第37話 カレンと…後編

 夜の帳が下りた午後21時。タクシーのテールランプが住宅地の暗闇を流れて行く。その車内には悠斗とカレンの姿があった。

 ショッピングモールでカレンの買い物に付き合った悠斗は、有名ブランドのマークが印字された紙袋を膝の上に乗せている。


「あっという間に夜だな」

「ステーキ美味しかったね」


 モールを出た二人はカレンの案内で、高級なレストランに立ち寄ったのだ。支払いをスマートに済ませる姿を見て、芸能人として歩んだ彼女に、自分との差を感じてしまった。


……年下なんだよなぁ


「ゆうちゃん?」

「あ、ああ、ヒレだっけ?柔らかくて美味しかったな」


 頬を掻きながら、呼びかけに答える。


「また行こうね」

「次は俺が払うからさ」

「ダメだよ、ゆうちゃんは学生なんだから」


 諭すように、人差し指を立てて首を振る。


……金はあるんだけどな


 だが、それを言うのは何か違う気がした。悠斗の財産は自分の力で稼いだわけではないのだ。


「私はいっぱい働いてお給料貰ってるからね」


 カレンはそう言うと、嬉しそうに微笑む。


「なんかヒモみたいだな……ははは」

「うん!私がゆうちゃんを養ってあげる!」


 冗談交じりに言った言葉だが真面目に返された。その目は真剣で、それが本気なのが伝わってくる。


「仕事やめたんだろ?無理すんなよ」

「へへ、大丈夫だよ」

「ほんとなんで辞めたんだよ」


——悠斗を見つけたから辞めた


 そんな言葉を信じてはいなかった。あの時、カレンは考えるように視線を逸らしたのだ。

 テレビで嘘を吐く人は、右上を見ると言っていた気がする。


「理由言ったのに、信じてないの?」

「あんな取ってつけたような理由、誰が信じるんだよ」

「むぅ」


 そう答えると、カレンは頬を膨らませて視線を外した。


「……じゃあ、本当の理由を教えてあげる」

「やっぱあるじゃねぇか」


 こちらに向き直り、悠斗の目を真っ直ぐ見つめる。


「聞きたい?」

「もったいぶるなよ」


 カレンの催促に肩を竦めた。車窓の外を流れゆく街灯の残照が彼女の顔を照らす。その美しさに目を奪われていた。


……やっぱ、美人だよな。


「お金。もう働かなくても良いくらい貯まったから辞めるの」


 視線を逸らす事なく即答するカレン。その簡潔な答えに悠斗の頬が緩む。


「夢が叶ったってそういう事かよ」

「夢?あれは嘘じゃないよ」

「……なら、良かったな」

「うん、夢が叶って今は幸せなの」


 嬉しそうに微笑むカレンに、現金なヤツだなと思う悠斗。


「事務所とかファンは大変なんじゃないか?」

「私の代わりなんて、いっぱい出てくるよ。そういう世界なの」


 カレンはそう言うと、車窓の外を流れる街灯に目を向ける。


「それにもうゆうちゃんに言ったからね」

「ん?」


 悠斗が首を傾げた時だった。タクシーが見覚えのあるマンションの前で停車する。


「お客さん、ここで良いかい?」

「はい、ありがとうございます」


 カレンがメーターを確認して運転手に代金を支払う。悠斗達が降りると二人を乗せたタクシーは走り去った。


「なぁ、カレンの家って近いのか?」

「ううん、遠いよ?」

「…え?」


 困惑する悠斗にカレンは悪戯な笑みを見せる。


「今日はゆうちゃんの家に泊まるからね」


…え?


 その言葉の意味を理解するのに、数十秒の時間が必要だった。


***


「お邪魔しまーす」

「ちょっとそこで待ってろよ」


 数分間の押し問答の末、最後は泣き喚かれるという手段に折れた悠斗は、カレンを玄関に上がらせるとリビングに進む。


「あいつ近所の目を利用しやがって……」


 リビングに入った悠斗は悪態をつきながら、寝室を見渡した。


「……今日はいないか」

「うわぁ、シンプルな部屋だね」


 背後からの声に振り返ると、玄関で待たせているはずのカレンが、リビングの入口に立っている。


「おまっ」


 驚きと抗議の声を上げるが、意に介した様子もなく、カレンはソファに座る。


「えっちな本があっても大丈夫だよ?男の子だもんね」

「いや、そうゆうのじゃねぇから」


 慌てて否定する姿にカレンはおかしそうに笑う。


「ゆうちゃんってミニマリスト?」

「ミニ?なんだ?」

「必要最低限の物しか持たない人の事だよ」


 聞き慣れない言葉に悠斗が首を傾げると、彼女は簡素な家具を指差ながら答えた。


「あ〜色々あってこっち来たから、買う気が起こらなくてな。これでもソファとか増えた方なんだぜ?」

「……そう」


 カレンは何か思案するように、天井を見つめる。


「ゆうちゃん、家出したの?」

「はは、まあ、そんな感じ」

「お金は……大丈夫そうだね」


 寝室に置かれたダブルベッドを確認すると、そう呟いた。悠斗はそんな姿を横目に冷蔵庫からジュースを取り出しコップに注ぐ。


「ほらよ」

「ありがとう」


 コップをカレンに手渡すと、隣に腰を下ろした。


「……静かな部屋だね」

「物がないせいかな。テレビつけるか?」

「ううん」


 首を横に振り、悠斗に寄り掛かる。肩と肩が触れ合い、甘い香りが鼻腔をくすぐる。


「前の家が嫌でさ。自由になれるチャンスがあったから、よく考えずに飛び出して来たんだよ」

「……うん」

「そしたら一人って辛いんだな」


 あれ程抜け出したかった環境だが、誰かが家にいた。その生活が気づかないうちに当たり前になっていたのだ。


「今は一人じゃないよ」


 カレンはそんな告白に、そっと手を重ねる。その温かさが悠斗の心を落ち着かせてくれた。


「もう慣れたから大丈夫だ。学校に友達も出来たからな」

「でも、家だと一人でしょ?」

「ああ、それは……」


 そういう孤独な夜には彼女が現れる。だが、それを口に出すのははばかられた。

 それを言葉にしてしまったら、カレンは更に心配するだろう。悠斗が言葉を濁すと、彼女は言葉の先をじっと待っていた。


「ほら、羅神とかオンラインゲームがあるだろ?」

「もう、ゆうちゃんほんとゲーム好きよね」


 カレンはその言葉に苦笑する。


「だから、最近は大丈夫なんだよ」


 そう言うと彼女は納得したのか、ゆっくりと立ち上がった。


「ねぇ?シャワー借りて良い?」

「ああ、玄関の手前な」


 本当に泊まる気かよ、と溜息を吐く。


「……一緒に入る?」

「ばっ馬鹿言ってんじゃねーよ!」


 悠斗は顔を真っ赤にして否定する。カレンの裸が脳裏に浮かぶが、その妄想を振り払うように頭を振った。


「冗談よ?私そんな軽い子じゃないからね?」

「……説得力がまったくねぇよ」

「ゆうちゃんは特別なの」


 幼い子供のような笑みを見せ、カレンは浴室に向かう。


……ったく。


 悠斗はその後ろ姿に悪態をついた。やがて、2枚の扉越しに鼻歌とシャワーの音が聞こえてくる。


「何考えてるんだよ、あいつ……」


 スマホをいじりながら、必死で平常心を保とうとする悠斗。聞こえるはずのない秒針を刻む音がリビングに響く。

 それはチクタク、チクタクと心臓の鼓動と共鳴した。


ガチャ


 やがて、浴室のドアが開く音が扉越しから聞こえると、ドライヤーの音が耳に届いた。


「さっぱりしたー。ありがとう」


 髪を乾かし終えたカレンが、リビングに入ってくる。青い髪はまだ水気を帯び、買ったばかりの水玉模様のパジャマからは鎖骨が顔を覗かせていた。


「泊まる気でそれ買っただろ?」

「えへへ、バレた?」


 カレンは悪戯な笑みを浮かべると、ソファに腰掛けた。嗅ぎ慣れたシャンプーの香りに悠斗の鼓動が早くなる。


……何緊張してんだ、俺。


「昔、ゆうちゃんの家に泊まった時以来だね」


 カレンは懐かしむように目を細める。


「よく覚えてるな?」

「ゆうちゃんが忘れすぎなの」


 カレンは頬を膨らませる。


「……また一緒に寝る?」

「か、からかうなよ!」


 また雑念を払うように首を振ると、彼女はクスクスと笑った。


「俺はソファで寝るから、そっち使えよ」

「えっちな事しないなら、一緒に寝て良いよ?」

「うるせー!」


 寝室に向かうカレンにソファの枕を投げつけると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。


「ゆうちゃんの匂い……懐かしいなぁ」


 悠斗のベッドに入ったカレンは、枕を抱きしめてそう呟く。


「……」

「ゆうちゃん」

「なんだ?」


 真っ暗な寝室から聞こえるカレンの声。


「ゆうちゃんがいなくなってからね。私またいじめられそうになってね」

「……」


 それを聞きながら、黙って次の言葉を待っていた。


「ゆうちゃんいなくて、寂しかったよ」

「……またいじめられたのか?」

「ううん、みーちゃんが助けてくれたの」

「美奈か……」


 それで二人は仲が良かったんだと納得する。


「でも、寂しかったよ……はは、こんな事言われても困るよね」

「……そうだな」


 引っ越した原因が悠斗にある訳ではないのだ。


「……私……頑張ったからね」


 寝付きが良いのか、一日中歩いた疲れか。その声は次第に小さくなっていく。

 そんなカレンに、何も言う事が出来なかった。


「モデルになって……アイドルに……なって……ゆうちゃんに……」


 次第に眠りに堕ちてゆく声。やがて、静かな寝息が聞こえてきた。


「……俺も寝るか」


 リビングの電気を消すと、ソファでゆっくりと目を閉じるのだった。


 

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