第4話

 しばらく進むと溪谷けいこくが見えてきた。


「あそこを通るのか?」

「ええ、近道ですからね。あの山を迂回うかいすると三日以上は余計にかかりますぜぇ」

「待ち伏せされたら、ひとたまりもない地形だな」

「縁起でもない事、言わんで下せぇ。こんだけの人数の護衛がいるんです。盗賊もそう易々やすやすと襲っては来れないでしょう」

「まぁ、そうかもしれんが……」

「そうですぜぇ。戦時中ならかく。この規模の一行が襲われるなんて、そうそうありやせんぜぇ」

 オルテガは、それに特に答える事無く、ただ眉をひそめていた。


 一行は、渓谷けいこくに差し掛かっていた。

 両側には断崖絶壁。大きな山を真っ二つに割ったかのようなこの渓谷けいこく。その中央の道を馬車の一群は、ゆっくりと進んでいた。


 オルテガの顔に崖の影がかかる。そして、見上げていた空の面積は、両側の崖によってけずられていった。


「うん? 何か、茂みで動かなかったか?」

 道の両側には、わずかではあったが、低木の茂る場所があり、その茂みは、渓谷の出口まで続いていた。

「こんな場所です。小動物くらいいますぜぇ」

 御者ぎょしゃは、呑気のんきに答えた。

「どうも嫌な予感がする」

 オルテガは、身を起こし、警戒し始めた。

「どうかしたの?」

 異変に気付きローラが声を掛ける。

「いや、どうにも嫌な予感がしてな――」

 オルテガがそう答えた正にその時、事件は起こった。


 ドカーーーーーーン!


 先頭の馬車が攻撃を受け横転した。

「何っ!?」

 ローラがあわてて窓から顔を出し、前方を見やる。

「顔を出すな! 先頭の馬車がやられた」

「なっ、何ですって!?」


 ボーーーーーーン!


 再び轟音ごうおんが響く。今度は、後方からである。


「くぞがっ! 進路と退路を断たれた」

 オルテガが立ち上がり、後方の様子を見ると、すでに馬車は炎につつまれ、乗っていた兵達が火達磨ひだるまになって外に飛び出して来ていた。

「当たりが悪かったか。ええい、何が平和な世の中だ」

 オルテガは、そう愚痴ぐちをこぼしながら、今度は、前方に視線を向ける。


 前方では、魔法使いの爺さんがすでに交戦を始めていた。

 横転した馬車からも生き残っていた衛兵達がしてきている。


「どうやら、前方では戦闘が始まっているようだ。全員、降りる準備をしろ。この馬車も狙われている」

「ど、どうなってるんですか?」

 アイリスが不安げに言う。

 その横では、彼女のメイドが頭をかかえてせている。

「どうやら待ち伏せにったようです」

 オルテガが落ち着いた口調で答える。

「どういう事よ」

「そんな事、俺が知る訳ないだろう。それより、こんな規模の襲撃にうなぞ、お前ら、一体、何をした」

「わ、分かりませんよ、そんな事」

「アイリス様、えず、ここは危険です。降りる準備を――」


 アイリスが、馬車の扉を開こうとしたその瞬間だった。無数の矢が崖の上から降って来た。


「うっ!」

「おい、大丈夫か」

 御者ぎょしゃの男は、その攻撃に巻き込まれる形ですでに命を落としていた。

「ちいっ」

 オルテガは、咄嗟とっさ御者ぎょしゃの男の死体を盾にすると、そこで身をかくした。


「くそっ! 崖の上にも伏兵ふくへいがいる。一体、どうなってるんだ。おい、魔法使いの爺さんっ! 聞こえるかっ!」

 オルテガが、大声で前方にいる魔法使いの老人を呼ぶ。

「何じゃい! 今、忙しいんじゃ」

 魔法使いの老人は、魔法障壁まほうしょうへき駆使くしし、地上部隊と戦闘を繰り広げていた。

「そんなの十分、承知している。崖の上が見れるか?」

「何じゃとぉ?」

「弓兵がひそんでいる。俺はかく、このままじゃ、護衛対象の身動きが取れない。魔法で吹き飛ばせないか?」

「何とも人使ひとづかいの荒い」

「出来るのか、出来ないのか!」

「敵が見えんのじゃ、分からん」

「正確な狙いは必要ない。両方の崖上に大きな魔法をぶっ放してくれ」

「やれやれ、無茶言うのう」

 魔法使いの老人は、少し後方へと下がって来ると、ブツブツと呪文をとなえ準備を始めた。


「おい、じょうちゃん!」

「ローラよ!」

「何にぃ?」

「私の名前。私は、ローラ!」

「はぁ?」

にぶいわね。ローラって呼んで良いって言ってんの」

「ああ、そうか。では、ローラ。崖上が炎につつまれたら、あっちの茂みに魔法をぶち込む。そして、その後に逃げ込む、出来るな」

「何で魔法を撃ち込むのよ?」

「恐らく、茂みの中にも敵がいる」

「じゃぁ、敵の中に突っ込めって言うの?」

「そうだ。このままここに居たらいずれ捕まる。さいわい、この馬車は、あの強力な魔法に攻撃されなかった」

「何でよ?」

「知るか。だが、大凡おおよそ、ここにいる誰かを生け捕りにしたいか、確実に殺したいかのどちらかだろう。後方の馬車のように丸焦まるこげにしてしまっては、後が面倒だからな。だから、敵が余計な欲を見せているうちに、こちらはそのすきを突く。いいな」

 オルテガは、自身の見立みたてをローラに説明しつつも、その視線は、アイリスに向けられていた――彼女がターゲットであろう事は、状況的に明らかだった。


 そして、作戦が決行される。


 両側の崖の上に広範囲のが上がる。その炎に焼かれた弓兵達が火達磨ひだるまとなってボロボロと落ちて来る。


「やるじゃないか、あの爺さん。さぁ、行くぞ――」

 オルテガが、立ち上がった瞬間、光の矢のごと魔弾まだんが、馬車に向かって飛んできた。

 その魔弾まだんは、馬車の車輪をとらえるとその車体を横転させた。


「うわーーーっ」


 箱馬車の中では、アイリス達が悲鳴を上げていた。

 一方、外の席に座っていたオルテガは、放り出される格好で地面に叩き付けられていた。


「行けーーーーーーっ!」

「うぉーーーーーーっ!」


 茂みにかくれていた伏兵達ふくへい一斉いっせいに飛び出してくる。


「くそっ! 向こうも作戦プランを変えて来たか……。まぁ、あんだけド派手はでにやってしまっては、それはそうか」

 オルテガは、剣を抜くと飛び出して来た兵達に向かって行った。


「アイリス様、大丈夫ですか?」

「僕は、大丈夫だ――。ロ、ロクサーヌっ!」

「私も大丈夫です」

 馬車が横転した事により、アイリスは、お付きのメイドを下敷したじきにする格好で倒れていた。

「ごめん、ロクサーヌ」

「大丈夫ですよ、アイリス様」

 横転したせまい馬車の中、アイリスは、すぐさま起き上がると、ロクサーヌの上から身をどけた。

「アイリス様、ここは危険です。ぐに外に出ましょう。さいわい、崖上の兵は倒されたようです」

「出るってどうやって……」

 ローラは、今は天井と化している馬車の扉を指差した。


 その頃、オルテガは、馬車の外で伏兵達ふくへいたちを相手に戦闘を繰り広げていた。

「ぐはっ!」

 オルテガの剣が、最後の一兵いっぺいの体をつらぬく。

「敵の方もか。老いたとはいえ獅子ししを相手にするのに飼い慣らされた犬を寄越よこすとは、せめて野生の狼くらいは用意して貰いたかったな」

 オルテガは、そう言いながら兵の体から剣を引き抜いた。


 丁度ちょうどその時、ローラが横転した馬車の上に立ち、誰かを引き上げようとしていた。

「おい、ちょっと待て!」

「えっ? 何?」

「姫さんを引き上げるのは、少し待て」

「何故?」

「狙撃手がいるからだ」

 オルテガは、そう言いながら前方を指差した。

「じゃあ、どうすんのよ」

「爺さん!」

「何じゃ!」

 オルテガは、再び、魔法使いの爺さんに声を掛けた。

 しかし、その時、前方の戦闘は、まだ終わっていなかった。それどころか、さらにその前方には、増援部隊ぞうえんぶたいの立てた砂煙すなけむりが見えている。

「狙撃手から姫さんをまもりたい。強力な魔法障壁まほうしょうへきを頼めるか?」

「全く、人使ひとづかいの荒い」

 魔法使いの爺さんは、愚痴ぐちをこぼしながらもオルテガの作戦に同意し、アイリス達の馬車の方へとさらに後退を始めた。


「では、爺さん、魔法障壁まほうしょうへきを頼む」

相分あいわかった」

 魔法使いの爺さんが、つえかかげようとしたその時。


「誰かー! 助けてくれっ!」


「前方の兵達がかこまれている!」

 ローラが声を上げる。

「兵を殺さず負傷させて足止あしどめする――あれは、こちらの人間をおびせるための罠だ。爺さん、早く、魔法障壁まほうしょうへきを頼む」

「何を言ってるのよ! 助けに行かなくっちゃ! 二人が行かないなら私が――」

 ローラは、今にも飛び出して行きそうな状況だった。

「お前さんも魔法障壁まほうしょうへきる事は出来たな」

「で、出来るけど……」

「では、アイリス様を頼む。前方の救援きゅうえんには、ワシが向かおう」

「おい!」

「オルテガ殿も分かっているはずじゃ。この手の罠が有効なのは、そう簡単に見捨てられるものではないからだ」

「ちいっ! どいつもこいつも。さっさと行け。死ぬなよ、爺さん」

「苦労を掛けるなぁ」

 魔法使いの老人は、そう言いながら、前方へと向かった。


「ええい、ローラ! さっさと障壁しょうへきれ。俺は、煙幕えんまくを立てる」

「わ、分かったわ」

 ローラは、そう答えると呪文をとなえ、魔法障壁まほうしょうへきった。

 それに呼応こおうするかのように、オルテガも『風のつるぎ』を振り、砂煙すなけむりげた。


「アイリス様、そこから外に出たら、ぐに降りて、物陰ものかげかくれていて下さい」

「わ、分かったよ」

「では、引き上げますよ」

 ローラは、そう言うとアイリスの手を引き、一気に馬車の上に引き上げた。

「こちらへ」

 その様子を見たオルテガは、すぐさま馬車に近付くと、アイリスが飛び降りるのを下からフォローした。

「次は、ロクサーヌさん」

 ローラが再び馬車の中へと手を伸ばす。

「私にかまわず、先に逃げて下さい」

「何を言っているの!」

「私は、片足が義足ぎそくです。そう遠くには逃げられません。置いていって下さい」

「何を言っているの! 早く手を伸ばして」


 ローラがロクサーヌの説得を試みているまさにその時、再び魔弾まだんが彼女達を襲った。


「キャァッ!」


 魔弾まだんは、ローラの展開していた障壁しょうへき貫通かんつうし、彼女の耳元をかすめた。


「行って下さい」

「でも……」

「おい、一旦、ここから離れるぞ。このままじゃ全員お陀仏だぶつだ」

「だって……」

「早く行って下さい。アイリス様の身をまもる事が最優先です。私は、ここにかくれています。だから――」

「……分かった。一旦、私達はここを離れるけど、必ず助けに戻るから」

「はい」

 ロクサーヌは、ローラに心配を掛けさせまいと笑顔で答えた。


 ヒュン!


 ローラが馬車から飛び降りると、後方で魔弾まだんが通り過ぎる音が聞こえて来た。

えず、茂みに身をかくすぞ」

「その後は、どうするの?」

「分かるものか! すきいて突破するしかあるまい」

「結局、行き当たりばったりじゃない」

「仕方ないだろう。主導権は、完全に向こうがにぎっているのだからな」

「二人のせいではありません。今は、出来る事をやりましょう」

「ええい、忌々いまいましい!」


 ヒュン! ヒュン!

 煙幕えんまくで狙いをさだめられないながらも、牽制けんせいの為の狙撃は続けられていた。


「どうして、こうなった。あの受付嬢め! 何が『貴族を王都に届けるだけの簡単なお仕事です』だ。帰ったら、しこたま文句を言ってやる」


 オルテガは、苦虫にがむしつぶしたよう顔で立腹りっぷくしていた。

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