第31話 予行練習の口実で。
五日間に及ぶ中間テストが、ようやく終わりを迎えた。
教室を支配していた緊張感は薄れ、部活動も活気を取り戻し、学園は日常の色を纏い始めている。
テスト期間中、大きな変化は特になかった。
女性特有のその周期的な変化に、かおるは戸惑いながらも見守るしかなかったが、期間が終わる頃には、また元の大きさに戻っていた。
そうして日々が過ぎる中、体育祭まで残り二週間を切った。
放課後のグラウンドは運動部の活動が再開され、二人三脚の練習ができるのは昼休みだけ。
「さあ、かおる君。久しぶりに、二人三脚の練習をしましょう」
テスト期間で、しばらく彼とコンタクトが取れなかったせいか、今日の冬木はいつにもまして気合いが入っている。
昼休みに入るなり体操服に着替えて、もちろん彼女はかおるの分の体操服も用意していた。
「随分と気合いが入っているな。冬木は、それだけ体育祭が楽しみなのか?」
「ええ、そうね。団体競技はあまり興味がないのだけれど、個人種目は……特に、かおる君との二人三脚は、少しだけ楽しみにしているの」
「つまり、冬木は俺を使い倒して、へとへとになった執事さまを見るのも悪くないってことか?」
「もちろん、その名目もあるのだけれど……それ以上に、わたしたちが同じ種目に出場するということ自体に、意味があると思わない?」
「意味って……それは、どういう意味があるんだ?」
冬木は言葉では答えず、にっと意地悪そうに微笑むのみだった。
二人三脚用のバンドを足首に結ぶと、準備は万端。
しかし冬木は、いつも以上に身を寄せてくる。あたかも、自分の柔らかな存在感を、かおるの腕に押しつけるかのように。
「おい、冬木……」
「な、なに?」
冬木はあくまでも強がるように、口先を尖らせて続ける。
「これは予行練習なのだから、本番のように取り組むべきでしょう?」
「それは分かるんだが、この密着度では、走りづらくないか?」
「歩幅を合わせる上で、身体の密着度は重要事項よ。ほら、手も……お互いの腰に……そう、ちゃんと支え合うの。そうすれば、もっとタイムは上がるはず」
テスト期間中の空白を埋めるかのように、冬木は積極的な身体接触を求めてくる。
しかし、かおるが言われた通り、彼女の腰に手を添えると――。
「ひゃ、ひゃあっ!」
驚いた子猫のような声を上げ、冬木の身体がぴくんと跳ねる。
そして何故か恨めしそうな眼差しを向けてくるが、さすがに今回ばかりは、かおるに非はないと言えるだろう。
「い、いきなり女の子の腰を掴むなんて……なんて、非常識な執事さまなのかしら」
「いや……冬木がそうしろと、命令したはずだが……」
「わ、分かってはいるのだけれど……その、せめて警告してほしかったわ」
「では、改めて申し上げるとするか」
「なに?」
「只今より、腰を掴ませていただきます。お姫さまとの、予行練習のため」
「だいぶ事務的な宣言ね。もっと、わたしをエスコートする意識はないのかしら?」
「では、いっそ手を離そうか?」
「い、いまさらそれは……それに、安全性の問題があるでしょう? またわたしが転んじゃったら、どうするの?」
「やはり物理的な接触は必要、という結論でいいのか」
「ぐ、ぐむむむ……理屈っぽい執事さまには、お仕置きが必要みたいね」
言い合いつつも、彼女の腰に手を添えた瞬間、予想外の感触にかおるは戸惑う。
じんわりと伝わってくる体温と柔らかさに、思考が上手く働かない。
強気で毒舌な冬木が、こんなにも華奢で儚い存在だったことに、かおるは新たな驚きを覚えていた。
「かおる君、どうしたの?」
「いや……何でもない。そろそろ、歩きだそう」
「そうね、昼休みも長くはないし、練習に臨みましょう」
少しずつ歩幅を合わせて、二人は久しぶりの二人三脚に乗り出す。
だが、お互いに腰を掴み、密着して支え合う状況では、彼女のそれがより顕著に押し当てられる。相手がかおるでなければ、全男子は意識せざるを得なかっただろう。
「冬木、どうしてそんなに笑顔なんだ?」
「えっ……べ、べつにわたしは、いつも通りよ」
「そうか? やけに、笑っているように見えたのだが」
「それほど、わたしの顔がいいという証ね。わたしほどの美少女だと、輝いて見えるということよ」
「いや……やはりいまも、明らかに笑って……」
「い、いいから二人三脚に集中しなさい。わ、わわわたしが笑顔で、何か問題があるというの? それとも、ご不満?」
「了解した。お姫さまの機嫌を損ねないためにも、慎んで足を動かそう」
久々の彼との触れ合いに、冬木は笑顔を綻ばせながら、かおるは彼女の繊細さを感じながら、昼休みが終わるまで共に足並みを揃えていった。
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