第7話 決裂
俺は学生寮から学校に向かっている。いつもの青空のもと通学路を歩いていく。
学校なんて面倒だし億劫な場所ではあるが今日に限ってはそんな思いは一つもない。
4リットル分のジュースの重みだって嬉しいくらいだ。
今日は俺の歓迎会だ。早百合が主催として頑張ってくれたおかげだ。そしてそれに賛同してくれたみんなも。
もしかしたら、この歓迎会をきっかけに学校生活がもっと楽しくなるかもしれないな。
そうすれば毎日こんな気持ちで登校することになるんだろうか。それはなんというか、悪くないな。
俺は多少浮ついた気持ちを自覚しながら登校し学校の廊下を歩いていく。
教室が近づくにつれその思いは強くなっていった。
「ん?」
教室から声が聞こえてくる。けっこう大きい。俺は歩き進め教室の扉を開ける。
「おはよう。どうした、なにかあったか」
教室にはすでに四人がいた。それはいつも通りなのだが、ただ上代の席に早百合がいてなにやら話している最中のようだ。
「鏡君」
みなが振り向く。上代も俺を見るがすぐに顔を元に戻してしまう。
「なんだよ」
ずいぶん雰囲気が殺伐としているというか、緊張感が漂っている。
「それが」
早百合がわけを話そうとしてくれるが言いにくいことなのか歯切れが悪い。
「私が歓迎会を欠席するって伝えただけです」
「え、そうなのか?」
上代は本に顔を埋めながらそれだけを伝えてくる。
「どうして、なにか用事でもできたのか?」
「別に。ただ気が変わっただけです」
「なんで。昨日は参加するって言ってたじゃないか」
まあ、それも強引なやり方だったのは否定できないけど。
「そうだよ、欠席することないよ。せっかくだし、ね? きっと楽しいからさ。ううん、私が楽しくする。絶対そうしてみせる。だから京香ちゃんも参加しよう。ね?」
「すみませんけど」
早百合は真剣に頼み込んではいるが上代が顔を上げることはなかった。
「私抜きでやってください。パーティ用の取り皿等は持ってきましたから」
見れば上代の席の下にはビニール袋があり中には言った通り紙皿や紙コップが入っていた。
「それじゃ駄目なんだよ」
「なんでですか」
上代が少し呆れたように言う。
早百合の情熱というか熱心なのは分かる。だが乗り気ではない人をここまで参加させたがる理由はなんなのだろうか。
みんなで仲良くという気持ちは分かるが無理矢理というのはあまり意味がないというか。
上代も意固地だとは思うが早百合もけっこう頑固だとは思う。
「みんなでじゃないと意味がないの。みんなじゃないと駄目。誰か一人でも仲間外れがいるなんてさ、そんなのやっぱり寂しいじゃん。みんな前の場所では辛い思いをしてきたと思う。たった一人だった人もいるはず。でも、このクラスなら仲良くなれるよ。みんなが幸せに楽しくなれたら」
「いい加減にしてください!」
早百合の言葉がピシャリと遮られる。
上代がきつい目つきで早百合を見た。その言い方に教室内の雰囲気が一気に険悪になる。
「それはあくまであなたの意見でしょう。私は一人でいいんです。第一、あなたにそんなことを言う資格があるんですか?」
早百合の顔がハッとなる。
「今まで不登校だったくせに。そんな人がみんなと仲良くしようと言ったところで説得力なんてないに決まってるでしょう。止めてください、迷惑です」
……不登校?
そう言うと上代はまた本に視線を落とした。その態度は早百合を突き放すようだった。
上代に言われ早百合は肩を落とし顔も俯いている。かなりショックみたいだけど、大丈夫か?
「おい」
早百合に声を掛けるがなんて言えばいいのか浮かばず次の言葉が出てこない。
「それでも、私は……」
髪に隠れて表情は見えない。その代わり、頬を通る涙が見えた。
「早百合」
もしかして、泣いてるのか?
彼女は今日をとても楽しみにしていた。その思いは俺以上だったと断言できる。
それがこんなことになってしまった。辛いのは当然だ。
早百合は顔を背けた。
「ごめんね。私が間違ってたね」
「早百合」
「迷惑かけてごめんね」
早百合がイスに座るとそのまま俯いてしまった。
「早百合さん」
「早百合ちゃん」
深田と椎名が心配して声をかけてくれるが返事はない。
早百合のあんな姿ははじめて見た。いつも愉快で明るかったのに。
あんなに落ち込んでいるなんて。
あいつが今日をどれだけ心待ちにしていたのかは知っている。だからあいつのあんな姿は見たくなかった。
泣いているところなんて見たくなかった。
俺は上代に近づいていった。
「なあ」
まるでしがみつくように上代は本を読んでいる。俺と取り合うつもりはないようだ。
「一人になりたいっていうお前の気持ちを否定しようとは思わない。それは各々の感性だしさ。あいつも強引なところはあった。でもだ、それでも言い方ってもんがあるだろ」
「…………」
俺が話しかけても上代は返事どころか顔も見せてはくれない。
「お前もお前なりの思いがあるように、あいつにだってあいつなりの思いがあったんだ。お前は迷惑だと思うだろうが、相手の思いを無視してるのはお前だって同じだろう」
「…………」
それでも俺は話し続けていく。それでも上代は本を読んでいる。
一向に俺を見ない。その態度にだんだん腹が立ってきた。
「人と話す時くらいこっち見ろ」
俺は上代が読んでいる本を取り上げた。
「!? なにするんですか!?」
「お前がいつまでも無視するからだろうが」
「返してください!」
上代が立ち上がる。本を取り返そうとするので俺は頭上に持ち上げた。
上代の背ではつま先立ちをしても届かない。
けれど上代は諦めず必死に本を掴もうとしてくる。
「返してください! 返して!」
「なら少しは俺の話を聞け!」
「いいから返してください!」
「二人とも落ち着いてください」
「そうだよ、鏡君も上代さんもまずは落ち着いて」
「でもだな」
深田と椎名はそう言うがこうでもしなけりゃこいつは俺と話そうとしないだろ。
俺は二人に振り返るが、その隙に上代はジャンプして俺の本を掴んだ。着地すると俺から奪い返そうとしてくる。
「この」
それを渡すまいと俺も本を掴む手に力を入れる。
「放して!」
「誰が放すか!」
「放して、返してよ!」
「ち」
上代があまりにも必死な声を出すので仕方がなく手を放した。
「ほらよ」
「あ」
が、急に放したせいで上代は後ろに引っ張られ倒れてしまう。その際に机の角で額を打ち付けてしまった。
「きゃあ」
「おい、大丈夫かよ」
上代は片手で本を抱えている。こんな時でもしっかりと持っているあたり本当に大事なものなんだろう。
もう片方の手で額を押さえているがそこからは血が流れていた。
「お前、血が」
「分かってます」
上代がゆっくりと立ち上がる。
「上代さん、大丈夫ですか?」
「大丈夫?」
「大丈夫です」
上代はそう言うが深く切ったのかけっこうな血が出ている。
「なあ、本当に大丈夫なのかよ」
「大丈夫ですよ。額はよく血が出るんです」
上代は本を一旦机の上に置きポケットからハンカチを取り出す。それを傷口に押し当てた。
「悪かったよ」
さすがに怪我までさせるつもりはなかったんだが、こうなった原因は俺だし責任を感じる。
「いいです。私もムキでした」
「保健室に行くか?」
「ええ。でも一人で結構です」
上代はそのまま一人で教室を出ようとする。
ガタン。そこでなにかが倒れるような音が聞こえた。
振り返れば早百合が立ち上がりイスが倒れていた。早百合は怯えるような表情で上代を見つめている。
「早百合?」
上代の傷が心配なのか?
いや、心配というよりもショックを受けている感じだ。それも怪我を見たからという感じじゃない。
もっとこう、死体でも発見したような。
早百合は振り返り教室を出ていった。
「早百合!」
声をかけるが止まらない。そのまま出て行ってしまう。
なんなんだ。訳が分からない。その隙に上代も保健室へと行ってしまうし。
残された俺たちだけでホームルームを受け先生に事情を説明する。そのあと授業を受けることになった。
しばらくして上代が額にガーゼを張って戻ってくる。しかし早百合が戻ってくることはなかった。
けっきょく早百合は早退したようだ。あのあと学校に連絡があったそうで先生から教えてもらった。
歓迎会は、なくなった。さすがにそんな雰囲気じゃないし。
ジュースやお菓子は山分けにして早百合の分は残しておいた。
放課後、教室には俺と深田、椎名が残り、誰も座っていない早百合の席を見つめる。
今日一日あいつのいない学校を過ごしてみたがなんだが教室に穴が空いたようなむなしさがずっとあった。
静かなのは嫌いじゃないが、あいつの笑い声がないことに違和感をどうしても覚えてしまう。
「心配ですね」
「早百合ちゃん、すごく楽しみにしてたからね。よっぽどショックだったんじゃないかな」
早百合がいないことを深田と椎名が心配そうに話している。
「なあ」
早百合が早退したことは俺も気になる。ただ俺はもう一つ気になっていたことを聞いてみた。
「早百合が不登校だったって、本当なのか?」
それは俺にとって意外過ぎる一言だった。
あの時早百合に向かって上代が言っていたことを思い出す。その言葉は俺の抱いていた早百合像とは違う。
なんていうか、あいつと不登校って結びつかないんだよな。あんなに愉快で明るいのに。
なによりみんなで楽しくと豪語していたあいつがよりにもよって不登校なんて。
俺の質問に二人は顔色をさらに暗くした。どうやら上代が言っていたことは本当だったらしい。
「上代さんが言ってしまいましたから言いますが、それは事実です」
深田は遠慮がちに教えてくれた。
「このクラスに私たちが集められた日ですね、その時はじめて見かけて、それからは学校に来なくなりました。その初日の日でもなにも話さなくて、大人しい人だと思っていましたから」
「あいつがか?」
冗談だろ? と普段なら言うところだがこんな事態ではそれも言えない。
「でも、俺にはそうは思えなかったがな」
「それは鏡君が今の早百合ちゃんしか知らないからだよ。私たちだって最近の早百合ちゃんはちょっと意外っていうか、変わったなって思ってたから」
椎名が言うように俺は今の早百合しか知らない。明るくていつも笑っているあいつしか見たことがない。
「でもなんで」
でも、それならどうして最近の早百合は明るくなったのか俺には検討もつかない。
「たぶんですけど」
そこで深田が言ってくれた。
「鏡君を、見つけたからじゃないですか」
「俺?」
どうしてそこで俺? あいつの笑顔に俺が関係しているとは思えないが。
「はい。実は鏡君を見つけた日は進路希望の提出日だったんです。なので早百合さんもその日は学校に来たらしいのですが、その日に鏡君を見つけられて」
「それからだよね。早百合ちゃんが学校に来るようになったの。私は嬉しかったな」
「そうだったのか」
知らなかった。思えば俺はあいつのなにも知らない。
「どうして俺を見つけてから学校に来るようになったのか分かるか?」
「いえ、それまでは」
「私も気になっていたけれど、それを本人に聞くのはなんていうか」
「そりゃそうだよな」
来るようになった理由を聞くなんて出来ないよな。
相手の後ろ暗いものに触れるようで遠慮するっていうか。
俺はあいつのことをまるで理解していなかった。ただ底抜けに明るいやつっていう印象しかなかった。
でも彼女のいない教室を見て思う。彼女にもいろいろな思いがあって、葛藤があって、人知れず悩んでいたんだって。
それがなんなのか、俺は未だに知らない。
「あいつさ、みんなが幸せになるのが夢なんだって、俺に教えてくれたんだ」
学校の帰り道、あいつが俺に教えてくれた夢。
「その時はまたアホなことを言い出したなって、そんな風に思ってた。けど俺、あいつのこと全然分かってなかったんだな」
俺が大げさだと思っていたあの夢は彼女にとってどれだけ大事なことだったんだろう。
俺は早百合が置いていった鞄や荷物を片づけ始めた。
「俺、あいつのところ行ってみるわ」
「え」
二人が驚いたように俺を見る。でも決めた。これは俺が届ける。それにあいつの顔を見ないと気が済まない。
「本気ですか?」
「本気だよ。分かってる。女子寮だから無理とか思ってるんだろ? とりあえず行くだけ行くんだよ。別にいいだろ?」
本当は駄目なんだが二人なら許してくれるだろう。上代はどう言うか分からないがその時だ。
「実はなんですが」
「なんだ」
深田が心配そうな顔で見てくる。そんなに女子寮に俺が来るのが嫌なのか? それはそれでちょっと傷つくんだが。
「その、早百合さんの寮なんですが、私たちとは違うんです」
「違う?」
なんで? みんな女子寮に住んでいるんじゃないのか?
「私たちは同じ寮なんですけど彼女だけ別の場所で」
「そうなのか。そういえばコンビニの帰りも別々だったよな。理由は分かるのか?」
「そこまでは」
「うん。私も聞いたことなくて。一度先生にも聞いてみたことがあるんだけど、その」
椎名が言い淀む。言いづらいそのことから俺も察する。
「もしかして、傷か?」
傷。俺たち誰もが持っている特殊な力。そのせいでここにいるみなは少なからず辛い思いをしている。
早百合もその傷のせいで不登校だったり寮が別だったりするんじゃないか?
「おそらくだけど、私はそうだと思う。じゃないと早百合ちゃんだけ別なのはおかしいし」
「早百合さん、どんな傷なのでしょうね。きっと辛いものなんだと思います」
傷っていうのは人に見せたりするものじゃない。彼女の友達である深田や椎名もそこまでは知らないみたいだ。
「行けば分かるさ。どのみちそのつもりだったんだ」
俺は自分の分と早百合の鞄を持ち上げた。
「あいつの寮ってどこにあるんだ?」
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