第4話 異変

 「もしもし、ミラだよ。例の件、リッチには連絡して日程を確保させたよ。」


 田中と接している時と比較して口調が異なる早乙女。


 「あいあい了解。当日は何卒滞りなくよろしくね。

 ところで、リッチに日程確保”させた”と表現するのは上下関係がしっかりしてる感じなのかな。どうやって上下のバランスを保っているのか、威厳か、魅惑か。

 どちらにしても一つの小さなひび割れがきっかけで信用を損なって関係性が崩れないように気を付けてね。

 ちなみに年下からのアドバイスだけど、人を顎で扱いたい場合はその人に対して優位に立てる情報を持っておくことを推奨するよ。いざという時の保険というやつだよ。覚えておいてね。」


 「…うるさい。アルタイルに言われなくても分かってるよ。」


 「そうそう、最後に一つだけお願いがあるんだけどいいかな。

 もし例の組織の人間でフルネームと個人を特定できそうな情報を調べて教えてくれるかな。やり方は任せるけど、必要なら色仕掛けを使ったらいい。

 もしたくさん調べてくれたら特別に頭撫でるか、もしくはお尻を叩いてあげる。もしくはその両方でもいいよ。」


 「ちっ。調べものについては了解。褒美はいらない。」


 「褒美だと思ってるんだ。照れ隠ししなくていいよ。やってほしくて仕方が…切れちゃった。

 素直じゃないんだから。」


 男はゲーミングチェアに腰掛け、優しく猫を愛でる。


 「まあ、失敗しないヒトなら誰でもいい。」


 先ほどの軽口とは相反して冷たく呟くと、煙草の火を消してキーボードへ手を伸ばした。



 空には薄く伸びた灰色の雲が一面に広がっている。平日の昼であるにも関わらず、街中には大勢の人で溢れている。

 早乙女は大通から左折した少し路が細く、人気の少ないカラオケボックス店の前で田中を待っていた。

 服装はシンプルに白のワンピースに薄い水色で大きめのトートバッグ。 スマートフォンで時間を確認し、電話帳の”母”と書かれた画面を開いた状態で待機する。

 少しすると、先ほど歩いてきた大通から男が2人路地に入ってくるのが見えた。白のTシャツに水色のハーフパンツは見覚えのある田中で、もう1人の細身の黒スーツは見知らぬ男だ。田中が見知らぬ男の耳元で何かを囁くと、ゆっくりと近づいてくる。

 早乙女はスマートフォンを操作してからロック画面に切り替えて、鞄の中に入れる。


 「はじめまして。あなたが夏さんかな。」


 「こちらこそはじめまして。そうです。早乙女 夏といいます。お会いできて光栄です。お名前を伺ってもよろしいですか。」


 「中に入ってからね。」


 そう言うとスーツの男は田中と共にカラオケボックス店へ足を運ぶ。早乙女も自動ドアが閉まる前に足早に続く。受付で田中が部屋の案内を受けている際、早乙女は店員と周囲の人の目線の動き、会話、振る舞いを観察する。

 受付が終わったようで、一つ上のフロアの一番奥の部屋に案内される。


 「歌いに来ることはあるのかな。」


 見知らぬ男が気にもしていないような口調で早乙女に問いかける。


 「昔は街でお酒を嗜んだ後によく来ていましたが、ここ最近は全く来ていないですね。」


 気まずい空気が流れる中、それとない返答をする。部屋に到着して見知らぬ男が1番奥の長椅子に腰掛け、続いて真ん中にあるテーブルを囲むように見知らぬ男の両脇に早乙女と田中が座る。


 「僕の名前は鴨野 葱斗(かもの ねぎと)。君の仕事っぷりには感心していてね。始めたばかりなのに優秀だ。

 そこで早速だが、もしもっとお金が欲しければ我々と同じ上の立場になって働いてみないか。」



 先日、田中と居酒屋を出た早乙女は、近くにある大きい通りに面した公園のベンチに腰掛けた。道路沿いの電灯以外の光がなく、車が通行していない時の公園は暗くて隣にいる人の顔もよく視認できない。


 「どうしたのかしら。まだ一緒にいたいなんて可愛らしいところもあるのね。」


 早乙女は田中を魅了するように近づいて顔を下から覗き込む。


 「僕と一緒に詐欺をしませんか。」


 田中は早乙女の振る舞いに躊躇いもせず単刀直入に切り出す。


 「…いいわよ。もう人生どうなってしまっても構わないし。」


 早乙女は俯いて少し躊躇いつつも誘いに乗る。



 鴨野からの誘いに返事をしようとしたその時、大きな音が入口から聞こえた。入口のドアへ目線を向けると、恰幅の良い白髪交じりの鯨井が静かにドアを閉めている。


 「誰だこいつは知り合いか。」


 鴨野が怒鳴り声を上げた途端、入口に立つ男は何の前触れもなく拳銃を取り出し、引き金を引く。狭いカラオケボックスの中には乾いた銃声が鳴り響き、火薬の香りが漂う。

 部屋には田中のおびえた声が短く聞こえる。鴨野は困惑し状況をすぐに理解することができなかったが、長椅子の上には白いワンピースが赤く染まって動かなくなった早乙女の姿があった。

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