第39話 温泉旅行 その1

 フロントガラスの先に青空が広がる。道の左右には木々が立ち並び、時折鳥のさえずりが聞こえてきた。


 そんな深い緑が生い茂る林道を、黒塗りのSUVが走り抜けて行く。ガタゴトと車が揺れ、レンタカー独特の香りと共に流行りの曲が車内に流れていた。


「快適、快適〜」


 助手席に座る美奈は、緩やかな坂を下る車に身を任せながら、上機嫌で鼻歌を歌っている。


「車借りられて良かったよな」

「圧死とはああいう状況で起こるのだな」

「……狭すぎて痛かったんだけど」

「動けないのはちょっとね……」


 悠斗の呟きに、小鳥遊達はしみじみと頷く。


「はは、先生の軽では定員オーバーでした」


 りっちゃんは頰を引き攣らせながら、申し訳なさそうに笑う。坂を下ると視界が開け、目の前には木造の橋が現れた。


 浪漫街道と銘打たれた看板を横切り、しばらく田園風景を走るとレトロな建物が立ち並ぶ温泉街の入口に到着した。


「うわぁ、おっしゃれー」

「ね?来て良かったでしょ?」


 車一台通れるかどうかの石畳の両側には木造建築が立ち並び、江戸時代に迷い込んだような錯覚に陥る。


「うぅ、こすりそうです」

「りっちゃん、あと500mだって」


 慣れない車両感覚に、ゆっくりとアクセルを踏んでいる。その横で美奈がスマホの画面を見ながら宿を探していた。


「スマートボールってなんだ?」

「さぁ?」


 後部座席に座る悠斗は温泉街の看板に書かれた文字を見て、翔子に問いかけるが、彼女も首を傾げている。

 その他にも年季の入ったお土産や昭和を感じさせる店構えの射的屋が、旅館の両脇に並んでいた。


 やがて、一軒の宿の前で車が止まると『湯本屋』と刻まれた木製の看板が悠斗達を見下ろす。


「ふぅ、着きました」

「りっちゃん、運転お疲れ様〜」


 そう言って美奈は車から降りると、大きく背伸びをする。悠斗達もそれに続くように車から降りた。


「何?この臭い」


 車から降りた瞬間、鼻をつくのは温泉街全体に漂う硫黄の香りだ。悠斗達がその温泉らしい香りに期待感を抱いている中、翔子だけが鼻を摘み、顔を歪ませていた。


「良い香りではないか」


 小鳥遊がノスタルジーを感じる旅館を眺めながら、翔子にそう呟く。


「温泉に来たって感じだよね」

「……これが温泉」


 カレンも温泉街を見渡しながら、初めての温泉に戸惑う翔子に笑顔を向けた。


「あの……駐車場はどこでしょうか?」


 そんな和気藹々な空気の中、車内に取り残されたりっちゃんが、困り顔で窓から顔を出した。


「……ないな」


 木造建築の旅館が立ち並ぶ周囲を見渡すが、車を止める場所はどこにも見当たらない。


「私聞いてくるよ」


 同じく周囲を確認したカレンはそう言うと、旅館の暖簾を潜り、奥に見えるフロントに歩いて行った。


「これは映えるわ」

「うむ……良い構図になりそうだな」


 美奈と小鳥遊は歴史を感じさせる四階建ての旅館を眺めながら、スマホで写真を撮り画面を確認している。


「ここ太正時代からの建物なんだ」

「……へぇ」


 宿名を検索した翔子は珍しく興味を持ったのか、スマホをまじまじと見ている。


「悠斗見て見て凄い!地下に庭園があるんだって」


 翔子が袖を引く。スマホを覗き見ると、純白の砂利が敷かれた枯山水に、小さな池があり、橋がかけられている。


「すげぇな」


 奥には茶室のような建物まであり、画面に収まりきれない幻想的な景色に言葉を失った。


「後で行こ」

「ああ、見に行こうぜ」


 その無邪気な笑顔に悠斗の顔も綻ぶ。そんな中、フロントからカレンが戻ってきた。後ろには和服姿の女性。


「ようこそ、いらっしゃいました。お連れの方は中でお待ち下さい」


 仲居は軽く一礼すると、玄関前に停められた車に向かう。


「駐車場をご案内しますので、助手席失礼致します」

「お願いします」


 仲居が車に乗り、一方通行の石畳をゆっくりと走り去っていく。


「チェックインしたから、中入ろ」

「さすがカレン、しごでき〜」


 美奈はカレンを褒めると、軽やかな足取りで暖簾をくぐる。悠斗達も中に入れば、木目調の綺麗なロビーが広がっていた。


「太正って割には新しい感じだな」

「いやいや、めっちゃ掃除が行き届いてるよ、ここ」


 悠斗の独り言に、美奈が反応する。


「そうね、古いのに古臭くない不思議な感じ」


 天井からぶら下がる照明器具を眺め、カレンも頷く。

 広いロビーの先には地下へ降りる階段が続いており、その右手には二階に続く階段。左手と正面には通路が見えていた。


「なんか探検したくなってくるな」

「柊ってそういうとこ、子供だよね」


 美奈はウロウロする悠斗の後ろを歩きつつ、面白そうに笑う。


「佐々木はどうなんだよ?」

「え?冒険するに決まってんじゃん!」

「……だよな」


 その答えに悠斗も笑みを浮かべた。


「悠斗こっち」

「ゆうちゃん!」


 そんな二人に左手の通路に進んだ翔子とカレンが、手招きをした。


「どうした?」


 悠斗が大人一人通れる程度の幅を進んで行くと、数段高くなった通路で、翔子達が窓の外を見下ろしていた。


「へぇ」


 翔子達の後ろから窓の外に目を向ければ、眼下には複雑な路地が広がっている。


「ここ二階だったんだ」

「うぅ、テンション上がってきたー」

「……撮影ポイントだな」


 感心する悠斗に目を輝かせる美奈。小鳥遊は顎に手を当てながら、それぞれ違う反応を見せている。


「あ、りっちゃん」

「ほんとだ」

「駐車場ってあの奥なのか?」


 狭い路地の先にりっちゃんと先程の女性の姿が見え、こちらに歩いて来ている。そして、しばらくすると地下に続く階段から、姿を現すのだった。


***


 木造四階建の最上階。色鮮やかなステンドグラスの大きな窓が特徴的な階段を登った先に、その部屋はあった。『金鳳花』と掲げられた室内には、美奈の声が響いている。


「めっちゃ広いじゃん〜」

「おぉ」


 踏込で靴を脱ぎ、洋式トイレや洗面所と繋がる前室の先には、畳が敷かれた18畳ほどの主室が広がっていた。

 床の間には掛け軸が飾られ、黒みを帯びた長押からは悠久の歴史を感じられる。庭に面した窓は障子で閉じられ、落ち着きのある雰囲気を演出していた。


「今日からここ住む」

「先生も賛同します」


 テーブルの上に置かれた温泉まんじゅうを頬張りながら、お茶をすする翔子とりっちゃん。


「ふむ、この構図か……」


 小さな机と椅子が置かれた広縁では、小鳥遊が顎に手を当てながら、景色を眺めていた。


「こっちは何の部屋だ?」


 悠斗はそんな彼らを横目に、襖で仕切られた奥の間を見る。


「寝室が二つあるよ」

「へぇ、ほんと広いんだな」

「ふふ、一番良い部屋が空いてたの」


 カレンは嬉しそうに微笑むと、翔子の隣に座り温泉まんじゅうに手を伸ばした。


「あ、美味しいね」

「これもっと食べたい」

「どこで売ってるか聞きに行こ」

「うん」

「先生もお土産に欲しいです」


 そんなやり取りを微笑ましく思いながら、悠斗は窓から外を眺める。


「ねぇねぇ?まだ4時だし、探索行っちゃう!?夕飯7時からだったよね?」


 テーブルで寛ぐ3人に、美奈が元気よく声をかける。


「あ、地下の庭園見たい」

「翔ちゃん、夕食はそこらしいから後の楽しみにとっておこ」


 翔子の提案にカレンは優しく微笑む。


「先生は温泉に入りたいですね」

「確かに!せっかく来たのに入らないとかないよね」


 りっちゃんの言葉に、美奈は思い出したように声を上げた。


「じゃあ、貸切露天風呂はどう?さっき仲居さんに聞いたら、今日はまだ空いてるって言ってたよ」

「貸切が良い。アヒルさん浮かべたい」


 カレンの提案に翔子はリュックから、黄色いアヒルのおもちゃを取り出す。


「よし!女子は温泉に決定!悠斗達はどうする?」

「俺は貸切じゃなくても良いかな」

「では、僕達は大浴場へ行こう。ゆっくりアニメの話でもしようではないか」

「……少しだけな」

「遠慮しなくてもいいぞ!存分に語り合おうではないか。はっはっはっ」


 小鳥遊は悠斗の背中を叩くと、高笑いを上げながら、部屋を後にした。


「……はは」


 そんな彼のテンションの高さに苦笑いしながら、悠斗も大浴場に向かうのだった。

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