第30話 テオブロミンは恋の味。

「おはよう、冬木。テスト当日だが、今日の調子はどうだ?」

「おはよう、かおる君。今日もわたしらしく、完璧な一日になりそうよ」


 合同勉強会を重ねてきた二人は、いよいよ中間テスト初日を迎えていた。

 今日はテスト当日ということもあり、冬木もいつもより早く起床した。さらなる完璧を目指す冬木は、朝食後も机に向かい、最後の確認に余念がない


「昼食の用意をしておいた。鶏の香草パン粉焼きに彩り野菜のマリネ、人参のグラッセ。白米には黒ごまを。デザートはりんごのコンポートだ」


 かおるは丁寧に包まれた弁当箱を差し出す。


「いつも美味しいご飯、ありがとう、かおる君。実は、わたしからも……お返しってわけじゃないけど、ちょっとしたものを用意したわ」


 彼女はそう言って、小さな紙袋を差し出した。


「冬木、これは?」

「チョコレートよ。テオブロミンには集中力を高める効果があるの。テスト期間には、ぴったりの食べ物。ただし、食べ過ぎには注意すること」

「なるほど。では試しに、一つ……」

「い、いまはダメよ。せっかくなんだから、大事にとっておかないと」

「チョコレートを、取っておくのか?」

「あくまでも、疲れた時のためのものだから。いまよりも、休憩中に食べた方がいいでしょう? ま、まあ……かおる君がどうしてもって言うのなら、別なのだけれど。そ、それじゃあ、また教室で……」


 冬木は頬を赤らめたまま、急いで自室へと戻っていった。

 彼女が何を隠しているのか気になるものの、かおるもいまはテストに集中しなければならない。


「冬木は自室で復習しているようだ。少し早いが、先に登校するとしよう」

 普段より早い時間の通学路には、珍しい光景が広がっていた。いつもは誰もいない校門前に、既に何人もの生徒の姿が見える。教室に着くと、既に何人かのクラスメイトが自習していた。


「……」


 遅れて冬木もやってきたが、彼女も席に着くなり教科書とノートに目を落としていた。かおるへのコンタクトもいまは抑え、ただ復習に集中している。


「よーし、今日からテスト期間の始まりだ。60点未満は補講対象。補講を受けたくなかったら、赤点は取るなよ」


 ホームルームも今日は早く終わり、一限が始まるまで教室は緊張感に満ちていた。

 午前は、英語と数学。

 二科目を終えたかおるの胸には、確かな手応えがあった。

 全ての問題に理解を持って解答できた充実感と共に、昼休みを迎える。


「そういえば、休憩時に食べるよう言われていたな……」


 場所は、いつもの校舎の屋上。自分の弁当箱を取り出そうとした時、かおるは朝に渡された紙袋に目を留めた。

 紙袋の中から出てきたのは、黒い小箱。

 そして、その中には――。


「これは……」

 中から姿を見せたのは、不揃いながらも、ハート型に作られたチョコレート。形はどれも不均一で、とても綺麗な見た目とは言えなかったが、だからこそこれが冬木の手作りであると分かった。


「あら、もう来ていたのね。てっきり、わたしが一番乗りかと思っていたのだけれど――」


 遅れて冬木も校舎の屋上に来たが、そこで彼女の言葉は止まった。

 かおるの手には、開かれたチョコレートの箱が。

 彼と視線が合った瞬間、冬木は慌てて目を逸らした。


「冬木」

「な、なに?」

「このチョコレートのことだが……」

「そ、それは!」

 あえて言葉を被せるように、冬木は慌てて説明を始める。

「その、テオブロミンの効果を研究するための実験用サンプルよ! か、かかか形なんて、気にしなくていいわ!」

「なるほど、実験用か。それにしても、手作りする必要はあったのか? 料理は、冬木にとって最大の天敵だろう」

「だ、だって!」

 冬木は声を上ずらせながら、必死に弁明を続けていく。

「その……円形より、ハート型の方が……その、面積効率が、良くて……」

「面積効率?」

「も、もう! 物理の試験まであと少しなんだから、早く食べなさい!」


 冬木は真っ赤な顔のまま、自分の弁当箱に目を落とす。

 その傍らで、かおるはチョコレートを一つ口に運んだ。

 優しい甘さが、舌の上でゆっくりと溶けていく。


(なるほど……これが、テオブロミンの効果か)


 かおるは不思議な高揚感を覚えながら、もう一度冬木の方を見た。

 彼女は彼の作った弁当を、いつになく幸せそうな表情で頬張っていた。

 しかし、時折、かおるの方を振り向いては、もどしかしそうな視線を送り、ふんっとそっぽを向いてまた食事に没頭する。

 

「確かに、栄養補給には適しているな。仄かな、苦みも、ちょうどいい塩梅だと言えるだろう。しかし……」


 かおるはチョコレートを味わいながらも、無性に心が安らぐ感覚を覚えていた。

 どうしてただのチョコレートに、このハート型に、異なる何かを感じてしまうのか

 その答えを確かめようと、ふと冬木に視線を送ると、彼女は逃げるように顔を逸らす。……しかし、ちらちらとかおるの顔色をうかがっては、何かを訴えたそうに唇を押し結んでいる。


「かおる君……その、チョコレートは……おいしい?」

「ああ、とても美味だ」

「そ、そうっ……じゃ、じゃあ……良かった、のだけれど」

「しかし、驚いたな。冬木は、料理が極めて不得意だったはず。俺の知らない間に、これほどのサプライズを用意していたとは……」

「ふふん。わたしだって、やればできるの。かおる君も、まだまだわたしのことを、知り尽くしていないようね」

「チョコレートが作れるくらいなら、料理もできるのではないか? 冬木のためにも、今後は自炊を勧めるが――」

「それはダメ。わたしのご飯を作るのは、かおる君の役目なのだから。だっ、だってあなたは、わたしのお家の使用人的存在でしょ?」

「ああ、確かにあの家では、冬木がお姫さまのような存在だな」

「分かったら、もっとわたしに尽くすこと。尽くして、くれたら……わたしも、もっと、尽くしちゃうかも、しれないわね」

「たとえば、どんな風にだ?」

「そ、それはっ……」

「まあ、たまにこのようなサプライズがあるのなら、家事も悪くないものだな」

「ふ、ふんっ……分かればいいのよ、分かれば」

 

 かおるがチョコレートを一つ一つ味わい、冬木が彼の肩に寄りかかる。

 昼の日差しが差し込む屋上で、ハート型のチョコレートが、じわりと溶けた。

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