第2話 種
「結局のところ、人間なんて同じ過ちを繰り返す生き物だと思うの。浮気をする男だってそう。その人を構成するDNAがそうさせてしまうんだから仕方ない。
裏切られるのだってその人だけが悪いわけじゃない。裏切られる人にだって悪い。
あなたはどう思うの。そしてあなたはどういう男なの。教えてくれないかな。」
中肉中背の20代半ばの女は個人経営のこぢんまりとした居酒屋のカウンターでテーブルに右肘を付き、泥酔までは遠からず、呂律の回らない酩酊状態で左隣の席に腰掛けている小柄な男に問いかける。
女の名前は早乙女 雪(さおとめ ゆき)。Uネックの白いTシャツは胸元が緩くなっており、胸元の上部が顔を出している。
追撃をかけるように左手はテーブルの下から男の右太ももへ伸ばし、人差し指を膝と足の付け根を往復させている。
「落ち着いてお水でも飲んでください。飲みすぎです。ビアガーデンから出てきましたが、1人で行っていたんですか。まだ19時ですよ。
僕はどこにでもいるような大学生です。今日はたまたま休みだったので買い物をしていましたが。おねえさんが街中のコンビニ前で急に近づいてきて声をかけてきた時は驚きました。
僕は田中 一郎(たなか いちろう)です。気軽に一郎と呼んでください。
そんなことより、そろそろおねえさんのお名前を教えてもらえますか。」
田中は太ももに伸びている女の手を掴み、ゆっくりとテーブルの上へ置き戻すと、注文していたオレンジジュースを口に運びつつ、早乙女へ返答する。
「色気を抑えるのに必死なのだけれど、あなたになら制御しなくても良さそうね。
わたしは早乙女 夏(さおとめ なつ)。
あなたの名前ありきたりな名前だけど、本当に本名なのかしら。まあ詳しくは詮索しないことにする。突然の誘いに付き合ってもらってるわけだし、高望みはしないわ。気が利いて出来のいい女でしょう。でも本当はそう見せてるだけで、本当は弱い人間なの。
藁にも縋る思いで手を伸ばしたらあなたに縋ることになったということね。
そんなことより、さっき質問したことに答えてもらってないわよ。赤の他人なわけだし、本性を隠す必要はないわよ。」
早乙女はテーブルに置いているレモンサワーが入ったグラスをテーブルに付けたまま円形状に回し、正面を見つめながら聞く。
「早乙女さんがなぜそのような話をされているかわかりませんが、裏切る人が悪いに決まってます。裏切られる人は悪いわけがありません…
正直そう答えたいですが、自分が下した判断がすべての結果を招いているというのも事実です。少なからず、裏切られる側にも原因があると思います。」
「やっぱり一郎君にこの話をしてみてよかったわ。同じ考え方だったみたいね。
今まで人に騙されたり色々なことがあって、この先どうなってもいいって思っていたのよ。もう仕事もやめてしまったことだし。
そこでね、自分自身を俯瞰してみて、どんなことに適性があるのか分析してみたのだけれど、人を騙すことに引け目を感じないし、詐欺師なんて向いてると思うのよね。」
早乙女は変わらず正面を見つめたまま右手で顎を触り、冗談と最後に付け加えて遠い目をしてうっすらと微笑んでいる。
「え…」
田中は不意を突かれ、上半身を後ろに倒し、早乙女の座っている方向へ上体を回転させる。
「少し前のことだけれど、SNSで簡単に稼げるバイトと投稿されている内容があって、仕事を辞めたばかりで興味があったから、投稿主に連絡してみたのよ。簡単に言うと素性も知らない独り暮らしのおばあちゃんを騙して口座に振り込ませるという内容だった。明らかに詐欺だと確信したのだけれど、自分にはできそうな気がして。
実行した結果成功してしまったのよね。
良くない成功体験をしてしまったと思っていたのだけれど、そんな思いとは相反して継続していったら楽に生活ができると思ったのよ。
ごめんなさい、飲みすぎたせいか、少し口が緩んでしまったようね。忘れてくれると嬉しいわ。
あと、名前の件なのだけれど、わたしもあなたと一緒で偽名だから安心してもらって構わないわよ。抜け目ないでしょう。
戯言に付き合ってくれてありがとう。とても楽しかったわ。そろそろお暇しようかしら。」
田中は早乙女が話している間に5杯目のオレンジジュースを注文し、すでに喉を通過していた。
早乙女が席を立ち上がろうとすると田中が早乙女の左手首を強く握りしめて引き留める。
「この後、少しお話したいことがあるのでもう一軒行きませんか。」
早乙女は田中からの誘いに無言のまま笑顔で頷き、掴まれた右手に右手の指を絡める。
早乙女は会計を済ませると、ヒールを履きなれておらず、踵に血が滲んでいるのが田中にばれないように後ろから左腕に右腕を絡ませ、居酒屋を後にする。
居酒屋の若そうな外見にも関わらず白髪交じりの店長は、洗い物をしながら2人の背中を笑顔で見送る。
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