第28話 さ、触っても……いいのだけれど?(精いっぱいの強がり)
「体育祭に向けて練習をしましょう、かおる君」
ホームルームが終わってしばらくした後、閑散とした教室で冬木が言った。
しかし、学校においては、二人は接点のない他人同士を演じなければならない。たとえ教室に残ったのが自分たち二人でも、かおるはあくまでも冬木の呟きを「独り言」として、自分も独り言を重ねる。
「体育祭の練習にしては、早いような気もするな。第一、どこで練習するんだ。運動場は、運動部が使っているんじゃないか」
「心配ご無用よ。中間テストが近いから、野球部も、サッカー部も、グラウンドを使用していないの。少しの間、部活動は休止されるみたいね」
かおるが窓の外を覗き込むと、確かにグラウンドには部活動の姿はない。
代わりに、体操服姿の生徒が何人か、体育祭の練習らしき動きを見せている。
「……運動部がいないのは分かった。では、あそこで走っている生徒は何だ?」
「部活は禁止だけど、運動自体は禁止されていないの。つまり、グラウンドでの予行練習は、可能というわけ」
「言葉の綾と見なすべきか、規則の穴を突いているというべきか……」
「ともかく、そんなわけだから、早速二人三脚を練習しましょう。
「嫌ではないが、体操服を持ち合わせていない。また後日、という話ではいけないのか?」
「大丈夫よ、ちゃんと用意してきているもの」
冬木は自分の鞄の中から、二人分の体操服を取り出した。
当然のように、かおるの体操服も用意されていた。
「……勝手に人のものを漁るのは、感心しないな」
「勝手に? 使用人の所有物は、主さまの所有物だと思うのだけれど?」
「まあ、見られて困るような物は持っていないが……ちなみに、他に持ち出している物はあるのか?」
「……ないわ」
「なんだ、今の意味深な間は」
「だから、ないと言っているでしょう。た、たまに、あなたのシャツを手に取ることはあるのだけれど、ちゃんと元の場所に戻しているわ」
「俺のシャツ? ……それは、何のために?」
「す、吸うためよ」
「……??????」
「あなたが理解する必要はないの、どうせ理解もできないことなんだから。……そ、それよりも、予行練習はするの、しないの? いい加減、返事をいただけないかしら」
どうして自分が問い詰められているのか理解できないまま、かおるは黒板に向かったまま淡々と答えた。
「それでは、予行練習とやらに取り組ませてもらおう。俺の体操服は、優秀なご主人さまが手配してくれていたようだしな」
二人は手早く着替えを済ませて、グラウンドへと向かった。
体育倉庫から二人三脚用のバンドを用意し、これを着用すると準備は完了。
「さて、そろそろ走り出してみましょう。でも、その前にかおる君のタイムを聞いておきたいわ。かおる君、50m走は何秒だったの?」
「7秒45だな」
「すごいわね。男子高校生一年生の平均タイムぴったりじゃない」
「冬木はいくつなんだ?」
「8秒ちょうどよ。女子の中だと、かなり速い方じゃないかしら」
「流石、桜ヶ丘のシンデレラだな。容姿と知性に加えて、運動神経までも兼ね備えているとは」
「とは言っても、男の子のかおる君を上回るほどではないみたいね。最初は、お互いの足並みを合わせることを集中しましょう。息が合ってきたら、少しずつスピードを上げて。ただし、わたし以上の速度は出さないこと。いい?」
「了解した、そのように心がけよう」
二人は息を合わせて、「せーの」と踏み出す。まずはバンドを結んだ方の足から、次は空いた反対側の足で、一歩一歩と進んでいく。
「意外と順調ね。
「普段の俺は、それほど遅くないはずだが……冬木からすると、俺はそんなに
「ええ、とってもね。
「暴力を振るわれては敵わんな。普段から、よりきびきびと動くべきか……」
「動くだけじゃダメ。周りをよく見て、もっと色んなことに気付くことね。特に
「近くと言うと……前の席の、女子のことか?」
「ねえ、かおる君って、嗜虐癖でもあるの? そんなに、わたしに罵られたい?」
「言っている意味は分からんが、至らないところがあれば、素直に謝罪しよう」
「もう……かおる君の、バカ」
言い合いながらも、二人の足は順調に前へと進んでいく。
速度は、それほど速くはない。走っているというより、競歩に近い速度だろう。
それでも一つずつ、丁寧に呼吸を合わせることで、躓くことなく踏み連ねていく。
「ところで、俺と予行練習をしていてもいいのか? この一部始終が目撃されれば、あらぬ噂も立つと思うが……」
「ただの予行練習よ。わたしたちの他にも、体育祭に向けて練習している生徒もいるし、そこまで不自然には映らないはずよ」
「なるほど。つまりは、俺たちが学校で関わりを持つ口実を手にしたわけだな」
「ええ、これはあくまで予行練習なのだから。たっ、たとえばわたしが、予行練習以外の意味をもって、かおる君と二人三脚をしているわけでは決してないわ。あなたと二人っきりで、肩を組んで、足並みを合わせて、二人三脚をしたかったわけでもないのよ」
「冬木の《たとえば》が、やや具体的過ぎる気がするんだが……」
「だっ、だから、たとえばの話だって言っているでしょう? わ、わわっ、わたしは何も、私利私欲を満たそうとしているわけじゃないの。あくまで、ただの予行練習として、公然たる事実として、かおる君と二人三脚を――」
動揺のあまり、冬木は足下への集中が疎かになり、それがかおるとの歩幅の乱れを招いた。二人の足並みがずれた結果、冬木の体勢が大きく崩れる。
しかし、結論から言えば、冬木が地面に衝突してしまうことはなかった。
「……かおる君」
冬木が前のめりに傾いた瞬間、かおるが彼女の前に滑り込み、全身を使って受け止めていた。
かおるによる咄嗟の受け身に、冬木はしばし呆然としていたのだが、二人の顔が、まつ毛が触れ合いそうな距離であることに気付くと、冬木の顔色はみるみるうちに赤く染まった。
「大丈夫か、冬木。怪我はないか?」
冬木を深く抱き留めたまま、かおるが訊ねる。
その極近い彼の声に、冬木の顔はさらに赤く染まった。
「あっ、ありがとう……かおる君。えっと、その……」
冬木が言葉を詰まらせる一方で、かおるは胸元に感じる異様な圧迫感に意識を奪われていた。
……彼女と密着していることで、普段は隠れているその弾力が、惜しみもなく伝わってくる。
「か、かおる君。その……あまり露骨に見られると、わたしも思うところがあるのだけれど」
冬木がすぐさま抗議を入れると、かおるは彼女の身体を起こして立ち上がらせた。
「故意に見ていたわけではない。ただ、あまりの弾性係数に、虚を突かれただけだ」
「
「どうした? なんだ、その目は?」
「かおる君も、やっぱり男の子なのね。普段は理性的なふりをしていても、女の子の
「意識せざるを得ないというか、意識させられたというかだな……」
「でも、興味はあるのでしょう?」
冬木は意地悪く微笑んで、胸の下で腕を組み、自らのそれを強調させる。
その仕草には、確かな挑発の色が見て取れる。
「それは、どういう意味だ? 興味といっても、様々な観点があると思うが」
「はぐらかしちゃダメ。かおる君は、
「ちなみに、ないと答えたらどうなるんだ?」
「別に……ふーんそう、と思うだけよ」
「なら、あると答えた場合は?」
冬木は辺りを見回し、人気のないことを確かめると、かおるの耳元に唇を寄せた。
「そ、そんなに興味があるのなら……さっ……
かおるは声を失い、いまの冬木の痴女とも言うべき言葉を頭の中で、何度も繰り返していた。
触る? ……俺が、いったい、何のために?
しかし、彼女の弾性係数には目を見張るものがある。実際、彼女は隠れた《G》の持ち主なのだ。
果たして先ほどの感触は、物理法則に基づいたものなのか、それともただの錯覚に過ぎなかったのかと、そんな考え事をしている内に、冬木の顔色は耳まで紅潮し、最後は自分が口にした言葉に堪えかねて、逃げ出すように踵を返そうとした。
が、いまは二人三脚の練習中。思わず足下を狂わせて、またもや転倒してしまうと、なぜか恨めしそうな視線をかおるに注ぎ込むのであった。
「おい……大丈夫か、冬木?」
「だっ、大丈夫だから! ほら、早く練習に戻りましょう!」
「随分と、慌てているようだが……ところで、さっきの話については」
「い、いいから、今は練習に励むのよ! 意識を疎かにしたらいけないの。目の前のことを、一つずつ積み重ねていきましょう!」
「まあ……確かに、いまはこの練習に集中するか」
しきりに目を泳がせている冬木のことが気になったものの、かおるは二人三脚に意識を集中させた。
冬木は時折、じとーっとした視線を向けてくるのだが、かおるはなぜ自分が睨まれているのか、まったく理解できなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます