第32話 お盆前

 お盆まであと数日。悠斗は特に何処に行くでもなく、今日も自宅でくつろいでいた。

 もう何本目かも忘れた映画のエンドロールが流れている。


「ん〜」


 ソファから立ち上がると、両手を上げて背伸びをした。それを見たあいりも真似するように両手を上げる。


「腹減ったな……飯でも食うか」


 時刻は12時半。冷蔵庫に何が入っていたか思い出しながら、扉をあける。


「……なんもねぇ」


 だが、期待を裏切り中身は空だった。溜息を吐きながら、箱買いしたカップラーメンのダンボールを確認する。


「……買いに行くしかねぇか」


 頭をポリポリと掻きながら、何日振りかの外着に袖を通す。


「ゆうちゃん、おでかけ?」

「ああ、スーパー行ってくるわ」

「じゃあ、あいりこれ観たい」


 テレビに映るネトフルの映画一覧に指を向けた。


「はいよ」


 悠斗はリモコンを操作すると、あいりを残し家を後にするのだった。


***


 蝉の声が鳴り響く中、近所のスーパーに辿り着く。カゴを片手に店内をぐるりと回ると、真っ先にカップラーメンの陳列棚に向かった。


「とりあえず3つあれば良いか」


 冷凍食品やカップラーメンは来る途中に歩きながら通販で箱買いした。それらが届くまでの繋ぎとして、カップ麺をカゴに入れていく。

 そして、最後にお菓子売り場で足を止めた。


「ポテチ、ポテチと……ん?」


 陳列された棚を物色していると、見覚えのある特徴的な髪色が目に入る。そいつは桃色の髪を左右に揺らしながら、和菓子コーナーの商品を手に取っていた。


「あれ?佐々木じゃん」

「あっ、柊」


 悠斗が声をかけると、美奈もこちらに気づいたようだ。


「なにしてるの?」

「食うもの無いから、昼飯買いにな」

「相変わらず引きこもりしてんだね」

「はは……ネトフルで映画三昧なんだよな」

「あ、そう」


 美奈は素気なく返すと、手に持っていた商品をカゴに入れる。それは小さな羊羹だった。


「和菓子って渋いな……」


 もっと今時の女子らしい洋菓子が好きそうなのにと呟く。


「うん?ああ、違うよ。お墓参り用のお菓子」


……お墓参り?


 美奈が発した言葉に、少し違和感を持つ。それは悠斗自身が墓参りには行った事がないからであるが。


「へぇ、意外だな」

「柊はそういうのしなさそうだもんね」


 美奈は呆れたように冗談めかして笑う。


「まあな」

「じゃあ、ちょっと手伝ってよ」

「手伝う?」

「お墓の掃除。暇でしょ?」


 美奈はそう言うと、有無を言わさぬように満面の笑みを浮かべる。


「いや、暇だけど……腹減ってるんだよなぁ」

「おにぎり買ってあげるからさ。お盆は亡くなった人の魂が帰ってくるんだから、ちゃんと迎えてあげないとね」

「……あ、ああ」


 俺には関係ないだろと思う悠斗であったが、美奈の勢いに頷いてしまった。そして、レジで会計を済ませると約束通りおにぎりを手渡される。


「佐々木って魂とかそういうの信じてるんだな」


 美奈がカゴから袋に移す線香や、マッチを手に取る様子を見て呟く。普段はメチャクチャな彼女だが、こういう部分はまともなんだと感心していた。


「ん〜信じてるっていうか、そうだったらなって感じかな」

「へぇ」


 そして、二人でスーパーを出ると少し離れた山沿いにある墓地へと足を運ぶのだった。


***


 スーパーから車道を挟んで広がる住宅街。車通りも少ない道路脇を二人で歩く。暑さが多少マシに感じるのは、山から流れてくる風のせいだろうか。

 そして、見えてきた墓地の区画。


「水汲みは任せた!柊」


 美奈は置いてあるバケツを手渡すと、水汲み場を素通りする。


「へいへい」


 カップ麺の入ったビニール袋を置き、蛇口の前にしゃがむ。悠斗は水を出しながら、階段を登る美奈を目で追った。彼女は中段の真ん中にある墓石の前で立ち止まっている。

 満杯になったバケツを片手に階段を登る悠斗。


「はい、これで磨いてね」

「……へいへい」


 既に諦めている悠斗は手渡されたスポンジを水に浸けると墓石を磨き始める。美奈はそんな姿を満足気そうに確認すると、傍に生えた雑草を抜き始めた。


 それから沈黙の時間が過ぎていく。水気を含んだスポンジが墓石を這う音が響き、蝉の声と混ざり合って夏を感じる。


「終わったぞ」

「おっけー」


 美奈が一仕事を終えた悠斗に労いの言葉をかける。そして、線香に火を灯すと手を合わせて目を閉じた。

 その横顔はいつものふざけた感じではなく、どこか大人びて見える。


「柊もお線香あげてってよ」


 しばしの沈黙の後、美奈が口を開いた。


「え?やった事ないぞ?」

「いいから、ほら」


 悠斗は言われるままに、マッチで線香に火をつける。そして、彼女の横に屈み香炉に線香を立てた。

 見様見真似で手を合わせる。


……何してんだろ。


 美奈のご先祖様に祈る事など思いつかない。


……そういえば墓石の文字、なんで佐々木家じゃないんだ?


 墓石には『倶會一處』という文字が刻まれている。ふと、そんな疑問が頭に浮かんだ。


「なあ、これなんて読むんだ?」


 目を開けて立ち上がると、美奈に尋ねた。


「ああ、それね……」


 悠斗の声に反応した美奈が振り返る。その表情はどこか寂しげに映った。


「……くえいっしょ」

「くえ?」


 馴染みない言葉に悠斗は首を傾げる。


「あの世でまた会おうぜ、バカヤロー……って意味だって」


 そう呟いた表情はとても儚く見える。力無いバカヤローという声は、どこか悲しげにも聞こえた。


……大切な家族が眠っているのだろう。


 悠斗には体験した事のない感情が、その一言から感じ取れた。線香の煙が、空高く舞い上がっていく。


「いや、バカヤローはないだろ」

「……そうかもね」


 苦笑いを浮かべるが、美奈は優しく微笑む。今まで見せた事のない表情だ。


「……俺、帰るな」

「うん、ありがとう」


 居づらくなった悠斗は、足早に墓地を後にする。


……あんな顔もするんだな


 美奈のそんな表情を見たのは初めてだった。


***


 悠斗が立ち去ってから、数分が経っただろうか。美奈は墓石の前で屈み、石に刻まれている文字を見上げる。


「ねぇ、あいつ帰って来たよ」


 誰かに語りかけるように囁く。


「なんか全部忘れてたけどさ。花蓮があいつだって気づいたの」


 そして、羊羹を取り出すとそのまま墓石の前に供えた。辺りを心地よい風が吹き抜ける。


「あたしは悠斗の事、あんま覚えてないけど、あんた病室で言ってたもんね」


 昔を懐かしむかのように目を細めながら、墓石に向かって言葉をかける。


「……花蓮がね、あいつの事好きだったみたい。でも、応援できないって言っちゃった……馬鹿だよね?もういないのにさ」


 美奈は下を向き、自虐的に笑う。その瞳には涙が浮かんでいた。


「あんた約束してたから、連れてきたよ、あいつ……」


 そう言うと立ち上がり、墓石に背を向けて歩き出した。


「……もうすぐお盆だよ」


——また逢えるといいね、あいり


 美奈は心の中で、そう呟くのだった。


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