第25話 如月花蓮
放課後。一台の高級車が校門の前に停車すると、花蓮は後部座席に乗り込む。
「お疲れ様」
「お疲れ様です」
運転席にはいつもの女マネージャー。花蓮は愛想笑いさえ浮かべる事なく、スマホに視線を移した。
「記事の反響良さそうですよ。社長もこれならセンターはカレンでいけると仰ってました」
「そうですか」
花蓮は興味なさそうに返事をした。それはマネージャーが良く知る如月カレンだ。無駄に笑う事もなく物静かで、口を開いても端的に要点だけ伝える。
だが、仕事になれば自然な笑顔を見せ、ファンの心を鷲掴みにする。芸能界で珍しい事ではない。
「ふふ、ゆうちゃんのラインゲット♪」
そんな彼女がスマホを眺めながら、薄っすらと笑みを浮かべる。バックミラー越しに映るマネージャーの知らないカレン。
だが、野暮な質問はしない。マネージャーは機械のようにハンドルを握る。
「翔子か……」
悠斗へのメッセージに既読がつかない中、翔子からは大量のメッセージと羅神のリンクが送られてきた。
この子やっぱ……。
その思い当たる特性を頭に浮かべながら、好感を持たれるような相槌を返信する。
「……もう失敗しないから」
悠斗と再会した初日の昼休み。花蓮は失敗した。
自分の事を思い出してもらいたくて、意識してもらいたくて、美奈を不機嫌にさせてしまい、悠斗と仲の良い翔子からは敵意まで抱かれてしまった。
これではいずれ悠斗に避けられる。だから、人間関係を良好にして外堀から埋めていく事にしたのだ。
——カレン空気読んで?そんなキャラじゃなかったよね?
美奈の言う通り。花蓮は様々なカレンを演じて、周囲から好かれる様に人間関係を構築していた。
その根本にあるのは幼い頃の体験だった。
——太りすぎなんだよ〜
ただ太っているだけ。それだけで石を投げられる。
——やめてよ……
けれど、誰も助けてくれなかった。あの日までは。
——ダセー事してんなよ!
いじめる男子達を殴りつける長身の男の子。
——おまえ、名前は?
そう言って自分を受け入れてくれた悠斗。
——ゆうちゃん、引っ越しちゃった……
だがある日突然消えてしまう。
次に自分を守ってくれたのは美奈だった。自分とは違う人気者。僅かな嫉妬心が芽生える。だが、痩せて羨望の的となった自尊心が、そのコンプレックスを凌駕するようになるのに、それ程時間は必要なかった。
「私って嫌なやつ……」
花蓮はスマホをしまい目を閉じた。
——もう馴染んじゃったから、どっちも私かも
モデルとして求められる表情を作る私。美奈を羨ましく思う私。いじめてきた男子が痩せた花蓮に告白してきて晒し者にしたのも私。テレビでクールな少女を演じる私。
内面はぐちゃぐちゃだった。それでも、悠斗に会いたい気持ちが如月カレンの始まりだったのだ。
テレビに雑誌にメディアに……顔が売れればいつかどこかで彼が自分を見つけてくれるかもしれない。花蓮と知らず、サインを求めに来るかもしれない。
その時は言おう。「ねぇ?私可愛くなった?」と。
そんな淡い希望を抱いて、芸能事務所の扉を叩くと様々なカレンを演じ続ける。気づいた時には本当の自分がわからなくなっていた。
幼い悠斗と過ごしていた頃は、純粋な少女だったのだ。そんな馬鹿な自分に戻りたい。
「あと何本仕事入ってます?」
「来月までは数本で抑えてますよ。学業優先ですよね。何かありましたか?」
「いえ、そこで止めておいて下さい。あとは社長と話します」
マネージャーから残りのスケジュールを聞き出すと、ノートパソコンを起動する。
為替のチャートを確認すると、登録してあるサイトからアナリストの最新記事に目を通した。もっとも玉石混交の内容な為、参考にする程度だ。
次にIMM通貨先物ポジションで売りの量を確認するが、一週間更新の為、新しい情報は出ていなかった。
「CDSも当たり前だけど、変わらないと……」
「今日もFXですか?」
「ええ、仕事ですから」
そうこれは所属する事務所からの業務委託だ。ドル円がまだ100円台だった時、社長に提案して会社に莫大な利益をもたらした。
花蓮は未成年の為、まだ口座開設をする事ができない。だから、利益からの割合で報酬を貰う事になっている。
「カレンさんのおかげで事務所が大きくなったと聞いてますよ」
「運が良かっただけです。ドル円が2回大きく動きましたからね」
「今もオススメは米ドルですか?」
マネージャーは為替に興味があるのか、そう質問した。
「いえ、今はトルコリラですね」
「……トルコリラ?」
「政策金利が50%なので、スワップポイントだけで生活できますから」
「へぇ……」
「でもドル円と連動するから、為替リスクはありますよ。ただ一ヶ月で0.13落ちなければ買った方が得ですけど」
次のアメリカの雇用統計の発表日時を頭に浮かべる。
「あとは手持ち資金とロスカット値の計算ですね」
「あの私もできますか?」
「……無くなっても良いお金の範囲なら。博打ですから」
「……はは」
「あ、まともに稼ぐなら1000万は最低必要です。200万リラで月20万の金利なので」
淡々と説明するが、マネージャーは苦笑いをするだけだ。
「ただ日米の金利差が縮まるから、リラも下落リスクが高いですね。トルコの大統領選まで金利で稼ぎながら、その後上昇すると良いですけど」
会社の預託証拠金残高を表計算ソフトに入力して、あとどれくらい買えるか計算結果を眺める。それが終われば、次は社長個人の計算だ。
……早く自分で口座開設したいな。
「カレンさんはその道で雇ってもらえそうですね」
「ええ、そのつもりです」
モデルとしての給料より業務委託の報酬の方が圧倒的に多い。既に貯金は億を越えていた。
車窓を流れる景色には帰路に着く人々の姿。そんな情景を横目に、バックミラーに映るマネージャーの表情を眺めていた。
……もう普通には働けないかな。
同世代より早く社会に出て、サラリーマンより早く稼いだ。人間関係を円滑にする為、作り笑いを続けて、自分を偽って。
……なんか疲れちゃった。
車窓に流れる景色を、ただ呆然と眺めていると、
——他に遊んでた子覚えてる?
——幼馴染の応援か……尚更できるわけないじゃん
ふと美奈の言葉が蘇る。
「……歌手になるのが夢だったね」
悠斗が忘れてしまっていた少女。その事に気づいたが、あえて伝える事はしなかった。
「私って最低……」
その方が都合が良いと判断してしまったのだ。私だけ見て欲しいと願ってしまったのだ。
親友だったのに……。本当に最低だ。
「だって……」
—— ゆうちゃんの一番になる
幼い頃に抱いた気持ち。それだけはまだ胸の奥底で燻っていた。
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