第3話 お姫さまの汚部屋事情
「冬木って、もしかして俺と近くの場所に住んでいるのか?」
「気付かなかったけれど、案外その可能性が高いみたいね。……ほら、見えてきたわよ。あそこが、わたしのお城ね」
冬木が指し示した先には、完成したばかりの高級マンションが威容を誇っていた。
邸宅街の新たなランドマークとなった九階建ての建物は、その高さ四四メートルもさることながら、六百坪に及ぶ広大な敷地を誇っていた。建築美を追求したその姿は、無機質な直線を避け、大きく湾曲したガラス窓と優美な金属フレームによって、まるで芸術作品のような柔らかな表情を見せる。曲線を描く巨大な窓からは、きっと四季の移ろいを映す街並みが、絵画のように広がって見えるに違いない。
「……で? あのマンションの、どこに住んでいるんだ? まさか、エントランスホールで野宿、なんてオチじゃないよな?」
「そんな下品な真似、するわけないでしょう。わたしの住まいは最上階よ。九階のフロア全体が、わたし専用のペントハウスということ」
童話から抜け出てきたような美貌に、お姫さまのような物腰。かおるは驚くよりも、むしろ納得の念が強かった。まさに、彼女にふさわしい住まいと言えるだろうと。
「冬木は、本物のお姫さまだったわけか」
「それは、また皮肉で言っているの? それとも、字義通りに解釈すべきものかしら」
「後者だよ。ルックスに、財力に、頭脳……は、まあ、そこそこといったところか――」
「失礼ね、入学試験は全科目満点よ。一年生の中で、最高の頭脳を持っているのは、このわたしなの」
「あれ……でも新入生代表は、別のやつじゃなかったか?」
「辞退したのよ。あの壇上にわたしが立てば、どんな騒ぎになるか。そのくらいの想像力は、働かせられるでしょう?」
「ああ、それなら得心がいった」
「それで、かおる君のお家はどこなの? もしかして、わたしと同じマンション?」
「そんなわけないだろ。俺の家は……ほら、アレだ」
光と影――その言葉がぴったりと当てはまるかのように、冬木の住まう優美なマンションの向かいには、少し距離を置いて、手すりは錆び付き、階段はあちこち塗装が剥がれ落ちた老朽アパートが佇んでいた。
「冬木の城と比べれば、俺の家は犬小屋みたいなものだろうけど、住むだけなら問題ない。俺は、ひとり暮らしだしな」
「奇遇ね、かおる君。実は、わたしもひとり暮らしなの」
「あんな豪邸に住んでいるのにか?」
「いわゆる、家庭の事情というものよ。高校生でひとり暮らしをするかおる君にも、それなりの理由があるでしょう? わたしにもまた、複雑な事情が存在する。ただ、それだけのことなの」
冬木の家庭事情はさておき、かおるには彼女のひとり暮らしという事実が、どうしても腑に落ちなかった。
そもそも、あのゴミ処理の腕前を見る限り、掃除や洗濯、料理など、日常の家事をこなせるとは到底思えない。
いったいどうやって、彼女は独り暮らしを維持しているのだろうか?
「それじゃあ、今日はこの辺で。また明日会いましょう、かおる君」
冬木が踵を返そうとした瞬間、「待て」との声と共に、彼女の手首が捕らえられる。
「あら……どうしたの、かおる君? まさか知り合って間もない女の子に欲情して、部屋に誘おうっていう魂胆なの? いくら無表情を装っていても、結局は年頃の男の子なのね」
その毒を含んだ言葉さえも意に介さず、かおるは迷いのない声で問いを投げる。
「冬木の部屋は、どうなってる? まさか、あんな上等な住まいを、ロッカー事件の時のように、ゴミの聖域にしてるわけじゃないだろうな?」
冬木はあからさまに目を泳がせ始めた。強気だった唇は、半開きのまま反論する言葉を探し続け、もはや彼女の自宅がどのような有様かは、火を見るよりも明らかだった。
「ご、ゴミ屋敷とは、失礼ね。ちょっと……ちょっと、整理整頓の途上、というだけ」
かおるは思わず額を押さえた。あの優雅なペントハウスが、想像を絶する混沌と化してしまっている確信に、頭痛さえ覚えたのである。
「流石は、冬木。散らかし具合も、超一流ってわけだ」
「ええ、何事も中途半端は好みじゃないの。わたしの部屋が織りなす混沌は、芸術的センスの欠片もないかおる君には、理解できないでしょうね。芸術は、分かる人にしか見えないものなの」
「なるほど。ゴミの中から制服を探し出すことも、芸術的な営みってわけだ。毎朝俺より遅く来て、時々遅刻しかける理由も、やっと腑に落ちた」
「へえ、よく見てるじゃない。わたしの登校時間まで把握してるなんて。……もしかして、それだけわたしのことが気になっていたのかしら?」
「気になるっていうか、朝の娯楽だな。冬木が今日は何分遅れで現れるか、電車の遅延情報をチェックするサラリーマンの気分が、少し分かった気がする」
「あら、わたしが遅れると、寂しいってことかしら? なんだか、定年を迎えたおじさまみたいな趣味ね。それじゃあ明日から、更に遅れて来てあげましょうか? 娯楽の時間を、たっぷり増やしてあげるわ」
「――それで、今日もゴミを抱えて眠るわけか? どうせ、部屋はひどい有様なんだろ」
かおるの本質を突く言葉に、冬木は罰が悪そうに目を逸らした。
「だ、だって……わたしなりに、その……片付けようとはしたのだけれど……ロッカーの時とは、比にならないくらいだから……」
予想は的中していた。冬木の部屋は、想像を超える惨状を呈しているらしい。
昨日の今日で、またしてもゴミとの戦いとなれば気は重い。しかし放置すれば、彼女がまた何か危険な行動に走らないとも限らない。最悪の場合、夜半に向かいのマンションから出火の報せが入るか、あるいは自分が火災に巻き込まれる可能性すらある。
そんな不吉な未来図が頭を過ると、かおるの決意は固まった。
「いまから、冬木の家に行ってもいいか? 今日はまだ時間もあるし、いまから手をつければ、日が落ちる前には片付くはずだ」
男子を自宅に招き入れることへの躊躇いからか、冬木は両手を胸の前で絡ませながら、しばし逡巡の表情を浮かべる。しかし他に選択肢がないと悟ると、小さく頷いた。そして上目遣いで、かおるの袖をそっと引く仕草を見せた。
「かなり、手に負えない状態だと思うのだけれど……助けてくれる? かおる君」
「御身のためとあらば、是非に」
春の太陽が中天に昇りゆく中、二人は未知なる
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