜きん出た電波塔の最上部に一人の女性がいた。
魔女――アルメリア・リア・ハート。
足元をすっぽりと覆い隠す長いロングブーツに黒の外套。背中より下まで伸びたストレートの髪に金色の瞳は英国の女性を連想させる。
彼女は電波塔からせり出た足場にまるでベンチに腰掛けるが如く座り込み、下界に視線を落としていた。
『一体なんの話? お仕事中よ、もっと集中しなきゃ。そんな調子ですぐに動けるの?』
彼女の耳には、工学霊石と呼ばれる魔法使い専用のイヤホン型通信機が嵌められていた。
この石は魔力を動力源として駆動し、基本的には装着が死ぬまで補助をし続ける便利品だ。
「大丈夫だよ、心配するな。ある程度の目星はついてるんだ。休憩が終わればすぐに出るよ」
『ライカ、街の状況はどうなってる。そろそろ警察が動き出すんじゃないか』
『えぇ、予定通りならもうすぐ餌に食いつくはずよ。蒼士くんもそろそろ目的地に向かって』
『了解した。ようやく仕事らしくなってきたな』
ふつっと霊石の反応が消えた。
ライカ・スターオリオン。音切蒼士。二人はアルメリアの昔からのパートナーだ。
彼女たちは今、ある事件の犯人を突き止める為に夜のお仕事をしている最中だった。
「さて、吉と出るか凶と出るか。見物だな」
その言葉に呼応するように、新都側で警邏中のパトカー内に無線交信が入ってきた。
『――……警視庁より各局。月見ノ原市内、近い局、どうぞ』
「月見ノ原一、パトロールから鷲宮、どうぞ」
『警視庁、了解。月見ノ原に願います。月見ノ原中央駅より北東二駅近くの公園で殺傷事件発生。繰り返す、殺傷事件発生。先月から発生している事件と関係があると思われる。どうぞ』
「月見ノ原一、了解。現場に急行する」
『警視庁、了解。犯人は現場付近に潜伏している可能性がある。十分に注意されたし』
無線が途切れると、鷲宮警部補は一人ごちた。
「チッ……クソったれ、またやられたか。これだけ張ってるのにどうなってんだ一体」
「これで六人目ですね。被害者に関連性がないんじゃ人員を割いても防ぎようがないですよ」
「まぁな。文句を言いたい気持ちはわかるけど……後回しだ後輩ちゃん。現場に急ごう」
「了解しました。んじゃあ、飛ばしますよ」
小林二等巡査はパトカーのサイレンを点灯させると荒っぽい運転で公道に躍り出た。
「始まったな。シャノワール、悪いが出番だ。場所は北東に二駅行った公園だとさ。お前の遊び場だろう、奴らよりも先に到着して情報を集めてくれないか」
チリン、と鈴の音が響いた。
暗闇よりもなお黒い黒猫のシャノワールが香箱座りの態勢で紺碧と金色の双眸を光らせた。
シャノワールもまたアルメリアの頼もしい仲間の一人である。
例に漏れず、この猫もまた工学霊石の一部を片方の耳に埋め込まれていた。
「なぁ~ご!」
「わかってるよ、報酬のことだろう。お前がちゃんとやってくれれば食わせてやるさ」
「んなぁ~!」
報酬というワードに機嫌をよくしたのか、シャノワールはぐぐっと背伸びをすると、勢いよく夜の町並みへと消えていった。
「ふぅ……さて、そろそろ私も動くとするか。社長として部下に遅れを取るわけにはいかないからな。――ノトス。もう充電は済んだな」
澄んだ風がアルメリアの肌を薙ぐ。
彼女がこうして高層階に陣取っていたのにはワケがある。
風神。風の化身とも言える〝使い魔〟を扱う彼女にとっては、この澄んだ空気こそが淀んだ穢れを祓い身を清める癒しの水となるのだ。休憩中とは即ち、使い魔の方を指していたのだ。
「よろしい。では行こうか。ちょっとしたハイキングだ」
アルメリアは一陣の風と共に身体を外へと放り出した。
落下の勢いで風を纏い十分な風圧を得た彼女は、鳥のように夜空に向けて跳躍した。
知ラズの森。
僅か数分とかからずアルメリアは現場に到着していた。
鬱屈とした空気。淀み、沈殿する死の気配にアルメリアは眉根を潜めた。
「嫌な雰囲気だな。長く居れば精神を蝕むな、これは」
西都に位置する林道。ここには東都と違って明かりがない。
踏み抜いた小枝たちがパキパキと音を鳴らして折れていく様を耳で感じとりながら、彼女は真っ直ぐに歩みを続ける。
「もう少しで目的地か」
アルメリアはポケットから一枚の紙を取り出して今回の目的を確認した。
「フ、つまらん仕事だ。禁足地に建てられた神社の参拝とは、私がするまでもないだろうに」
だが、これも仕事の内だ、一度請け負った以上文句を言っても仕方がない。
朽ちていようが、寂れていようがアルメリアの知るところではない。
つまるところ魔女である彼女の手を煩わせるような問題が発生しなければいいのだ。
暫くして、アルメリアは開けた場所へ出た。
彼女の視線の先には朽ちた神社と辛うじて体裁を保っている鳥居があった。
禁足地に鎮座する神座とあれば見かけ上、老朽化しても致し方がない。
問題なのはこの先。禁足地たる中の様子――いや、外の様子である。
アルメリアは鳥居の前で立ち止まると、片手をポケットから出した。
緩慢な動きで手を水平に上げると真っ直ぐに何もないはずの空間を押した。
空間は、まるで水面のように震撼し、指先を中心にして外側へと波打ち消えていった。
「なるほど、そういうことか」
アルメリアは、一人で納得すると耳元にあった霊石に触れて通信を行う。
「ワンコ、聞こえているな。この地点をマークしておけ。〝外界〟だ。中に入れば私も話している余裕はない」
『解ったわ。メアなら大丈夫だと思うけど、念のため注意して』
次いで、会話を聞いているであろう蒼士へも話しかける。
「音切。聞いての通りだ。どうやら今回はこっちが当たりらしい。さすがに二箇所同時に犯されているということはないだろう。お前はもう帰っていいぞ。後始末は私がやる」
長い沈黙が訪れる。返事がないことにアルメリアは違和感を覚えた。
「おい、音切。返事くらい――」
ザザーッと砂嵐のようなノイズが走った後、通話が漸く繋がった。
『悪いな、アルメリア。どうやらその予想はハズレみたいだぞ』
「なに?」
アルメリアの声を聞きながらも音切蒼士は対峙した異型の存在から視線を逸らさない。
〝外界の亡霊〟――アウターガイスト。
現世に生きる人々にとっては障害と成り得る存在が、其処には居た。
亡霊の足元には横たわる死体が一つ転がっている。
『アルメリア。そっちの状況も教えてくれ。こちらの状況と同じか確認したい』
「わかった」
アルメリアは外界の中へと足を踏み入れた。
神社の中は、鳥居の外で見ていた時とはまるで状況が違っていた。
振り向けば、入ってきた時には建っていたはずの鳥居が崩壊している。
神社の本殿も屋根は崩れ落ち、正面の戸口は吹き抜けになっている。その様子はまるで死後の世界を思わせるものだった。
「チッ、悪い方の予測が当たったな。さっきの情報と合わせると今日の犠牲者は三人以上か」
雲間から月の光が微かに漏れた。
本来は神々に召し上がり物として供えるはずの場所に、臓物を引きずり出された死体が安置されていた。
「……悪趣味な。神に捧げるべき神饌をまさか人の死体で代用するとは」
曰く、神へのお供え物は『御饌』、『御贄』などと呼ばれている。
神饌は日ごろの恵みに感謝し、神に一年の節目に育まれた自然の作物を捧げる。そうすることで神を敬い、次の恩寵を授かるという神聖な儀式の為に用いるものだ。 それをこのような形で献上するなど神を愚弄し、嘲り、蔑ろにする行為でしかない。
これが意味することは只一つ、神に対する叛逆だ。
「音切。引き続き仕事の依頼だ。目の前にいる奴らを皆殺しにしろ。絶対に逃がすなよ」
『言われなくてもそのつもりだ』
それを最後に霊石からの反応が消えた。蒼士も仕事に集中するという意思表示だろう。
アルメリアは遺体の状況を確認する為に敷地内に入っていく。
丁度中ほどまで足を踏み入れたところで、殺意の固まりが自身を取り囲んでいることに気がついた。
「ほう、これはご大層な出迎えだ。私が中に入ってくるまで態々待ってくれたのか?」
それは朧か幻か。半身が透け、もう半分が狼の姿をした亡霊だちだった。
完全に囲まれたというのに、アルメリアは依然、余裕のある態度をみせていた。
「なぁ、私を喰らう前に一つだけ教えてくれないか。お前たちの飼い主はどこにいる。最近起きている一連の騒動が、まさか全てお前たちの仕業というわけではないだろう?」
亡霊は答えない。無論、アルメリアも最初から期待などしていなかった。
「答えない、か。別にいいけどな、いつかは暴くことだし。が、私も舐められたものだな。野良犬如きで、私を殺れると思ったのか」
アルメリアは変わらず抑揚の無い声で話しながらも、おもむろに外套のポケットから錠箱を取り出して、中に入っていた錠菓を一つ口に含んだ。
勢いよく噛み砕き、咀嚼する。
この行為こそが、魔女、アルメリア・リア・ハートの仕事を始める際の儀式であった。
狼を模した亡霊たちは極上の獲物を前に、牙をむき出しにして威嚇を始める。
誰が最初にこの女を喰らえるか。亡霊たちはそのことで頭が一杯になっていた。
亡霊たちの眼が卑しく光る。口元はおびただしい血と涎で濡れ、口端からは臓物を乱暴に引きちぎった残りを咥えている。
獰猛なるケモノの思念体である一匹が恐れを知らずにアルメリアにへと飛びかかった。
――瞬間、亡霊は彼女に触れることすらなく、輪切りにされて肉片と化していた。
「戯け。獲物の素性も知らずに飛び込む馬鹿がいるか」
穏やかになびいていた風は、次第にアルメリアの周囲を旋回するように逆巻き始める。
これこそが彼女の力。何人たりとも寄せ付けない風神の神威であった。
「飼い主に伝えておけ、野良犬ども。食事をする時はお行儀良く口は閉じるもんだとなぁ!」
血風舞う嵐の中、アルメリアは本日最後の魔法使いとしての仕事にとりかかった。
夜も深まってきたところで、アルメリアはようやく家路についた。
閑静な住宅街に佇む一際大きい木骨造の長屋。それが彼女の住処であった。
静かに鋳物門扉を開き、内側から鍵を閉める。タイル張りのアプローチを渡り、数段ある階段を登った先がようやく玄関だ。
彼女は自宅に入ると履いていたロングブーツを無造作に脱ぎ捨てた。
視線を上げると、廊下の先、一番奥の部屋から明かりが漏れていた。
夜も遅い。すぐにでも床に就こうと考えていた彼女であったが、パートナーが働いているとあってはそうもいかない。
ぎしぎしと軋む廊下を歩いて、アルメリアは開口一番憎まれ口を叩いた。
「まったく。先に寝ていろと言ったのに。勤勉なことだな、ワンコ」
そんなことを言いながらも彼女の言葉にはまるで悪意が籠もっていなかった。
当然だ。彼女は口こそ悪いが、性根が悪いわけではない。心中には感謝の気持ちこそあれ、相手を馬鹿にするような感情など一切ないのだ。
「お疲れ様、メア。疲れたでしょう、いまお茶を淹れるわね」
「いらないよ。すぐに寝る」
「あらそう。一口飲めば落ち着くのに」
無論、パートナーもそんな彼女の気持ちは理解していた。
同居人兼一般庶務担当、ライカ・スターオリオン。アルメリアからしてみれば既に見慣れてしまった容姿ではあるが、傍から見れば彼女もまた美少女という認識で間違いないだろう。
銀髪のセミロングに星を刻んだ大きなカチューシャ。円らな瞳は澄んだ青空を想わせる。
凛然とした立ち振る舞いのアルメリアとは対照的に、献身的な雰囲気を纏っているのがライカの最大の魅力であった。
「それで。何か進展は? シャノワールはちゃんと現場に向かったんだろうな」
「問題ありません。よくないわよ、仕事仲間を疑うなんて。ねぇ~、シャノン♪」
「んなぁ~♪」
黒猫のシャノワール。
先に自分の住み家に戻っていた彼はライカにされるがままに喉を鳴らした。
アルメリアはその様子を横目に見ながら、部屋の隅に置かれたアンティークコートスタンドに外套をひっかけた。
「では状況確認と行こうか。ちゃんと視てなかったら報酬は抜きだからな」
ギョッとシャノワールが顔を上げた。
最高級キャットフードがかかっているのだ、これでダメ出しをされたら夕食が抜きになる。
「疑り深いなぁ。これが証拠よ。シャノンが視た被害者はどうやら右腕がなかったようね」
ライカは自分のデスクに設置してあるPCを操作すると被害者の写真を表示した。
ショッキングな映像だがこれも彼女たちの仕事だ。弱音を吐いてはいられない。
「右腕、か」
アルメリアは考察するように、指先を顎にあてた。
「ちなみに蒼士くんが確認した被害者の遺体からは左足がなくなっていたみたい。メアの方はどうだったの」
「私が確認したのは腹の部分だ。正確には……小腸、あたりかな」
「ふ~ん。じゃあ関連性はないみたいね。今までの被害者も全員取られている箇所は違っているようだし」
「いや、そうでもないだろう」
「どうしてそんな事が言えるの?」
「取られている――採取されているというのがそもそも問題なんだ。ワンコ、人体図はあるか」
「うん。えーと、確かこのあたりに……あった」
ライカは引き出しからファイリングされている書類を抜き出すと彼女に渡した。
「いいか、これまでに犠牲になったのは合計で六人。私たちが発見したのが追加で二人だ。人間の身体は大きく分けると外側の部位と内側の臓器から成る。外側から順番に丸をつければこう。内側の臓器はこんな感じになるかな」
アルメリアは色を分けて五種と十三種に丸をした。
「ワンコ、今までの被害者からなくなっていた部位に印をつけてみろ」
「え~っと」
紙に×印をつけていくライカ。
これまでの事件をファイリングしている彼女であれば数秒とかからずに結論が出た。
「これは……」
印のされた人体図を見てライカは目を丸くした。
そう、死体から欠損していた部位は、何一つとして被ることなく綺麗にバラけていたのだ。
「気づいたか。今回の事件は、一見関連性がないように見えて実はある。何者かが意図的に引き起こしている計画殺人の可能性が高いんだ」
「一体何のために」
「それがわかったら苦労してないよ。全ての部位が奪われたら、何かが解るのかもな」
「物騒なこと言わないで。その前に犯人を捕まえないと」
「わかっている。善処はするさ、善処はな」
アルメリアは自分のデスクに座るとテレビの電源を入れる。同時に指をパチンと鳴らしてシャノワールが食す高級キャットフードマシンの電源を入れた。
シャノワールはトコトコと歩いていき、マシンの前で食事を始める。
テレビでは丁度深夜のニュース番組がやっていた。読み上げている記事の内容には覚えがある。先ほど街に置いてきた死体に関してだ。
「警察もようやくまともに動き出したみたいね」
「気がつくのが遅過ぎだがな。報道では六人だが、実際には八人だ。残りの二人が見つかるまでに一体何人死体が増えるかな」
今夜の仕事はこれで終わりだ。後は事件の内容をレポートに書いて就寝となる。
「――ん、誰かしら」
丁度彼女がPCを操作しようとしたところで、ライカの携帯電話に着信が入った。
「こんな夜更けに連絡とは。どうせまた悪い知らせなんだろうなぁ」
ライカが携帯の画面を操作する。
アルメリアの予想は見事に的中した。画面を眺めるライカの表情が一瞬にして曇った。
「残念ながらそうみたい。メア、PCを開いて。お婆様からよ。内容を確認してって」
「送ってくれ。ったく、あのインチキ占い師め。こういう時だけは仕事が早いな」
日本から遠く離れた地、イギリス。
長い歴史と伝統を持つこの地では世界有数の占星術協会や専門学校が多数存在する。
占い方法は占星術の他に手相、タロット、四柱推命などがあるが、アルメリアが言うインチキ占い師は俗に占星術のエキスパートにして大司教と呼ばれるほどの実力者だ。アルメリアとは古くからの付き合いで、切っても切れない腐れ縁の仲にある。
何故、こんな人物にアルメリアが仕事を依頼したかと問われれば答えは簡単である。
彼女たちが追っている連続怪死事件は、世間一般ではまだ認知度の低い事柄だ。表だって注目されているのは、たった今テレビが特集している皆既月食――紅い月の方である。
数ヵ月後に迫った紅い月の到来は、暦にすれば実に百五十年ぶりのことらしい。
月は古くから、人の内側に眠る魔性を呼び醒ますと言われている。アルメリアとしては、連続怪死事件よりもむしろこちらの事件の方が気がかりだった。
「……送信完了。メア、確認して」
「ハイハイ」
苛立ちを抑えて、アルメリアはPCを操作する。
モニターの画面に表示されたのは月見ノ原市に住む住民情報だった。
「どうやら要注意人物のリストアップみたいね」
「そのようだな」
どうせ大した結果ではない。要注意人物とは言っても無視して問題ない有象無象だと、この時まではアルメリアも思っていた。
「鷲宮……鷲宮、悠月だと?」
だが、ある人物の名前を見つけて、彼女は手を止めるしかなかった。
「ライカ、これはなんの冗談だ」
アルメリアの表情は曇り、剣呑な面持ちへと変わっていく。
画面に映っているのは若い男子学生だ。もちろん、彼女との面識はない。
しかし、彼女には鷲宮という姓に憶えがあったのだ。
「メア、これは冗談でもなんでもないわ。お婆様の予言は絶対よ。わかるでしょう」
ライカの言う通りである。大司教の座にまで登りつめた彼女の予言が外れることはない。
この未来は多少の誤差はあれど確実に結実する未来。つまり、回避不能の悲劇であることを指し示していた。
「あの馬鹿、何故今まで言わなかった。時間があればまだ救いはあったのに……」
「どうするの。このまま放っておいたら、いずれ彼は――」
「どうすることもできないさ。魔性を宿す者は魔性に惹かれる。これは本能だ。抗う事はできない。放っておいても、いずれ力に目醒めるだろう」
「だからって……まだ彼は学生よ。右も左もわかってない。まだ時間はあるわ。貴方が忠告をすれば、きっと!」
「無理だ」
「どうして!」
諦める素振りを見せた彼女を糾弾するように、ライカは語気を強めた。
「これはきっとアイツなりに考えた結果なんだろう。いずれ知る真実だとしても、その時期を遅らせることは出来る。叶うのであれば穏やかに過ごさせてやりたいというのは、親の気持ちとしては当然のことだ」
アルメリアは事務所の窓から蒼い月を仰ぎ見た。
「しかし、不思議なものだな、魔法使いとしては中途半端な男だと思っていたが、中々どうして人の親としては立派だったわけだ。安心しろライカ。万が一の時には私が面倒を見るよ。それまでは我々に出番はない」
「……わかった、お願いね」
コクリと頷き、それ以上ライカは何も言わなかった。
これはまだ始まってすらいない物語。魔女、アルメリア・リア・ハートをトップとする情報屋『イリーガルリサーチ』の面々がとある男に出会う前のプロローグだ。
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