第38話 翌日

 夏の日差しがカーテンの隙間から、リビングを照らす。室内にはカタカタとパソコンのキーボードを打つ音が響いていた。


「……んん」


 ソファで眠っていた悠斗が目を覚ますと、ノートパソコンを膝に乗せたカレンが床に座りながら、こちらを見ている。


「ふふ、おはよう」

「……おはよ」


 ソファから身体を起こすと、大きく伸びをする。カレンはそんな悠斗に優しく微笑むと、また画面に視線を戻した。


……何してるんだ?


 悠斗は後ろからパソコンを覗き込む。そこには、表計算ソフトが映し出されている。


「……数字がいっぱいだな」

「うん、ポジションの確認してたの」

「ポジション?」

「あ〜、お仕事って事だよ」


 カレンが言葉を補足するが、悠斗の理解は追いついていない。芸能の仕事は辞めたはずなので、更に疑問が浮かんでくる。


「ゆうちゃん為替ってわかる?」

「……わからん」

「ん〜、日本円と外国通貨……例えばドルね?100円で1ドル買って、101円になった時に売れば1円得するでしょ?」


 カレンはパソコンを操作しながら、わかりやすい言葉を並べてくれる。


「それを例えば1億だったら、100万円得するの。逆なら損するけどね」

「なるほどな」

「それ以外にも通貨毎に金利差があってね?日本円より高金利の通貨なら、そっちの方がお得なんだよ」


 画面を操作して悠斗に見せる。そこには、様々な通貨の金利が表示されていた。


「じゃあ、金利が高いやつ買えば良いんだな」

「ふふ、そういうのは安定性がないから、金利分が為替レートの変動で吹き飛んじゃうかもね?」

「……難しそうだな」


ピンポーン!


 苦笑いを浮かべる悠斗の背後で、インターホンが鳴り響く。


「……通販は頼んでないはずなんだけど」


 昨日も同じよう事があったな思いながら、玄関前のモニターを見る。


……そこには、誰の姿も映ってはいなかった。


「ゆうちゃん?」

「悪戯かな?」


ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!


 だが、急かすようにインターホンが連続で鳴らされた。再度モニターを確認した悠斗だったが、やはり人の姿はない……と思ったら小さな手のひらが、ぴょこぴょこと跳ねている。


「柊君、先生ですよー」

「りっちゃん?」


 モニター越しに耳慣れた声が聞こえる。


「家庭訪問……なわけないよなぁ」


 リビングから玄関に向かい扉を開けると、


「やあやあ柊君、おはいおしゅう~!」


 元気いっぱいの美奈が両手をぶんぶんと振りながら立っていた。その後ろには、苦笑いを浮かべるりっちゃんの姿。美奈とは対照的に申し訳なさそうな顔をしている。


「久しぶりだな、柊」

「おはよう、悠斗」


 更には小鳥遊と翔子まで揃っていた。


「おまえら……」

「いや〜これが柊君の城ですかぁ」


 美奈は強引に玄関に入るとキョロキョロと辺りを見渡しながら、感嘆の声をあげた。


「アメちゃん、いた」


 翔子は棚に置かれたアメーバ人形を愛でるように撫でている。


「推しの出迎えポスターは貼らないのか?」


 小鳥遊はそんな二人を気にも止めず、壁を見ていた。


「りっちゃん、どういう事だ?」

「せ、先生は悪くないですぅ」

「みなっちの誘導尋問に引っかかってた」

「うぐ」


 翔子の言葉にりっちゃんはガックリと肩を落とす。


「いやぁ、こばととゲーセン行ったら二人がいてねぇ……ん?」


 玄関に置かれたカレンの靴に気が付くと、悠斗をじーっと見つめた。


「誰かいるの?あっ、まさか彼女……なわけないよねぇ」


 悪戯な笑みを浮かべると、リビングに視線を移す。


「みーちゃん」


 カレンが珍しく気まずそうな表情を浮かべて立っていた。


「さっき遊びに来たの」

「あ、ああ。まさかすぐに美奈達も来るとはな」


 美奈は悠斗とカレンを交互に見つめる。そして、ポンッと手を叩いた。


……なに納得してんだ?


 まるで隠し事がバレたような空気に、悠斗の胸がざわつく。


「……」


 翔子は複雑な表情を浮かべ、カレンを黙って見ていた。


「とりあえず上がれよ、狭いだろ」


 悠斗はこれ以上追求されないように、美奈達をリビングに通す。


「ジュース頂戴」


 翔子は真っ先にソファに座ると、催促の声を上げた。


……図々しいやつだな


「コップ1つしかないから、ペッドボトルで良いか?」

「うん」


 冷蔵庫を開け、3つ取り出すとテーブルの上に置いた。人数分とはいかないが、突然来るこいつらが悪いのだ。


「僕は遠慮しておこう」

「せ、先生も大人なので……」

「りっちゃん、ウチの分飲んでいいよ」

「やったぁ!」


 遠慮する小鳥遊と、ちゃっかりドリンクを確保するりっちゃん。


……本当に図々しいやつらだな


 悠斗はそんな感想を抱きつつ、床に座った。


「カレンは何時に来たの?」

「11時くらいだよ」


 美奈の問いにカレンが即答する。


「……あら、来たばかりなんだね」

「うん、涼しい場所で仕事したくて、ゆうちゃんの家借りちゃった」

「……」


 流れるように紡がれる嘘に、悠斗は言葉を詰まらせた。


「……へぇ」


 美奈はそんなカレンを怪しむように目を細めると、寝室に足を運んだ。


「そっちはベッドしかないぞ」

「……まだ暖かい」


 ベッドに手を置くと呟く。


「……柊って起きたばっか?」


 そして、寝室から戻ってきた美奈は、なぜかカレンに問いかけた。


「ん〜」


 カレンはその問いに視線を逸らす。


「そうみたいだよ?」


 そして、一呼吸置いて答えた。


「なるほどね」

「探偵ごっこですか?」


 納得する美奈にりっちゃんが目を輝かせた。美奈は目をスッと細めると、


「ええ、謎は全て解けた!」


 そう言ってカレンにビシッと指を指す。


「お〜」


 りっちゃんはそんな姿に拍手を送る。


「ねぇ、ポテチ食べて良い?」

「好きにしてくれ」


 マイペースな翔子はポテチの袋を開けるとテレビをつける。


「ネトフルがあるではないか。桜井、アニメにしてくれ」

「良いよ、どれにする?」


 いつもの美奈に慣れている二人は、特に反応する事もなく話を進めている。


「ちょっと!ウチらが何しに来たか忘れてない?」


 置いてきぼりを食らった美奈が堪らず声を上げた。


「何しに来たんだよ……」


 悠斗は彼女にジト目を向ける。


「柊君、社員旅行というものを知っているかい?」

「まあ」

「りっちゃんが車を出してくれるそうなのでな。山奥のコテージにでも泊まりに行こうではないか」


 そう説明を終えると、ドヤ顔で胸を張った。


「コテージねぇ」

「予算の問題でな。貸切コテージにバーベキューがベストなのだよ」

「お金なら私が出すから、温泉旅館にしない?」


 美奈の提案に、カレンが待ったをかける。


「え、それは悪いよ」

「大丈夫だよ、私いっぱい稼いでるから」

「俺も出すよ、コテージより温泉の方が良いだろ?」


 カレンだけに負担させる訳にはいかないだろう。悠斗の財布は厚いのだ。


「……悠斗の奢りならどこでも良い」

「僕も少しなら出せるぞ」


 アニメを見ながら翔子と小鳥遊が手を上げる。


「うぅ……薄給の公務員ですみません」


 りっちゃんはポテチを頬張りながら、半泣きになっていた。


「みんなと旅行……なんかやっと学生らしい事が出来そう」


 カレンはそう呟くと、スマホを手に取った。


「宿は決めちゃって良い?行きたかった所があるの」

「遠いのか?」

「1時間くらいかな?太正浪漫って感じの温泉街でね、モデルの仕事で候補になったけど他に決まっちゃって」


 カレンはスマホを操作すると、温泉街の写真を見せる。


「へぇ、雰囲気良いな」

「佐々木、チャンスだな」

「……そうね」


 小鳥遊と美奈はアイコンタクトを取ると、笑みを浮かべた。


「先生はお酒が飲めればどこでも良いです!」

「りっちゃん、ウチらと離れて飲んでよね?」

「……温泉、初めて」


 はしゃぐりっちゃんにツッコむ美奈。その横では翔子が珍しく心を弾ませている。


「じゃあ、ダッシュで家帰って支度したら集合ね!」

「先生が車で送りますよ」

「よし!それで行こ〜!」


 こうして美奈の掛け声を合図に突然の温泉旅行が決まったのであった。


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