第45話 この世界

 この日、私たちは遊園地に来ていた。

 トウキが人間の世界の良いところを見たいと言うので、ここを選んだ。

 この場所には家族や友だちとの思い出が詰まっている。



 平日にも関わらず、園内にはたくさんのお客さんがいた。

 頭にキャラクターのカチューシャをつけた学生の集団や仲良く手をつないで歩くカップル、楽しそうにはしゃいでいる子どもたちと、それを優しい目で見つめる親たち。

 

 アトラクションには行列が出来ており、中には数時間待つようなものもあった。

 次はあれに乗ろう、これに乗ろう、という楽しそうな声があちこちから聞こえてくる。


 とはいえ、私自身は大人になってからはアトラクションにあまり興味がなかった。

 トウキも特別何かを体験したいわけではなさそうだったので、その遊園地の世界観や街並みを楽しむことにした。



「あれは本物か?」


 トウキは園内にある巨大な火山に興味を示した。


「本物みたいでしょ。しばらく観察してみる? 待ってたら噴火するかも」


 火山の近くの屋台でチュロスを買って、並んで座って食べながら過ごした。

 時間が経つと徐々に火口から煙が出てきて、噴火の瞬間には炎が吹き出て大きな音が聞こえてくる様は、なかなかの迫力だ。

 トウキは静かに目を見開いて観察していた。



 そのまま園内を歩き、今度は海底の世界をモチーフにしたエリアに来た。

 薄暗い屋内は色鮮やかなサンゴや海藻で飾られて、幻想的な雰囲気だ。

 ここでショーを見て、レストランで食事をとった。


「ねぇ、トウキは魚にもなれるんだよね? 海の中を泳いだことはある?」


「自分の能力を試すために、海を泳いだことはある。魚は天敵が多すぎて危険だった。スナメリが一番使い勝手が良かったな」


 スナメリ――小さなクジラの仲間だよね。

 身体が白くて、頭がぽこんと丸くて、癒し系の⋯⋯


「そうなんだ。どうしてスナメリがいいの?」


「天敵が少ないというのと、大きな群れを作らない習性だからか、単独行動を取りやすかったからだ」


「なるほど」


 スナメリ姿のトウキ⋯⋯絶対に可愛い。

 今度見せてもらおう。

 魚の姿もいいな。金魚鉢か浴槽でやってもらえるかな。

 それに、イルカの姿で仲間に囲まれたり、話しかけられたりしている姿も見てみたい。


 

 その後、園内を流れる運河をゴンドラに乗って観光するアトラクションに乗った。

 異国情緒あふれる街並みを眺めながら、船頭さんが陽気なトークや歌を聞かせてくれるのが人気の理由だ。


 ツアーの途中に、通過する際に願かけを行うと、願いが叶うとされているポイントがある。

 その橋に近づいて来た頃、船頭さんから目を閉じて、橋をくぐりながら願い事をするように案内された。


 何をお願いしようかな。

 目を閉じながら考えをまとめていると、トウキが静かに手を握ってくれた。

 私もすぐにその手を握り返した。


 私の願いは人々が笑顔で暮らせること、この手をずっと握っていられること。



 だんだんと日が落ちて、辺りが暗くなってきた。

 私たちは水上ショーを見るために、港のエリアに来た。

 ショーが始まると煌びやかな衣装を身にまとったキャラクターやダンサーたちが、海上に浮かぶステージや船の上で踊りだす。

 花火やライトによる演出もロマンチックだった。


 トウキの横顔を見るとその瞳には光が反射し、キラキラと輝いていた。


 歓声が沸き起こる中、ショーはフィナーレを迎えた。

 帰路つく人たち、閉園までの残り時間をたっぷり楽しむ人たちがそれぞれの目的地に向かって移動していく。

 私たちはショーの余韻に浸るかのようにその場に座っていた。


 夜の遊園地は幻想的だ。

 建物の暖色系の灯りが水面に反射してキラキラと光っている。

 いつまでも眺めていたいくらい。

 

「トウキは楽しめた?」


 彼はあまりはしゃぐタイプではないから、静かにしている時間がほとんどだった。


「なかなかよかった。いい思い出になった」


 トウキは穏やかな表情で答えた。



「この場所自体が私にとって楽しい場所だけど、皆が楽しそうにしているのがいいよね」


 ここに来るとまるで夢の中にいるような気分になれる。

 自分がどこの誰だったかなんて考えずに、ただこの世界を楽しむ一人の人間になれる。

 きっとみんながそうなんじゃないだろうか。


「私の職場は、体調が悪い人とか苦しんでいる人が来る場所でしょ? 悲しいお別れもあるけど、自分が一生懸命関わった患者さんが良くなっていくと当たり前に嬉しい。退院していった患者さんが、通院日に病棟まで顔を見せに来てくれることがあるけど、みんないい笑顔だよ。私はその笑顔を見るのが好きなんだ」


 あの笑顔が見たくて看護師になった。

 決して楽な道のりじゃなかったけど、耐えることができた。


「私はみんなが笑顔でいてくれるのが良いの。綺麗事かもしれないけど、誰にも苦しんで欲しくないの。だから本当はこの力を使いたい。けど、力を奪われてしまったら、もう誰も笑えなくなっちゃうから」

 

 私が力を使わないでいるこの間にも、助けて欲しいと願っている人は大勢いるはずだ。

 

 正直、"もう一度だけ"と力を使おうと思ったことは何度もある。

 患者さんが苦しむ姿に耐えられなかったから。

 

 けど、私にはサルビアの言葉が港を照らす灯台のように感じられた。

 真っ暗な海で帰り道がわからなくなっても、あの光を目指せば帰って来られる。

 力の守り方を決めてから、力の使い方を決める。

 それだけは絶対に忘れてはいけないことだから。



「サクラが力を使いたいなら、俺はそれを手助けする。何があっても俺が守るから、サクラは自分が正しいと思うようにやればいい」

 

 トウキは私を勇気づけるように力強く言ってくれた。

 その言葉は今の私が一番欲しい言葉だった。


「ありがとう。でも私はトウキにも傷ついて欲しくないの」

 

 今まで守ってもらえたことは本当にありがたい。

 けど、これ以上彼の傷が増えていくのは想像するだけでも苦しかった。

 きっとお母さんはこんな気持ちで、力を隠す決断をしたんだと今ならわかる。


「ならば、サクラが俺を守ってくれればいい。本来、その力の使い方はそうだったはずだ。俺は強くない。弱い者を守り、力を与え、傷を癒すのがその力だ」


 トウキの言葉にはっとさせられた。

 今まで彼は私の知らない所で一人で戦って傷ついてきた。

 けど、これからは一緒に戦えばいいんだ。

 私がトウキを守ればいいんだ。


「ありがとう。これからは私もトウキを守るから。一緒にこの力を扱って欲しい。ずっと一緒にいて欲しい」


 私が話し終えると、トウキは微笑みながらうなづいてくれた。

 そして、私を抱き寄せたあと、短くキスをしてくれた。

 すぐに唇が離れて見つめ合う。


「どこにいても、ずっと一緒にいるから」

「うん。ありがとう」


 彼の真っ直ぐな瞳には、幸せそうに笑う私が映り込んでいた。



 その後、トウキが二人きりになりたいと言うので、近隣のホテルに入った。

 私も同じ気持ちだった。


 部屋に入った直後。

 まだ靴も脱いでいないのに、後ろから抱きしめられる。

 顔に手を添え、後ろを振り向かせるようにしてキスをされた。


 しばらく経ってから、部屋の奥へ移動すると、トウキは私をベッドに横たえた。

 私を見下ろすトウキの目は、熱っぽく鋭い光を宿していた。

 

 髪を優しく撫でられた後、まるで味わい尽くされるみたいにキスをされる。

 すがるようにトウキの背中に腕を回すと、その身体は熱かった。

 オオカミの姿の時よりも熱くて、鼓動が速いように感じた。

 こんなにも私を求めてくれているんだ。

 そう思うと愛しさで私の胸も熱くなった。

 

 熱に浮かされ我を忘れそうになってきた頃、トウキは私を強く抱きしめて、耳元で何度も愛を囁いてくれた。

 けどそれはどこが切なげで、苦しそうに聞こえた。


「愛してる。大事なんだ。頼むから信じてくれ⋯⋯どうか⋯⋯忘れないでくれ」


 わかってるよ?伝わってるよ?

 この時、私はそう思った。


 彼が何故こんな事を言ったのか、この時にその真意に気づいていれば、すぐに誰かに助けを求めることができていれば、私も彼もこれ以上傷つくことはなかったはずだ。

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