第17話 言いたいけど、言いたくないの。聞いてほしいけど、聞かないで。

「冬木、先生の指示があったように、これはペアワークだ。相手の目と目を見て、話さなくちゃならないのに、どうして目を逸らすんだ?」


 つたない英語でそう注意するかおるに、冬木は「わ、分かっているわよ。ちゃんと……ちゃんと、目を見て話すわ」と、流暢な英語で答えた。


 さすがはお嬢さま育ちの冬木、英語力も申し分ないのだろう。

 と、関心していたかおるだが、彼女の変化にはやや気がかりだった。

 

 膝が触れ合うほどの距離で、互いの目を見つめ合わなければならない状況の中、冬木は緊張気味に喉を震わせ、その頬に赤みを広げていっている。

 かおるは気付いていないが、冬木は胸の高鳴りを隠せなかった。彼とのペアワークに心躍らせ、恥ずかしさと緊張感が、その顔に浮かび上がっている。


 だが、ここは学校の教室。二人の関係を悟られないためにも、感情を押し殺して無表情を貫かなければならない。


「なあ……なんか、冬木さんの顔、赤くね?」

「冬木さんでも、照れることとかあるんだな」

「いや、もしかしたら……あの男子と、何かあったとか……」

「それだけは、100パーないな。つーか、あの隣の男子って、誰?」

「さあ……俺は、声すら聞いたこともないかも」


 桜ヶ丘のシンデレラこと冬木への注目は、授業中も絶えることがない。男子たちの噂話が広がっていくと、冬木は凜とした顔でこのように牽制した。


「彼の英語が、あまりにつたないものだから、恥ずかしくなったのよ。たとえば、わたしのこの発音……Butlerや、Prince Charming、My one and only。どうかしら? このわたしと比べたら、彼の発音なんて、まるで話にならないわ」


 冬木がそう言い放つと、男子たちは敬意と共感の声を上げた。

 英語の発音があまりよくないことは、かおる自身も分かっている。だから、冬木は聞いていて恥ずかしくなったのだという説明は、完璧な言い訳になっていた。


 ……しかし、冬木は知っているのだろうか。

 発音はともかくとして、かおるはある事情により、極めて高いリスニング能力を持っている。

 いま冬木が流暢に語った英単語の一つ一つを、彼は逃さず聞き取っていたのである。


(Butlerは……執事さま、Prince Charmingは、魅力的な王子さま。そして、My one and only……これは、わたしだけの彼・・・・・・を意味するはずだが……冬木のやつ、どうしてこんな単語を選んだんだ? あまり、授業でも出てこない言い回しのはずだが……)


 かおるが顎に手をやって考えていると、トンっと、爪先による合図コンタクトが送られた。


「Hehe... How about my pronunciation? You... my dear butler, you have no idea what I'm saying, do you?」


 冬木は意地悪げに口角を崩し、にやにやとかおるの顔を見つめている。


 ふふっ……どう、このわたしの発音? あなたには……わたしだけの・・・・・・執事さま・・・・には、何を言っているのか、ちっとも分からないでしょうね?


 冬木は先ほど、かおるにこう宣言したのだ。

 自分の完璧な英語が、彼には理解できるはずがないという、自信ゆえだ。


「冬木、いったい何を言っているんだ?」


 しかし幸いも、かおるの関心は彼女の言葉自体ではなく、彼女の狙いに向けられていた。いまの発言……わたしだけの・・・・・・執事さま・・・・に、言及されなかったことは、冬木にとって命拾いだっただろう。


「あら? やっぱり分かっていないみたいね、かおる君は」

「そりゃあ、分かんないだろ。冬木は、何が言いたいんだ?」

「ふふっ……だからね、かおる君。つまり、わたしが言いたいのは……」


 冬木は勝ち誇った顔で、彼の瞳を見据えながらこう続ける。


「You're my one and only... partner in this English class.(あなたは、この英語のクラスで、わたしの唯一のパートナー・・・・・よ)」


 突然の発言に、かおるは困惑の表情をさらに強くした。

 実際、冬木はこのスリリングな状況を心から楽しんでいた。

 限界まで攻め込んだ告白めいた言葉を投げかけながら、発音も怪しいかおるには、その内容など理解できないだろうと。


 ……が、かおるは冬木の英語を、一言一句漏らさず理解していた。

 ただし残念なことに、その言葉に潜む本当の意味には、気付かない様子だったが。


「Fuyuki... we are doing pair work now, right(冬木……俺たちはいま、ペアワーク中だよな?)」


「Yes, indeed. It's pair work, and we're also partners(ええ、そうね。ペアワークであり、パートナーでもあるの)」


「What are you saying the obvious for? We are sitting next to each other, so of course we are partner(何を当たり前のことを、言っているんだ? 隣の席なんだから、そりゃあパートナーになるだろう)」


「Hehe, Kaoru, you're so dense. But that's what makes you adorable(ふふ、かおる君ったら……本当に、鈍感なのね。でも、そこがまた可愛いんだから)」


「……????」


 かおるの英語はカタコトでつたなく、一方の冬木は、本場のネイティブ英語を完璧に扱っていた。誰がどう見ても、二人の英語力が釣り合っているようには思えない。クラスメイトの男子たちも、かおるの稚拙な発音に失笑を漏らしている。


 このシチュエーションこそが、冬木により大きな自信を与えたのだろう。

 周囲の目を欺きながら、冬木はこのギリギリの危ない綱渡りを、自信満々に続けていく。


「Kaoru, you're absolutely adorable. The way you try to cater to my needs, the way you strain to understand my every word - it's all so special to me, more than anyone else. But alas, it seems my English is a bit too challenging for you, Kaoru. Even though I only have eyes for you, you can't quite catch what I'm saying, can you? Hehe... Oh, Kaoru.

(かおる君、あなたは本当に可愛いわ。わたしに尽くしてくれる姿も、精いっぱい聞き取ろうとしているその姿も、わたしには誰よりも特別に見えるの。でも、残念。かおる君に、わたしの英語は難しすぎるようね。わたしはもう、あなたのことしか見えなくなっちゃってるのに、あなたは、わたしの英語も聞き取れないなんて。ふふっ……本当に、かおる君は)」


 冬木の危ない挑発……流暢な英語の羅列は、教室にどよめきを走らせた。

 彼女の高い英語力に、クラスメイトたちは羨望の眼差しを向け、冬木はその反応を気持ちよさそうに、金髪を艶やかにかき上げている。


「hmm... I looked you.(まあ……俺は、お前を見ているな)」


 かおるがつたない英語で返すと、また男子たちの新たな笑いが生まれて、冬木は勝利の笑みを漏らした。


 彼が冬木の言葉の意味を言及し、問いたださなかったことは、限りなく冬木の救いとなっていただろう。


(本当に……何の話だ? 俺が特別で、俺しか見えない? ……そうか。冬木はまた、俺をからかおうって魂胆なのか。確かに、冬木の毒を受け止められるのは、俺だけだろうしな)


 かおるは純粋に、その言葉に戸惑い、自己完結する形で納得をつけた。

 

 ――そしてチャイムが鳴り、英語の授業が終わりを迎える。

 ホームルームも終わり、放課後になると、冬木はかおるに視線を送った。

 教室を離れる冬木の背を見送り、かおるもまた、少し遅れて玄関へ歩む。

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