第6話 成長
部屋を出ると、同じフロアの3つ隣にある部屋へ進み、鴨野へ開けるよう指示する。鴨野は212号室のドアを開けると、爆音が鳴り響いているものの人影が見当たらず少し安堵する。
鴨野へ好きな場所に座るよう指示し、鯨井は一番遠い所へ腰掛けて
鯨井はタッチパネル式のリモコンを手に取ると、音量を消し、自身のスマートフォンに少し手を触れてから口火を切る。
「30分もあれば自由になれますので安心してください。まずそのためにはリラックスしてもらう必要があります。あなたの家族構成を教えてください。また、良し悪しに関わらず思い出を話してください。
分かっているとは思いますが、この問いに関する質問は時間の無駄なので不要です。嘘はつかないように。」
鯨井は優しい口調で話すと、手に持った拳銃を椅子の横に置き、再度自身のスマートフォンを取り出し目を向ける。
無言の時間が流れるも、十数秒後に鴨野が口を開く。
「家族構成は両親と姉が一人。中学生の頃に自暴自棄になって良くないことをたくさんしました。家族に対してもきつく当たっていましたが、母が懲りずに優しく声を掛けてくれまして。今も罪を犯しているわけですが、その時から母には頭が上がりません。あの時の母がいなければ今の状況はもっと良くないことになっていたと思います。」
鴨野は定型文を読み上げるように抑揚を付けずに話す。
「ありがとうございます。良い母に恵まれたようですね。ちなみにご両親はどのようなお仕事をされているのですか。」
鯨井は再度質問を投げかけると、スマートフォンのメッセージに視線を向けながら話を聞く。
「どうしてそのようなことを…。父はシステムエンジニアで、母はスーパーマーケットで働いていますが…」
「なるほど。ありがとうございます。嘘はついていないようですね。試すようなことをしてすみません。この期に及んでホラを吹く下等な人間は存在しないほうが良いですから。」
鯨井はそう言いながら鴨野を立たせ、怪しい挙動をしないよう念を押してから後ろを向かせてカッターナイフで手錠を切る。
その後、万が一に備えて部屋の隅にある細い柱と左手を手錠で括り付けて座らせる。
「それでは500万円の引き出し手順と注意事項を説明します。まずは確認ですが、詐欺で吸い上げたお金は財布に入っていたこちらの口座でよろしいですよね。」
鴨野はなぜその口座が分かったのかと少し驚いた表情をするも、無言で少し頷く。
「全てが分かってしまうのです。」
鯨井は頭を掻きながら照れくさそうな顔をすると説明を続ける。
「この銀行はATMでの引き出し上限を超えているので、窓口での手続きになりますね。その際届出印が必要になります。そちらをお持ちいただく必要があるのですが、ここからが注意事項です。
あなたのお母さまはこちら側で保護させていただいています。もちろん現在は無傷で精神的負担もおかけしていない状況ですが、あなたが従わない場合どうなるか言うまでもありませんよね。」
「おい、殺されたいのか。」
鴨野もこれには顔を真っ赤にすると拘束された手錠を引きちぎらんばかりに暴れまわり、殺してやると連呼しているが、鯨井は拳銃を取り出し笑顔で構える。
「大丈夫ですから安心してください。保護している人はわたしより残酷です。ここで従わなければ彼は確実にお母さまの息の根を立つでしょう。EAON。これがあなたのお母さまの勤め先。先ほど退勤したことも知っています。時間をかけさせないでください。」
鴨野の表情は徐々に赤から青に変わっていく。小さく縮こまりながら座って頷き、言うことを聞くと言って届出印のありかは詐欺を働く事務所であると伝えておとなしくなる。
「では早速行動を開始しましょう。」
鯨井はそう言って鴨野の拘束を解き、事務所へ向かうため共にカラオケボックスを後にする。
―
おおよそ40分前、早乙女は詐欺師二人と合流する直前にスマートフォンに”母”と書かれた鷲尾宛てへ発信し、通話状態で鞄へ忍ばせていた。鷲尾はそのスマートフォンから聞こえる情報に耳を傾け、”かもの ねぎと”の固有名詞を仕入れる。
引き続きイヤホンでカラオケボックスの会話を聞きつつ、市役所の知り合いにその人物の戸籍情報、現住所並びに勤務先の情報等について調べるよう依頼する。
その後、部屋を変えた鯨井と鴨野の会話を把握するため鯨井へ通話して再び傾聴する。
市役所の知り合いから折り返し連絡があり情報を入手すると、その情報を鯨井に伝えて、鴨野の発言に誤りがないか、併せて家族で一番大切に思っている人物が誰なのか探りを入れるようメッセージを送る。
「母想いなのはとても良いことだね。」
鷲尾は二人の会話をイヤホンから聞きながらそう呟くと、鴨野の母の正確な勤務先を特定するため、息子の葱斗を装って鴨野家付近のEAONへ手当たり次第に通話を開始する。
当たりが付くと、電話越しの従業員に退勤時間が何時かだけ確認し、そのまま切電した。
「鴨野の母を家の外に連れ出す手間が省けたし、少しだけゆっくり準備できそうかな。」
届出印が自宅ではなく事務所であることが確認できると、椅子に深く腰掛けて煙草に火を付けて窓の外を眩しそうに目を細めてしばらく眺めた。
「少し待っててね、行ってきます。暇だったら代わりに配信しててもいいよ。」
鷲尾は煙草の火を消すと、用意していた短髪のウィッグ地毛がはみ出てこないようにゆっくりと頭へ装着し、飼い猫に冗談交じりで声を掛けてから家のドアを開けて目的地へ向かう。
―
一方その頃、215号室では、壁を向いたまま制止する田中と赤く染まったワンピースを着替えようとしている早乙女の姿があった。
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