第9話 桜井翔子

「すっかり暗くなっちまったな」


 スマホの時計を見ながら呟くと、部屋の鍵を開ける。


「おかえりー!」


 ドアを開ける音で気づいたのだろうか。あいりがリビングから勢いよく飛びついてくる。黒髪が軽やかに揺れ、甘い花の匂いが、悠斗の鼻をくすぐった。


「……ただいま」


 誰かが帰りを待っていてくれる事に、気恥ずかしさを感じながらも、自然とその言葉が出ていた。抱きつくあいりを優しく降ろし、リビングに向かいながらスマホを開く。


「ゆうちゃん、良い事あったの?」


 スマホの画面を見ながら、自然と笑みが溢れる悠斗を見て、あいりは不思議そうに首を傾げる。


「良い事?……友達ができたかな」


 悠斗は照れくさそうにポリポリと顔を掻くと、羅神を起動させた。


「もう!帰ってきたのにすぐゲームしちゃうんだから」


 ぷくっと頬を膨らませて怒るあいり。


「そいつとずっとやっててさ」


 床に座ると羅神のホーム画面が目に入る。フレンド欄に翔の名前があるが、ログアウトしているようだ。


「あいり、ゲームよく分かんないよ」


 あいりは羅神を後ろから覗き込むが、すぐに飽きてしまったようで、横にちょこんと座った。


「早くあいつに追いつかなきゃ」


 独り言のように呟くと、デイリークエストを消化していく。冷蔵庫とダイニングテーブルしかない空間にはゲーム音が鳴り響き、会話もなく過ぎていく時間。


「ゆうちゃん、ご飯とお風呂は~?」


 最初に口を開いたのはあいりだった。悠斗の肩にもたれるように、頭をコテンと預けて、上目遣いに聞いてくる。その仕草にドキッとするが、


「今それどころじゃないんだよ」


 戦闘に夢中で無愛想に答える。


「むっ……あいりよりゲームの方が良いんだ」


 不満そうに頬を膨らませた。


「後で食べるからさ」

「ほんとー?」

「ああ」


 上の空で答える悠斗に、あいりは疑心の目を向ける。


「……約束だよ?」

「ああ」

「…もぅ」


 呆れたように立ち上がると、壁にもたれかけ、悠斗の後ろ姿をぼーっと眺め始めた。その横顔は、少し寂しそうにも見える。


「うわっ、こいつ硬てぇ!」


 だが、ゲームに熱中する姿を見て、あいりは少し安堵したような顔を覗かせると、その背中を見守るように、再び座り直した。


「やっぱソロだと中級かぁ」


 悠斗はフレンド欄を見て、そう呟く。


「あいつが居ないとレベル上げ進まないんだよな」


 翔は相変わらずログアウトしたままだ。


「まだやるの?そろそろ、ごはん食べようよー」

「ん?んんー」


 あいりの声に反応するように背伸びをする悠斗。時計を見れば、2時間以上経っていた。


「今日はやめるか」


 流石に、あいりを待たせすぎたと反省する。ゲームに熱中すると時間を忘れてしまうのは悪い癖だ。


「……悪い」


 心底呆れているであろうあいりに謝るのだった。


※※※


 翌日。悠斗は教室に入ると、後ろの席で眠そうに瞼を擦る翔を見つけた。


「昨日ログインしなかったのか?」

「昨日?あぁ、寝てた」


 そう聞いてくる悠斗に、翔は欠伸をしながら答える。寝てたという割にはまだ眠そうだ。


「ずっと?」

「いや、2時に起きてそこから羅神」


 深夜2時だろうか。そこからずっとゲームという事は……。


「よく学校来れたな」

「まあね」


 気の抜けた返事。今にも寝そうな様子で、スマホの画面に指を走らせている。


「悠斗もやってたの?」

「ああ、帰ってすぐな」

「いなかったじゃん」

「そりゃあ……」


 翔がログインしてた時間帯は、夢の中にログインだ。ネトゲ廃人の感覚と一緒にしないでくれと、悠斗は苦笑いを浮かべた。


「いつも帰ったらすぐ寝るのか?」

「起きてる時もあるよ?」

「なら、一緒にやろうぜ」

「まあ……気が向いたらね」


 悠斗の誘いに、翔は曖昧な返事を返す。昨日の盛り上がりが嘘のようなテンションに、悠斗は不満そうに顔を歪めた。


「じゃあ、ライン教えてくれよ」

「なんで?」

「ログアウトしてたら誘えないだろ?」


 その言葉に翔はスマホをポチポチと押し始めると、画面を見せてきた。そこには二次元バーコードが表示されている。

 悠斗がそれ読み取ると、数少ない友達リストに追加されるのだった。


※※※


 ホームルームが終わると次の授業の為に、悠斗達は教室を出る。


「朝から体育かよ、だりぃな」

「それな」


 蟻のようにゾロゾロと更衣室に向かう生徒達。悠斗と翔はその中で気怠るそうに並んで歩いていた。

 やがて、更衣室が見えてくる。男子達は手前の更衣室に向かうが、女子はその奥だ。


「おい、どこ行くんだよ。そっち女子だろ?」


 そんな中、翔が手前の更衣室を通り過ぎようとするのを呼び止めた。


「は?何言ってんの?」


 翔は振り返ると眉をひそめる。悠斗がその反応に困惑していると、


「あれれ~?もしかして気づいてない?」


 小馬鹿にしたような美奈の声。振り返ると小鳥遊と歩いていた彼女は面白いものを見つけたという表情をしている。その態度から悠斗は自分の勘違いに気付き始めた。


「えっ、こいつ女なの!?」

「うわっ、失礼なやつ~。こんなに可愛いのに」


 美奈が翔の腕に抱きつく。


「やめろよ」


 翔は鬱陶しそうに腕から彼女を剥がした。悠斗は、そのやり取りをただ呆然と見ているだけだ。


「女なのに翔……なのか?」

「桜井翔子ちゃんだよ?」


 再確認するように翔を観察する。短く切り揃えられた黒髪は前髪だけ銀髪に染められている。

 

 体も華奢で、中性的な顔付きは美少年といっても差し支えない。そして、男子の制服が違和感なく似合っている。


「まさか〜翔子ちゃんの制服で勘違いした系?」

「その名前で呼ぶな」


 翔は嫌悪感を隠す事なく美奈を睨んだ。


「可愛い名前じゃん〜」

「佐々木のそういうとこ……うざい」


 そう呟くとそのまま更衣室に入ってしまった。美奈はそれを見て、やれやれと肩をすくめる。


「ん~。やっぱり難しい子だなぁ~」


 人差し指を頬に当てると、翔子を追うように更衣室に入って行く。取り残された悠斗は混乱していた。


「あいつ女だったのか……」

「時間になってしまうぞ」


 そんな悠斗に小鳥遊が肩を叩いた。


「……そうだな」


 上の空で答える悠斗は、小鳥遊に流されるように更衣室に足を向けるのだった。


※※※


「はぁ」


 ロッカーの前に立ち、憂鬱な溜息を漏らす悠斗。


「完全に男だと思ってた……」

「性別バレイベントを回収出来なかったとは……無念」


 そんな独り言に、小鳥遊は合掌で返してくる。


「どこで気づけって言うんだよ。難易度高すぎだろ」

「ふっ、男だと思ったら女だったなんて、ギャルゲーではよくあること」

「知らねーよ。やったことねぇし」


 悠斗は小鳥遊にツッコミを入れながら、制服を脱ぎ始めた。


「ふむ、君はギャルゲーをやったほうが良いかもしれんな」

「冗談だろ?」


 小鳥遊は真面目な表情で返すと、 制服からアクリルキーホルダーを取り出した。それは何かのアニメのキャラクターだろうか。


「女子への理解度が高まり、キャラ愛も生まれる。一石二鳥だと思うが?」


 瓶底メガネをキラリと光らせながら、顔を近づけてきた。


「その迫り方はやめろ……」


 後ずさる悠斗だが、ふと考え込む。そういえばコイツ、女子の輪に普通に溶け込んでいたような……。

 

 それに比べて自分は、男子ともまともに会話が出来ていない。唯一の例外がコイツと翔だが……。


……なんで気づかなかったんだ。


 悠斗は自分のダメさに、肩を落とした。


「遊んでみようかな……」

「おぉ!そうかそうか!その気になってくれたか!」

「少しな」


 小鳥遊が歓喜の声を上げ、悠斗の両肩をガッシリと掴む。


「まずどういうジャンルのがやりたいんだ?学園モノか?SFか?異世界ファンタジーもあるぞ?」


 興奮しているのか、饒舌な小鳥遊。火をつけてしまったと焦る悠斗。


「すぐクリア出来るやつで頼む」


 だが勢いに負け、そう答えてしまった。小鳥遊はその言葉に、顎に手を当て、少し考え始めると……。


「うむ、周回前提の作品なら沢山あるぞ」

「そんなにやらねぇっての!」


 自信満々な表情に、悠斗がツッコミを入れる。それは極自然な流れだった。


「おい、お前ら、早く着替えないと鐘鳴るぞ」

「「ああ」」


 小鳥遊が意外に頼りになるやつと認識を改めながら、体育館へと走っていくのだった。



桜井翔子イメージhttps://kakuyomu.jp/users/siina12345of/news/16818093090458146611



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