第46話 束縛

 この日、私たちは歴史公園を訪れていた。

 広大な敷地内に当時の建造物を復原した建物や記念館がある。

 しかし、この日は休館日のため人はまばらだった。


 この場所に来たいと言ったのはトウキだ。

 

「素敵な場所だけど、渋いチョイスだね。歴史に興味があるの?」


 この国の歴史の話もシロちゃんに話したとは思うけど、こんなにも興味を持ってくれていたとは。


「そうだ」


 トウキは短く答えた。


「だけど休館日で残念だったね」


 記念館が開いていたら、資料の展示を見たり職員さんに質問できたり有意義だったんだろうな。


 トウキは公園の中を私の手を引きながらどんどん進んでいく。

 やがて公園の敷地の端までやって来た。

 ここから先は枯れかけの背の高い雑草が生い茂っているだけだ。


 それでもトウキはまだ先に進もうとしている。



「もうここで終わりじゃない? これだけ草が生えてるなら誰も来ない場所なんだよ」


 私は戸惑った。


「二人きりになりたいんだ」


 トウキは確かにそう言った。


「えぇ! ここで? さすがに嫌だよ。戻ろう?」


 私は抵抗した。

 けれどもトウキの力が強くて、私では引き止めることができない。

 自分の背丈ほどの草の中を進む。

 トウキが何を考えているのか分からない。


「本当に嫌だよ。絶対に嫌だから」


 トウキは私の言葉を無視して進んでいく。

 

 その横顔を観察しているうちに、二人きりになりたいというのは口実だと分かった。

 トウキの目にはいつも私を求める時のような熱っぽさはなく、輝きが失われている。


 しばらく進むと目の前に空間の歪みが現れた。

 まるで膜が一枚貼られているかのように、目の前の景色が波を打っている。


「なにこれ。ここはおかしいよ。帰ろう?」


 引き返そうと抵抗した。

 それでもトウキは返事をしてくれない。


「お願い!」


 私が叫ぶとトウキは迷ったように立ち止まった。

 私の手を離し、来た道を戻ろうとする。

 

 次の瞬間

 

「うっ⋯⋯」


 トウキが胸を押さえて苦しみだした。

 地面にしゃがみ込み、冷や汗をかいている。


「どうしたの!? 大丈夫!?」


 心臓発作なのだろうか。

 悪魔の救命処置は人間と同じなんだろうか。

 内心焦りながらトウキの背中をさすっていると、落ち着いたのかすぐに立ち上がった。


「落ち着いた? 何が起こったの? ねぇ?」


 まるで私の声が聞こえないかのように無視を続けたトウキは、私の身体を空間の歪みに向かって、思い切り突き飛ばした。


 歪みに飲み込まれる瞬間に見えたトウキの表情は、冷たく凍りついていた。




 一瞬で場面が切り変わった。

 確かに外に居たはずなのに、いつの間にか室内にいた。


 薄暗い部屋の中、奥の方に目線を移すと玉座がある。

 そこには⋯⋯足を組み、頬杖をついたシャガがいた。 


「ようこそ、私の屋敷へ」


 シャガは玉座に座ったまま、微笑んでいる。


「どういうつもりなの?」


 シャガに問いかけた。


「私は貴女と直接話をしたかった。ですが、私の方はジギタリスのマークが厳しくてね。トウキに頼んで貴女をここにお連れしたというわけですよ。ちなみにこの空間にはジギタリスが入れないよう、細工がしてありますので」


 シャガは何かを企んでいるような顔をしている。


「話っていうのは何?」


 ジギタリスを排除したということは、いい話でないことは確かだ。



「貴女はご自身の力を使いたくてうずうずしてらっしゃる。だから我々が力を使える環境をご用意しましょう。悪魔の世界に一緒に来てください」


 どういうこと?

 私がこの力で救いたいのは病気で困っている患者さんだ。

 悪魔の世界に行って何になるというんだろうか。


「意味がわからない。私は誰に対して力を使えばいいって言うの?」


「貴女の力をトウキに使うのです。今から私は悪魔の世界の王になるため、戦を起こします。その際にトウキは何度も傷つくことになるでしょう。貴女がいれば、トウキは何度だって立ち上がれる。貴女は自分の力を使える。互いに旨味のある話でしょう?」


 それは違う。

 シャガのほことしてトウキを戦わせ、私が回復させて、またトウキを戦わせるというループにいったい何の意味があるというのだろうか。

 どれだけトウキは傷つけば良いのだろうか。


「そんな力の使い方は間違っている。それじゃ、あなたのためにトウキが何度も苦しい思いをするだけじゃない。そんなのは正義でもなんでもない」


 私がシャガの考えを否定すると、シャガは顎をしゃくりあげた。

 するとそれを合図にトウキが悪魔の姿で現れた。 


「サクラ様、自分はそれで構いませんから、我々と一緒に来てください」


 トウキの口調はまるで初めて会話をした時のように他人行儀だった。


「そんなのだめだよ! もっと自分を大事にしてよ!」


 私はトウキを説得しようとした。

 けどその反応から察するに手応えはなさそうだ。


「とにかく一緒に来てください。二人で力を合わせると約束したじゃありませんか」


「約束って⋯⋯遊園地での話をしているの? あの時の言葉はそういう意味だったの?」


 私の言葉にトウキはしばらく黙り込み、目を逸らしながら静かにうなづいた。


「違う。私はそんなつもりで言ったんじゃない! 私は⋯⋯」


 

「はぁ⋯⋯ごちゃごちゃとうるさいですね」


 シャガは苛立ったように横槍を入れてきた。


「トウキ。貴方、サクラ様を完全に落としたと言っていませんでしたっけ? 貴方の言うことならば何でも聞かせられると。穏便に連れ出せると」


「⋯⋯どういうこと?」


 シャガの言葉に血の気が引いた。

 トウキが私を落としたって?

 それは悪魔の世界に連れ出すためだって?


「サクラ様⋯⋯お可哀想に。トウキには貴女を護衛しつつ、こちら側に引き入れるため、隙を見て近づくように指示致しました。今回のジオウの件では、あえて貴女の目の前でジオウを討ち取ったのも、恋のスパイスのための演出に過ぎません」


 そんな⋯⋯

 私の事を愛してるって言ってくれたのは嘘ってこと?

 でも、トウキは私が子供の頃からずっと側にいてくれて、私を助けてくれて⋯⋯


「そんなの誰が信じるの? ねぇ、嘘だよね?」


 私は縋るような思いでトウキに問いかける。


「シャガ様のおっしゃる通りです。ただ、我々と来て頂けるのならば、今まで通り共に過ごせますから」

 

 何それ。

 私はショックで動けなかった。

 心にヒビが入ってひどく痛む。


「正直、ストロファンツス陣営との全面戦争は避けたいです。あのメンバー全員の弱点を突くことは難しいですからね。貴女が自分の意思でこちらに来てくださるのが、理想なのですが⋯⋯愛するトウキが一緒に来いと命令しているのにも関わらず逆らうなんて、貴女の忠誠心もその程度のものだったのですね」


 シャガは馬鹿にしたように微笑みかけてくる。


「私はトウキに仕えた覚えはない。それに、愛しているからこそトウキを傷つけることはできない。あなたは子どもの頃から育ててきたトウキをどうしてそんな風に扱えるの? 私は絶対にあなたに協力しない」


 私はシャガを睨みつけた。

 例えトウキの愛が嘘だったとしても、私は彼を愛している。

 ジオウの件は演出だとシャガは簡単に言うけど、トウキは血を流しながら戦ってくれていたし、それまでだって傷だらけになって私を助けてくれていたのは事実だ。

 そんな彼を傷つけるなんて、私にできるはずが無い。 


「はぁ⋯⋯人間というのはよくわかりません。貴女は力を使って回復がしたいんでしょう? けれども自分の身が危ないから使えない。だから好きなだけ使えるようにしてあげると言っているのに⋯⋯貴女のお母様は力を使うのにも消極的かつ、ストロファンツスが常に睨みを効かせていた。それに引き換え貴女は隙だらけ。考え方もこちら寄りだと思ったんですがね。どうしてストロファンツスは人間なんかに力を渡したのか⋯⋯おかげで継承者を探すのにも苦労しましたし、理解不能な生き物を相手にするのも疲れます⋯⋯」


 シャガとは理解し合えないことがよく分かった。

 それに、ストロファンツスへの恩があるから私を守りたいというのも嘘だ。


「ストロファンツスは、あなたみたいな悪魔に力を渡したくなかったから、人間に渡したんでしょ」


 私の言葉にシャガは一瞬だけ蔑むような目をこちらに向けたあと、再び微笑みながら話し始めた。


「出来ればトウキにゾッコンな貴女が、彼の命令に全て従い、こちらの世界で二人仲良く私に尽くすという筋書きが良かったのですが⋯⋯ねぇ、トウキ?」


 トウキは表情を強張らせながら、シャガの言葉を聞いている。


「それができない今⋯⋯トウキ、お前の負けです。無理矢理にでもサクラ様を私の物にし、従えることにしましょう。私との間に女子も産んでもらいます」


「それは話が違う! ここまで連れて来ることさえできれば、サクラにだけは危害を加えないという話だった! これからも俺が側で守れると、二人一緒にいられると、そういう話だったはずだ!」


 トウキは間髪入れずにシャガに向かって叫んだ。


「そうですね。それに加え、サクラ様を誘惑出来ないようならば、貴方自身の手で彼女を殺めるように命令すると言いました。貴方の場合はその方が早く決着がつくと思ったからです。それに、奴隷に全てを説明する意味はない。貴方は私に従うしかないのだから」


 シャガはそう告げると、トウキを睨みつけた。


「うっ⋯⋯」


 トウキはまた胸を押さえて苦しみ出す。


「ねぇ、トウキに何をしたの? 奴隷ってどういうこと?」


 シャガは涼しい顔をしてトウキを見下している。


「私の固有能力ですよ。トウキは私に束縛され、指示に従っている⋯⋯私が能力を解除しない限り、トウキは永遠に私の奴隷です。サルビアにも干渉できません」


 そんな⋯⋯

 トウキはシャガに命を救われて忠誠を誓ったと言っていた。

 けど、実際は無理矢理従わされていただけだった。

 サルビアの厳しい取り調べをすり抜けられたのも、シャガの能力のせいだ。


「残念ながら私の束縛は一人までしか効かないんですよね。使い勝手のいいトウキをここで失うのは残念ですが⋯⋯貴女に束縛を使いましょう。貴女には結界の力はもちろんのこと、敵を釣るエサとしても利用価値がありますから」


 意気揚々と語り続けるシャガの話を最後まで聞かずに私は走り出した。

 胸を押さえて苦しむトウキを後ろに隠し、結界を張る。


「無駄ですね。トウキ、自害なさい」


 シャガは冷たく言い放った。


 するとトウキはオオカミの姿に変化し、口を大きく開けた。

 自分の身体に噛みつくつもり?


「させない!」


 私はトウキの口に自分の腕を突っ込んだ。

 拳を喉の奥に当てて口を開けさせる。

 トウキは苦しそうにえづきながら涙を流している。

 

 ごめんね。苦しいよね。

 それでもトウキは口に力を入れてしまうのか、私の腕に鋭く尖った牙が刺さり、血が流れ出す。


「早く止めさせないと、私もこのまま死んでやるから!」


 私はシャガを脅した。

 しばらく睨み合いが続き⋯⋯


「はぁ⋯⋯」 


 シャガはため息をつく。


「止めなさい」


 シャガが命令すると、トウキの力が抜けた。

 良かった。助かった。



「痛っ⋯⋯」

 

 トウキの口から腕を引き抜くと、深い傷ができていた。

 足元に血溜まりができていく。

 私が傷口を押さえていると、トウキは私の手の上に前足を乗せ、身体を擦り寄せてきた。

 謝ってくれてるの?


「もうそれは私の所有物だ。お前が気安く触れて良い物ではない。伏せろ」

 

 トウキはシャガの指示通り、床にひれ伏した。


「もう止めて!」


 私は叫んだ。


「トウキの束縛を解除すると同時にお前を束縛する」


 シャガは目を閉じて呪文を唱えだした。

 トウキは動けない。動けるようになった時には、私の自由が奪われてしまう。

 でもすぐに合意しなければ隙を作れるかもしれない。

 何とか切り抜けるんだ。

 そう思ったものの、回復の力を使っても出血が止まらないからか、だんだんと目の前がチカチカしてきた。


「今なら落ちそうだ」


 シャガは、ゆっくりと私の結界のすぐ外まで歩いて来た。


「サクラ⋯⋯私に従え⋯⋯」


 シャガは私の瞳の奥を覗き込みながら命令する。

 目を逸らしたいけど、目の前が眩しすぎて自分がどこを見ているのかも、もうわからない。


 ⋯⋯⋯⋯


 あぁ、嫌だな。

 トウキの命をぞんざいに扱ったこの悪魔が憎い。


 こいつの命令のままに力を使えば、どれだけの血が流れるか分からない。

 ストロファンツスが恐れていた世界が出来上がってしまう。

 せっかくもらった力を、なんで私は上手く扱えなかったんだろう。 



「はい⋯⋯」


 私が答えると、シャガが鼻で笑うのが聞こえた。



 その直後


「ガルルルル」


 トウキの唸り声が聞こえる。

 束縛から解放されたのか、シャガを威嚇している。


「遅かったなトウキ。では、サクラには最初の命令だ。こちら側で手伝え。トウキを始末する」


 嫌だ、そんな事したくない。

 トウキを傷つけるために、こいつの野望のために力を使いたくない。

 絶対に逆らってやる。

 私はトウキの身体にしがみついた。


「いいから早く来い!」


 シャガが怒鳴りつけてくる。

 怖い。

 でも行かない。

 私は絶対にトウキを傷つけたりしない。


「何をしているんだ!」


 シャガが焦っている。


 あれ? この命令にはそこまで強制力はないの?

 いや、トウキには強力に効いていた。

 けど何故か私には効いていないようだ。

 その事に気づいたのか、トウキはシャガに襲いかかった。

 

 シャガの身体を押し倒し、首元に食らいつく。


「やめろ!!!」


 シャガは激しく抵抗している。

 二人は争い揉み合っている。

 けど、日頃から死線をくぐり抜けてきたトウキの方が圧倒的に強かったようだ。

 シャガはやがて息絶え、その身体は朽ちていった。



 はぁ、終わった⋯⋯

 私は緊張の糸が切れたのか、床に倒れ込んでしまった。


「サクラ! サクラ! 大丈夫か? 俺が傷つけた。悪かった。悪かった⋯⋯」


 悪魔の姿に戻ったトウキは、私を抱きしめながら泣いていた。


「助けてくれてありがとう」


 私はトウキの涙を手で拭おうとした。

 けど、腕に力が入らず動かせない。


「血はまだ止まらないのか!? 顔色が悪い! 身体が冷たくなっている!」


 トウキは焦っている。


「大丈夫。ほら、もうすぐ止まるでしょ?」


 大丈夫。傷は塞がってきている。

 出血もましになっている。


 あぁ、トウキの身体はあったかい。

 すごくいい気分。


 私はそのまま眠りについた。

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