第15話 うさぎ小屋での会話

 それから俺と深田の間で会話をする機会が増えた。とりあえず気軽に挨拶はする仲にはなれた。


 体育の授業は男女別で行うことになったこと以外変わったことはない。


 それで深田は飼育員のようで一日のどこかで時間を見つけては校庭隅にある動物小屋で飼っている三羽のウサギを世話している。


 今日はその作業を見せてもらうことにした。


「うさぎなんて飼ってるんだな」

「はい。実は私からお願いしたんです。動物と触れあいたいって」

「へー」


 深田は餌の補充や水の交換、床の掃除を行っていく。それが終わればスキンシップだ。


 キャベツを無心で食べているうさぎを楽しそうに撫でている。


「名前とかあるのか?」

「当たり前ですよ。こっちがモンブル、ココル、オランです」

「ぜんぜん分からん」

「分かりますよ。ほら、オランはみんなよりも耳が大きいもんねー」

「ぜんぜん分からん」

「もう、ちゃんと見てますか?」

「もういいわ。ほらココル、こっちおいでー」

「それはモンブルです!」


 俺はよく分からんうさぎを手元に引き寄せ撫でてやる。


 おー、もふもふの毛並みが気持ちいいぜ~。それにちょっと柔らかくて温かい。


 俺はモンブルを撫でていたがそこで深田の視線に気が付いた。


「あ、その」


 俺に気づかれたことで深田がちょっと慌てている。


「どうですか? 撫でてみて」

「なんていうか癒されるよな。このなめらかな毛並み、もふもふだぜ」

「そうですか、やっぱりそうですよね」


 そう言う彼女の声はまるで外野のようだ。


 彼女を見る。うさぎを撫でる彼女の両手には今も手袋がはめられている。


 それでも伝わるものはあるだろうが毛並みの肌ざわりは分からないだろう。


 深田も自分の手を見つめておりその横顔は寂しそうだ。


「その手袋」

「え」


 彼女が振り返る。


「あ、悪い」


 つい言ってしまった。しまったな。


 バツが悪いが、深田は自分の手を合わせ見つめる。


「いえ。気になりますよね」


 自分の手を見る目。それは寂しそうで、諦めの中で立ち尽くしているようだ。


 言うか、正直迷う。これを言うのは地雷を自ら踏みにくようなものだから。


 でも、傷つく覚悟がないと前には進めない。相手を傷つける覚悟がなければ触れ合えない。そうしなければいつまで経っても平行線のままだ。

 

 だから、俺は聞いてみた。


「その手が、傷なのか?」

「…………」

「ごめん。ただまあ、察しはつくっていうかさ」

「……はい」


 やはりその手が傷のようだ。まあ、隠していても隠せていないもんな。


 彼女が常日頃付けている肘まで届く白の手袋。運動している時まで付けているなんてよほどの理由だ。傷としか考えられない。


「私、直接生き物に触っちゃ駄目なんです」


 ぽつりと、深田は話し出した。


「いいのか?」


 まさか自分からこうも話してくれるとは思わず聞いておいてなんだが聞き返してしまう。


「鏡さん、私の傷を聞いても怖がらないって約束、できますか?」

「おう」

「そんなあっさり」

「ほんとだよ。それにだいたい察してるって言ったろ? 大丈夫だよ」


 自分の傷を明かすこと。それをみんな極端に避けている。


 それは知られたことで嫌われるかもしれない、怖がられるかもしれない。そうした不安があるからだ。


 だからみんな明かせない。隠して隠して、自分を偽って生きている。


 理解から程遠い場所にいるんだ、俺たちは。


 だからかもしれない。もし、打ち明けても怖がらない、理解者がいるのなら。


「私が触った生き物は、死んでしまうんです」


 まるで告解のように、救いを求めて明かすんだ。


「おかしいですよね。原因も分からない。突然現れたんです。私が触った人がそれだけで死んでしまって。私のせいで、お父さんとお母さんが亡くなったんです。もしこの傷を否定して他の人にも触っていたらもっと多くの人が亡くなっていたかもしれない」


 自分が触れた相手は亡くなってしまう傷。その被害者は一番身近な家族だったわけか。


 辛いよな。辛いに決まってる。


「それで人と関わるのが怖くなったんです。もしかしたらまた私のせいで亡くなってしまうかもしれない。こうして手袋をはめていますが、それでも怖いんです。なにかの拍子で触ってしまうんじゃないかって。鏡さんの時はほんとうに危なかったんです」

「そうだったんだな」

「こんな傷、厄介なだけですよ。もっと普通でいいのに、なんで、なんでこんな傷ができちゃったんですかね……」


 深田の頭が下がる。目尻からは涙が浮かび、頬を流れた。


「こんなんじゃ、誰とも近づけない。怖がられて当然じゃないですか。友達とも一緒にいられない。ずっと一人で、それが嫌でせめて動物ならって思ったけど」


 深田は泣きながらうさぎを撫でる。彼女の気持ちも知らずうさぎはむしゃむしゃキャベツを食べ続ける。


「この子たちとも、手袋越しでしか接せられない。私は、本当の意味でこの子たちとは触れ合えない。どんなに大切に思っていても、どれだけ一緒にいても。私は、一生誰とも触れ合えない」


 ある日彼女は怪物になり普通の人とは居られなくなった。彼女の中身は人のままなのに。


「だから、人と関わるのが怖いんです。この傷を知られたら怖がられるんじゃないかって、避けられるんじゃないかって。なんで……なんでわたし……」


 悔しそうに、悲しそうに、深田は涙を流していた。望んでもいない能力のせいで彼女は不幸のどん底だ。


 この傷のせいで人と関わることが出来ないなんて。


 深田は目をこする。しかし手袋にはうさぎの毛がついていて痛がった。


「いた」

「おいおい、毛がついてるんだから無理だろ。洗うべきだって」


 俺は彼女の手を取り立ち上がらせた。


「え」

「怖いか、人に嫌われること」


 彼女は二の腕で涙を拭き俺を見る。


「自分のせいで人が死ぬこと、それで恐れられること」


 彼女は俺の手を見る。手袋越しとはいえ彼女の手をちゃんと掴んでいる。


「当然だよな。そりゃそうだ。でもな、安心しな。止まない雨はない」


 俺は言う。止まない雨はない。それを経験したから。だから分かる。


 どんなに辛くてもいつか晴れるって。そう信じてる。いや、そう信じたい。


 だから。


「深田が許してくれるなら、俺は深田の友達になる。一人が寂しいならいつだって話し相手になってやる。約束だ」


 傘を差し出す。今は晴れにできなくてもこの雨から守ってあげることは出来るから。


「でも。なにかあったら、死んでしまうんですよ? あの時だって危なかった。もしかしたら」

「俺は死なない」

「分からないじゃないですか! なにが起きるかなんて!」


 彼女の叫びは悲鳴のようだ。強調されたその問いかけは強さとは反対に否定されたがっている。


「大丈夫だ」


 今までずっと怖がっていた、ずっと心は孤独だった。傷という檻に囚われた一人の女の子だ。


「俺が、お前の孤独を破壊してやる」


 こいつの檻の鍵を、俺が外してやる。


「そんなに人を死なせるのが怖いなら証明してやる」

「え、なにするんですか!?」


 深田の手から手袋を外そうとする。


「止めて、止めてください!」

「大丈夫だって、俺は死なないから」


 だが深田が抵抗してくる。手袋を引っ張るが深田も必死だ。


「止めてください! 誰かー! 誰か助けてください!」

「おい! 変な言い方するんじゃねえよ!」


 まるで俺が襲ってるようだろうが! 


 深田の手を無理矢理はがし手袋を抜き取った。


「あ!」


 彼女の素手。隠しもしない彼女の傷。


 それを、握りしめた。放さないように、否定するように、破壊するように。


 彼女は恐怖に引きつった顔をしていたが俺は構わず握る続ける。


「な? 大丈夫って言ったろ?」

「え」


 恐怖で固まった顔が今度は驚きに変わる。


「死、なない?」

「こんなに元気な死体を見たことあるのか?」

「どうして」


 深田は俺の手をまじまじと見ながら握り返してくる。それから腕や胸、頬までをぺたぺた触ってきた。本当に死なないのか念入りに調べていく。


 だけど俺は立ったまま。呼吸もしてるし心臓だって動いている。


「死んでない」


 これだけ触って死んでないんだ、彼女の傷じゃ俺は死ななない。


 彼女の孤独の根底、それが崩れた。


 深田がまじまじと見つめる。涙に濡れた瞳が信じられないといった顔で俺を見る。


「お前は一人じゃない。俺が約束する。言っただろ? 止まない雨はないってさ」


 わざとらしく笑ってやる。そんな俺を深田はずっと見つめていた。

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