第14話 失われた思い出
時刻は14時半。バス停に申し訳程度に備え付けられた屋根の下には、金髪の男が暑さに項垂れていた。
「あちー」
悠斗は持っているお茶を一気に飲むとTシャツで汗を拭う。その横ではあいりが涼しそうな顔をしていた。
「えへへ、ゆうちゃんとデートだねっ」
「デートなのか?公園に行くだけだぞ」
あいりは上機嫌に笑いながら腕に抱きつく。そんな姿を見て思わず微笑んでしまった。
「一緒にお出かけしたらデートなの」
「デートって買い物したり、映画見たりすることだろ?」
頬を膨らますあいりに、デートなどした事のない悠斗は少々困り顔だ。
「ゆうちゃんと一緒なら、どこに行ってもデートになるのです」
「そういうもんなのか」
実感の湧かない人生初デート。あいりの妙な説得力に、思わず納得してしまう。
「ゆうちゃん!バス来たよ!」
楽しそうに先導するあいりに続き、バスに乗り込む。車内は冷房が効いており、中心街から離れてゆくせいか乗客は少なかった。
「ここ座ろ!」
一番奥の窓際に座ったあいりが、すぐ横の席をペチペチと叩く。悠斗は黙ったまま頷き、隣に座った。
「えへへ」
嬉しそうに悠斗の肩に寄りかかるあいり。それを横目で見ながら窓の外へ視線を移した。
バスは住宅街を走っていく。流れゆく景色は変わらず、のどかな田舎町といった様子だ。
店の看板を見かける度に「こんな場所もあったかな」と既視感を覚えるが、記憶は曖昧だった。
「どうしたの?」
「ガキの頃この辺に住んでたらしいけどさ、思い出せないなと思って」
「昔の家は?」
「さあな。ボロいアパートだったから、もうないかもな」
「そうなんだ。思い出がなくなっちゃうのは寂しいね……」
あいりは悲しそうに呟く。
「そうか?」
母親の再婚相手——悠斗の義父は、転勤族であった。母は旅行感覚で喜んでいたが、子供の優斗はそうではない。
——色んな街に行けるのよ?最高じゃない
——また友達とお別れするの?
子供の悠斗には理解できなかった。せっかく新しい友達が出来ても、すぐに別れなくてはいけない。
似たような景色、似たような人間。
それを幾度と繰り返していくうちに、記憶は混濁し、色褪せていく。思春期の後半に差し掛かる頃には、他人との関わり方を忘れ、まともな思い出一つない人間の出来上がりだ。
「……もともとないからな」
「ゆうちゃん……」
あいりが何かを言おうとするよりも早く「次は〜城下公園前〜城下公園前〜」と車内アナウンスが流れる。
「あいり、降りるぞ」
「あ、うん」
降車ボタンを押すと、やがてバスは停まった。
***
城下公園。広い運動場と回遊式の菖蒲園が特徴的な公園だ。ここで鬼ごっこをした気がするな。
庭園に咲く紫のあやめを眺めながら、悠斗はそんな事を考えていた。
「吸ったら甘いかな?」
あいりは悠斗の袖を引きながら、あやめの花弁をつつく。
「小学生かよ……それに赤い花じゃなかったか?」
「えぇ〜」
残念がるあいりを見て、幼い頃の記憶が僅かに蘇る。
……こんなやつもいたかな。
悠斗も吸った事のある赤い花だ。名前も知らないその花を誰かと取り合っていた。
そんな記憶を思い出しながら歩いていると、数人の子供達が何やら騒いでいるのが見える。
「返して!」
「やーだよ!」
小太りの男の子が、スケッチブックを持つ少年を必死で追いかけている。
「ほい!パス」
少年がスケッチブックを高く投げると、別の少年の手へ。
「絵ばっか描いてるから太ってんだろ」
「運動!運動!」
そう言って、少年達はスケッチブックを放り投げる。
「返して!」
慌てて追いかけていく少年。
「……はぁ」
悠斗は面倒そうに溜息を吐くと、空中を舞うスケッチブックを掴んだ。
「「あ……」」
突然現れた長身の大人に、少年達は気まずそうな顔をする。
「ダセー真似すんなよ」
少年達を見下ろした悠斗は、睨みをきかせた。
「「ひっ……」」
悠斗が凄むと、少年達は声にならない悲鳴を上げて一目散に逃げ出す。
「ほらよ」
悠斗は持ち主である男の子に渡した。
「あ、ありがと……」
スケッチブックを受け取った男の子は小さな声でお礼を言うと、そのまま逃げるように走っていく。
「なにあの子!感じわる〜い!」
「別にいいだろ」
ふてくされたあいりをなだめつつ、再び歩き出す。
「ゆうちゃんってやっぱ優しいね」
「……ああいうのが嫌いなだけだ」
視線をそらしながらぶっきらぼうに答える。
「ふふ……照れてる照れてる」
あいりは嬉しそうに微笑みながら、悠斗の腕を抱きしめた。
……ああ、こんな思い出も何回かあったな。
身長だけは高かったから、いじめられている子をかばって、いつも喧嘩になってたっけ。悠斗はそんな事を思い出しながら、菖蒲園を歩いていく。
***
夕暮れになり、誰も居なくなった運動場。ブランコが風に揺れている。歩き疲れた悠斗はベンチに座って、紫と赤の混じる空を眺めていた。
「〜〜♪」
あいりはまるでコンサートホールにいるようかのように歌を口ずさんでいる。悠斗の知らない歌だ。
透き通るような声は、静かな運動場に響き渡る。
「初めて聴く歌だけど、なんて曲なんだ?」
「えへへ、あいりのオリジナル曲なんだ」
あいりは嬉しそうに微笑んだ。
「なんか落ち着くな」
「へへ、嬉しいな」
あいりは照れながら、隣に座ると頭を肩にもたれさせる。
「この思い出は忘れないでね?」
「……たぶんな」
悠斗の曖昧な答えに、あいりは「むぅ」と頰を膨らませると、
「じゃあ、この歌を聞いたら思い出すでしょ?」
「……ははは、そんな早く忘れる程ぼけてないさ」
「ほんとかなぁ」
あいりは腕を組んで考え込む。
「……忘れないさ」
からかい甲斐のあるあいりを見て、悠斗は苦笑いを浮かべた。空を見上げれば黄昏時。
「約束だからね?」
あいりは小指を差し出し、悠斗の指と絡める。そして、その指を上下に振った。
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