第20話 シンデレラと王子さまの初デート(1)


 日曜日がきた。

 時刻は朝九時――かおるは待ち合わせのため、冬木の住むマンション前へと向かう。一昨日の約束通りなら、きっと冬木がそこで待っているはずだろうと。

 しかし、そこに立っていたのは、見慣れない姿の彼女だった。


「冬木……なのか?」


 普段の彼女からは想像もできない、垢抜けた冬木氷香の姿が、そこにはあった。

 しなやかに伸びていた金髪はカットされ、前髪の両脇にはおさげがぶら下がっている。サイドの編み込みには白いリボンがあしらわれ、後ろに流れる髪には柔らかなパーマがかけられていた。風に揺れる度に、金色の髪が舞い、柑橘の甘い香りが漂う。


 そして、変化は髪型だけに留まらない。

 今日、冬木が着用してきた衣服は、白いシャツ型ブラウスと、黄色のスカート。

 肩から伸びるストラップが、冬木の繊細なラインをさらに強調させる。透け感のある生地越しに覗く細い腕と、たおやかな腰回り、そしていつもは姿を潜めている張りのある曲線が、彼女のG級スタイルをありのままに浮かび上がらせている。


 それに加え、より高い位置で着用するハイウエストのスカートが、冬木の持つ最大の武器をなお際立っている。

 細い手足、引き締まった腰。その繊細な身体的特徴が、かえって上半身の豊かな膨らみを強調する、計算されたコーディネートとなっていた。


 首まで整然と留められたボタンと、そこに添えられた黒リボンの装飾も、清楚感に拍車を掛けている。髪型も、装飾も、服装も、どれ一つとっても、かおるはいまの冬木が、別人のようにさえ思えた。


「ええ、そうよ。わたし以外の誰が、ここにいるというの?」

 冬木は垢抜けた姿を誇るように、胸の下で腕を組んだ

 恥じらってばかりいた一昨日の彼女は、もうここにはいないようだった。


「確かに冬木に違いない。だが......これほどの変化には驚かされる。たった一日見ない内に、いったい何があったというんだ?」


 かおるは依然として理解できずにいた。一昨日のファッション誌の謎も、突然冬木に入ったという連日の予定も。

 冬木の真の予定とは、美容院に通い、衣服を新調することに他ならない。

 その事実にさえ考えが及ばないかおるには、冬木の顔色が一段とよくなる。


「あら、かおる君は、わたしが《シンデレラ》と呼ばれていることを知らないの? お姫さまはね……ある時を境に、変身をするの」

「ああ、だが今はまだ夜ではないし、ガラスの靴も、王子さまも、カボチャの馬車も見えていないぞ」

「そうね。いまは昼だし、わたしが履いているのはショートブーツで、移動手段は市街地へ向かう一般バス。……でも、一つだけ・・・・は、要件を満たしていると思わない?」


 かおるは周囲に目を配り、そのたった一つを探し始めた。

 ガラスの靴はなく、カボチャの馬車はない。なら、残すところは王子さまだが……いったい、どこに彼女のプリンスがいるのだろうか。


 そんな鈍感な思考を巡らせる彼を目の前にして、冬木は唇に満足げな笑みを浮かべていた。彼女は両手を後ろで結びながら、上目遣いでかおるの表情を覗き込むように声を投げる。


「ねえ、かおる君。今日だけは、執事さまを休職してもいいわよ。その代わりに、もっといい席を用意しているのだけれど……そうね。たとえば、一日限定の王子さま・・・・・・・・・なんて、どうかしら?」


 この時、かおるの頭には一つの結論が導き出された。

 きっと冬木は、本物の王子さまを待つ間の予行演習として、疑似デート計画を進めていたのだ。ファッション誌に踊っていた《デート》という文字は、今日の予行演習のためなのだろう。

 ……そう本気で思い込んでしまうあたり、かおるの鈍さは徹底されていた。


「なるほど、今度は王子さまの代役というわけか。俺でよければ、承ろう」

「ありがとう、かおる君。でも、ね……べ、別に……代役・・である必要は、ないのだけれど……」


 冬木は赤みを帯びた頬を隠すように、そっと目を逸らした。


代役・・じゃなくてもいい? それは、どういう意味なんだ?」

「だから、その……本物、っていうか……」

「俺は冬木とは違う。貴族の生まれでもないし、気品を兼ね備えているわけでもない。ただの影の薄い、男子高校生だ。冬木の王子さまには、あまりに不適当と言えるだろう」


 かおるが自らを自嘲したその時、冬木の視線が一転する。彼女の細められた瞳には、いまの言葉に対する明確な抗議の色が浮かんでいた。


「ふぅーん……かおる君は、王子さまの役目を、そんなに拒みたいの?」

「身分というものは、望むか望まないかで変わるものじゃない。冬木の隣に立つ者がいるとすれば、それは同じ世界の住人であるべきだ」

「また、そうやってはぐらかして……かおる君って、本当は分かって言っているんじゃないかって、たまに疑いたくなるところがあるのだけれど……」

「分かって言っている……とは、なんだ?」


 相変わらず感情の機微に疎いかおるだったが、冬木がこれに機嫌を損ねることはなかった。

 自分たちの出会いから、まだ日は浅いのだと。

 むしろこれから始まる大切な時間の中で、彼のことをより深く知ることができる。お互いの距離を縮めていける。その確信が、冬木の表情を穏やかに解いていった。


「まあ、いいわ。その鈍さも含めて、かおる君なのだから」

「無論、俺は紛れもない俺自身だが……しかし、すまない冬木。俺は過去が原因で、感情というものへの理解を失ってしまった。自分の気持ちも、他者の心情も、正確には把握できない。――ただ、それでも」


 かおるの視線が、目の前の冬木を捉え直す。

 柔らかな波を描く金髪、シルエットを巧みに表現する肩紐とスカートのライン。フリルの装われたブラウス、そしてスカートとオーバーニーソックスの間に覗く僅かな素肌。少女らしい装飾の施されたショートブーツまで、全てが計算された可愛らしさを保っている。


 この冬木の姿を一目した時から、かおるは未知の感覚を抱いていた。

 目を逸らそうとする意思と、見つめずにいられない衝動が混在する。彼女の姿が、自分の意識を奪っていく。

 今まで経験したことのない《関心》が、かおるの中で芽生えつつあった。


「それでも、いまの冬木からは目が離せない。……理由は説明できない。ただ、どうしても見つめてしまう。この感覚が……不思議で、仕方がないんだ」


 スカートの端を摘む冬木の指先が、かすかに震えている。

 それはかおるの言葉に、期待しているからなのか、それとも緊張しているからなのか。いずれにせよ、冬木はかつて経験したことのない感情に包まれていた。


 いつもの毒舌も、強がりも、今は意味をなさない。かおるの素直な言葉の前では、自分もまた素直な少女でいるしかなかった。――だから、いまこの瞬間だけは、冬木は素直になることを選んだ。


「ねえ、かおる君」


 冬木が僅かな距離を置いて歩を進め、くるりと振り返った。そこには、かつて冬木が見せたことのないほど、眩しい笑顔が浮かんでいた。


「そろそろ、わたしたちの時間を始めましょう。今日という魔法が解けるまで、王子さまは、どんな世界へ連れていってくれるのかしら?」

「魔法というには味気ないが、市バスの路線図くらいは把握している。俺なりの庶民派エスコートで、お姫さまを未知なる冒険へと案内しよう」


 かおるは歩み寄り、自然な動作で冬木と肩を並べる。冬木は彼と足取りを合わせ、一歩一歩と呼吸を合わせる。

 現代のシンデレラと王子さまは、カボチャの馬車ではなく、バスに揺られて目的地へと向かっていった。

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