第35話 夏祭り 後編

 白いリングが宙を舞う。その先には筒状のお菓子が待ち構えるが、無情にも輪っかの先端は外枠に弾かれ、そのまま下に敷かれたブルーシートに落下してしまった。


「むずくねぇ?」


 地面に張られた赤いテープ。それより手前で投げるこの夏の風物詩は、悠斗の想像を遥かに超える難易度だった。


「それ食べたいから頑張って」


 たこ焼きを頬張りながら翔子がエールを送る。その隣では、りっちゃんがビールをちびちびと飲んでいた。


「手前の飴じゃダメか?」


 なにせ難易度が違うのだ。翔子が指定するのは最奥にあるアメリカ製のポテチチップス。

 特徴的な顔の絵が描かれた長い筒状の箱は緑に染められ、ラスボスの風格が漂っている。


「ダメ」

「へいへい」


 既に3回失敗していて残りの輪は2つ。悠斗は目標に狙いを定めると、引いた右手に持つ輪っかを添えるように投げ込んだ。

 だが投げた瞬間、力が入ったのか軌道は逸れ、ポテチの箱を掠めるように落ちてしまう。


「だー!また外れた!」

「柊君、下手っぴですね」


 りっちゃんはそんな悠斗をクスクスと笑った。


「先生に任せて下さい」


 ビールを一気に飲み干すと、空になった缶を屋台の親父に手渡す。


「……今年も来たな。妖怪祭り荒らしめ」


 屋台の親父は不敵な笑みを浮かべる。それを見たりっちゃんも含みのある笑みを返した。


……妖怪祭り荒らし?


 聞きなれない単語に悠斗は首を傾げた。


「先生、知り合い?」

「まあ、長い付き合いですね」

「妖怪ってなんだよ?」

「ふっ」


 悠斗達の会話に、親父が笑みを漏らす。そして、座っていたビールケースから立ち上がると、りっちゃんを見下ろした。


「新参は外見に騙されてサービスするが、こいつはこの道何十年の……」

「それ以上は言わないで下さい」


 親父の言葉を遮るように、りっちゃんは右手を突き出す。


「勝負は一球です」

「……いいだろう」


 悠斗から輪っかを受け取ると、りっちゃんは赤線の手前に右足を出し、居合のような構えを取る。そして、そのまま流れるように投げ込んだ。


……カコン


 緑の筒を包むようにリングが滑り落ちる。投げた輪っかは見事に命中していた。


「くそー!持ってけ!泥棒!」


 親父は悔しさを滲ませながら、筒状のポテチを手渡した。


「ふふ、今年も頂きます」


 りっちゃんは子供っぽい笑顔を向けると、お菓子を翔子に渡す。


「りっちゃん、ありがとう」

「どういたしましてです」

「先生、すげぇんだな」

「ふふ、もっと褒めてくれてもいいですよ?」


 りっちゃんは得意げに胸を張る。……が、その小さな体型のせいで、あやされている子供にしか見えない。


「さあ、次行きましょう!」


 そう言うと、意気揚々と歩き出した。


「なんかりっちゃんが一番楽しんでないか?」

「いいんじゃない?」


 悠斗と翔子はそんな後ろ姿を微笑ましく見つめる。空を見上げれば、高く登った月が雲にその形を歪められている。

 提灯と屋台の明かりだけが、周囲を照らしていた。


「へいへい、そこの君、クジやってかなーい?一等はスイッチだぜー?」


 ふと、活気の良い声が聞こえ悠斗がそちらに目を向けると、少し離れた場所で桃色髪の少女が道行く人に手を振っていた。

 提灯の明かりに照らされた笑顔は、不思議な魅力を醸し出している。


「みなっちバイト?」

「そっ、時給良いんだぜ」


 美奈は駆け寄る翔子に親指を立てて応える。浴衣姿の美奈は新鮮で、少し大人びて見えた。


「よっ」

「おっ、柊も一緒なんだ。ははーん、翔ちゃんの珍しい格好は……そういう事ね」


 美奈は意味深な笑みを浮かべながら悠斗に近づくと、内緒話でもするように手の甲で口元を隠す。


「旦那も隅に置けませんなぁ」

「……ほっとけよ」


 美奈はからかうように肘で悠斗の胸を小突く。


「先生もいますよ!」

「りっちゃん、まいど!」

「今度こそリベンジするのです!」


 りっちゃんはそう言うと、美奈をビシッと指差す。


「また生徒にたかる気?あたしは良いけどさぁ」

「う、うぐ!……柊君?」


 救いを求めるように悠斗を見る。


…先生がこれで良いのか?


「みなっち、クジ3人分。悠斗の奢りで」

「……別に良いけどさ」

「桜井さん、ありがとう!」


 りっちゃんは嬉しそうな声を上げると、美奈が差し出した箱に手を入れた。それに翔子と悠斗が続く。

 クジは折り畳まれた赤い紙になっていて、中に何等か書かれているようだ。


「今度こそ当たる気がします!」

「りっちゃん、それ死亡フラグだから」

「あ、俺は8等だ」


 悠斗が等級の書かれた景品棚を見れば、小さな水鉄砲。


……い、いらねぇ


「光るブレスレット……」


 翔子は美奈から貰った景品を腕にはめ、嬉しそうに呟いた。


ピーピー


「なんで先生はこんなのばかりなんですかぁ」


 りっちゃんはピロピロと呼ばれる吹き戻しを口に咥えながら、涙目で嘆いていた。笛のような音と共に伸びるカラフルな紙。


「……はは」

「ハハッ、先生、まいどー」


「むぅ」と声を漏らす度に伸びては巻き戻る様子は実にシュールだ。


「……みなっち、これ当たり入ってるの?」

「……うちはバイトだから、しーらない」


 美奈は引きつった笑顔で、棒読みの台詞を口にする。


「詐欺で捕まるなよ……」

「柊君、私は何も知らないバイトなの。時給2000円だぜ!?怪しくてもやるよね?ね?」


 美奈はそう言いながら悠斗の服を揺すった。


「……同意を求めるな」


 呆れた顔で悠斗が顔を背けた時だった。


ドーンッ!


 突然、大きな爆発音と共に夜空に花火が打ち上がった。赤、緑、青と色を変えながら、花を咲かせている。


「花火だ」


 その美しさに悠斗が言葉を漏らすと、三人も夜空を見上げる。


「百段階段の上なら、もっと綺麗に見えますよ」

「……へぇ」


 ベテランのりっちゃんが言うなら間違いないだろう。


「先生は疲れるので行きませんが」

「あたしもバイトだしなぁ」


 二人は、打ち上がる花火に視線を向けながら呟いた。悠斗は翔子を見る。その横顔は花火の光で照らし出されていた。


「せっかくだし行くか?」

「そうだね」


 翔子は嬉しそうに頷く。


「いってらっしゃーい」


 りっちゃん達に見送られ、しばらく参道を歩くと百段階段に辿り着いた。苔むした石の間から生える草が目立ち、遥昔の歴史を感じさせてくれている。


「凄い急斜面」


 翔子は一段目に足をかけると、絶壁と錯覚するような石階段を見上げる。


「……だな」


 二度目になる悠斗もそれには苦笑いで返すしかない。だが、打ち上がる花火の音が、そんな二人から疲労を拭い去っていった。夏の生暖かい風が頬を撫でる。


「サンダル歩きにくい……」

「いつもスニーカーだもんな」


 慣れない靴に苦戦する翔子。百段階段には等間隔に提灯が提げられている。

 その淡い灯りに導かられるように、登り切った二人を待っていたのは、視界一杯に広がる光の乱舞だった。

 それは、まるで夜空をキャンパスにしたように描かれ、儚く消えてゆく。


「綺麗だね」

「あぁ」


 珍しく素直な翔子に同意する。


「来て良かったかも」

「だな」


 夜空を見上げる翔子の横顔を、悠斗は盗み見ていた。


「……何?」

「あ、いや……」


 その視線に気づいた翔子が、訝しげな視線を返す。


「百段階段を登ると願い事が叶うらしいぜ?」


 悠斗は咄嗟に目に入った階段を指差した。


「ふーん」

「翔なら何を願うんだ?」


 翔子は人差し指を顎に当てながら考える。


「……変わらない事かな」

「変わらない?」

「うん。今が楽しいから」


 彼女はそう言うと、また夜空を見上げた。その言葉が悠斗の耳に残り、しばしの間余韻を残す。


……俺も同じかもな。


「来年もまた来れたら良いね」

「……そうだな」


 悠斗の答えに翔子は満足そうに頷く。


——ゆうちゃん


 そんな二人を浮かない顔をして見つめるカレンの姿が、打ち上がる花火に照らされていた。


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